永遠の命
「ここはハッキリとした証明はできないので、個人で意見が分かれることだと思うんだけど、僕は寿命というのは、老衰や病気以外で死んだ場合は、寿命を全うできなかったと思っています。ただ、病気というのも、その人の不摂生であればどうなのかというのもありますけどね」
「俺は少し違うんだ。やっぱり寿命というのは、死んだその時が寿命だったと思うんだ。だから寿命というのは元から決まっていて、どんな死に方をしようが、それがその人の宿命であり、宿命そのものが寿命なんじゃないかって思うんだよ」
という高田の意見を聞くと、
「やはり君は、宿命が運命よりも絶対だという考えを持っていて、人間は文字通り、宿命に宿られてしまっているものだって考えているように思えるな」
高田の考え方は、黒崎から見ると、かなり雁字搦めに見えてきた。
「そんなに厳しく見えるかい?」
「なんだか、宗教の世界を垣間見ているような気がするんだ。全知全能の神がいて、人間はその神によって創られたものだっていう発想だね」
「なるほど、言われてみれば、宗教の世界の発想にも感じられるね。でも、俺は宗教というのは基本的に嫌いなんだ。だから、決して宗教の発想ではないんだ。もしそう思われているとすれば、俺にとっては心外だな」
と、少し語気を強めていた。
「いや、そこまでのつもりはないんだが、少し言いすぎたかも知れない。すまなかった」
と言って謝ったが、
「いや、いいんだ。俺も少し頭に血が昇っていたかも知れないな」
お互いに宿命と運命の話でここまで盛り上がるとは思わなかった。
とにかく、
――避けることのできない運命――
と感じていたが、本当は避けることのできないのは運命ではなく宿命だ。
だが、言葉としては存在している。
――では実際に避けることのできない運命というものは、本当に存在しないのだろうか?
黒崎は、少し考え込んでしまった。
高田と話をしていても、寿命や運命そして宿命に対しての答えは出てこない。
しかし、黒崎の中で、
――最初から結論は出ているような気がするな――
と感じられるものがあった。
もちろん、そこには何の根拠も存在しない。ただ自分が感じているだけだが、そう感じることで、自分の中には人にはない何かが存在しているように思えてならないのだった。
すれ違う人の中に、同じ日を繰り返している人の気配を感じるようになってから、黒崎は、永遠の命の存在を意識するようになっていた。まだまだ他人事ではあるが、不老不死を自分の中で創造することで、今までになかった何かが広がってくるのを感じたのだ。
心理学を専攻したのは、ただの偶然だった。
――別に他にやりたいこともないからな――
という漠然とした考えの中で、
――人と同じでは嫌だという自分の気持ちを自分自身で納得させるには心理学を勉強する方がいい――
という思いがあったのも事実だ。
実際に心理学を勉強し始めると、結構面白い。自分だけのことではなくて、他の人が何を考えているかなどということを垣間見ることができれば、自分の考えていることを正当化できるような気がしてくるからだ。
正当化は自分を納得させる上で重要だ。
心理学を勉強し始めると、本を読む機会が増えた。心理学の専門書ではなく、ミステリーや恋愛小説などの大衆文学である。誰から勧められたというわけではないが、本を読んでいると、落ち着いた気分になれた。勉強の合間の癒しの時間として、その貴重な時間を黒崎は過ごした。
一日のうちの四時間は本を読んでいるだろうか。一日で何冊も読むことがあった。最初はシリーズもののミステリー小説だったりしたが、次第に恋愛小説の方が増えてきた。
――興味をそそらせようとするために描かれているミステリー小説の中に出てくる官能的な部分よりも、恋愛小説の中の深みのある濡れ場の方が、僕にはリアルに感じられるな――
と感じていた。
恋愛小説の濡れ場は、ミステリー小説のような露骨な表現をしていない。読者の興奮を誘うようなことはないのだが、なぜか引き込まれていくのを感じる。
そこにはリアルな情景が、本を読み進むにしたがって想像されていく。純愛であっても、愛欲系の小説であっても、求めるものは同じであり、好きになった相手との幸せな時間であった。
それが情事であれば、求めるがゆえに嵌りこんでしまう愛憎に、自分の身が耐え切れなくなり、考えれば考えるほど、深みに嵌ってしまう。そのため、求めるものは相手の肉体であり、欲望である。そのことをいかに露骨にならないように描くかというのが、恋愛小説の醍醐味なのだろう。
愛憎が募りすぎると、えてして二人はすれ違ってしまったりする。気持ちが盛り上がれば盛り上がるほど、相手は尻込みして、逃げに入ってしまう。せっかく一度交わった二人が一瞬にして離れてしまい、二度と接近することもなく、破局を迎える。
その破局がどのような結末になるかによって、その話のスケールは変わってくるのだろうが。スケールがでかければでかいほど深い愛欲に塗れているとは言えないのも事実である。
――こんな話は男には重すぎるな――
と感じ、読むのをやめようと思った時期もあったが、読み始めると止まらないのも事実で、一度読み始めると最後まで読みきってしまうのも、恋愛小説だった。
ミステリーも、結末が気になるのは同じなのだが、引き込まれるというほどではない。あくまでもエンターテイメントとして読んでいるので、読みやすいが、読み終わってから印象に残っているというのは、稀であった。
恋愛小説も読み終わってから、印象に残っているというシーンを思い出すことはできないが、なぜか余韻だけが残っている。不快感が溢れていて、読み終わってから、
――何とも不完全燃焼な気持ちだ――
と感じるものが多い。
しかし、余韻が残ってしまっていることから、また他の恋愛小説に手を出してしまう。まるでやめようと思ってもやめることのできない麻薬のようではないか。
黒崎が読む恋愛小説のほとんどは、主人公が自分よりも年上が多い。女性の主人公は主婦であり、
――家庭ありき――
の小説がほとんどだった。
恋愛小説の中には、女性が主人公で、その主人公がOLというパターンも少なくはない。むしろ多いくらいに感じられるが、なぜか黒崎が読みたいと思う小説は、主人公が主婦のものが多かった。
黒崎は子供の頃から、家庭というものを意識したことがない。
両親に対しての思いは、肉親であったり、家族だという感情が希薄であった。小学生の頃から、親がどこかに連れていってくれると言ってついていくが、気持ちとしては、
――僕の方が付き合ってあげているんだ――
という思いが強かった。
母親は専業主婦で、いつも家にいて、家事に勤しんでいるという普通の主婦なのだが、その表情に楽しそうな雰囲気を感じたことはなかった。近所づきあいもそれほどうまくこなしているようには思えず、却って近くの主婦に出会っても、どこかいそいそしさを感じさせた。
相手はそんな母を訝しく思っているようで、近所の主婦たちの井戸端会議には入れてもらえてはいなかった。
――だから、ずっと家に籠もっているんだろうな――