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落ち武者がいた村

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――この場所は絶対に見つからない――
 という自信があったからで、まさか自分が人から気にされているということを意識していなかったからだ。実際に今まで誰からも気にされない石ころのような存在だった彼女は人から意識されることもなく、その思いが昔は寂しさを感じさせ、辛い思いだったのは、今から思えば、実に皮肉なことだったのだ。
「お前はこんなところに落ち武者を隠していたんだな?」
 男は領主に早速告げ口し、男たちを束ねてやってきた。
「こいつをつき出せば、年貢は免除されるんだ。この村がその分、助かるんだ」
 というのが、領主を初めとした男たちの言い分だった。
 見つからないと思っていたのは、彼女の甘さが招いたことだった。何と言っても、狭い世界での出来事で、しかも、彼女には結婚が元で、少しまわりとの諍いもあった。本人はすでに時効だと思っていたかも知れないが、まわりはそうは見てくれない。彼女はおとなしくしているつもりだったが、いつの間にか落ち武者に恋をしてしまい、相手も女房に似ているという理由から、必然的ともうべきか、二人は恋に落ちた。
 恋に落ちた彼女は、知らず知らずのうちに、自分が孤独だった頃のことを忘れてしまっていた。その気持ちが顔に出るのだ。彼女の正直な性格が災いしたのだが、仕方のないことだろう。
 そんな中、彼女のことをずっと気にしている少年がいた。彼は相手に悟られないように、密かに胸の内を自分の中にだけ隠していた。表に出せない理由があったのだ。
 彼は、僧であった。今はなくなってしまったお寺がこの村の戦国時代には存在したが、その寺の層が、密かに彼女を気にしていたのだ。
――私は仏門に遣える身――
 と、何とか自分に言い聞かせてきたが、彼女が他の男性と恋に堕ち、駆け落ちまで考えていたことに自分の中でジレンマを感じていたのだ。
 紋々とした日々を送っていたが、それでも何とか彼女が結婚もせずに戻ってきたことで、本人としてはホッと一安心だったが、逆に一息ついたことで、自分の中に不要な余裕が生まれてしまった。
 途中から、そのことに気づいてはいたが、最初は分からなかった。いつの間にか、彼女のことを目で追っている自分がいる。そこに今まで自分が感じなかった終わったとは言え、相手の男への嫉妬心があったことに気が付き、今の自分が言い知れぬ不安から疑心暗鬼に陥っていて、どうしていいのか分からなくなりかかっていた。彼は、猜疑心を抱くようになったのである。
 男は、猜疑心という言葉を知らないわけではなかったが、まさか自分が猜疑心を抱くようになるなど、思いもしなかった。それには、
「私は仏門に下っているのだ」
 という思いが強かった。
 仏門が自分の不安を今までは取り除いてくれていたのに、彼女のことに関しては、それが邪魔になってしまっていた。男にとって、初めて女性を好きになったからである。
 坊主であっても僧であっても、結婚もすれば、子供も設ける。何と言っても、寺を受け継いでいかなければいけないのだから、子供を設けるのは、他の人が、
「家を守る」
 というのと同じことである。
 いや、寺を守るということは、それ以上のことなのかも知れない。何しろ、直接神仏に接することができる、
「選ばれた人間」
 なのだからである。
 彼は、女の行動が挙動不審なことに気づいていた。他の人たちは、そこまで考えていなかったのは、自分たちのことだけで精一杯だったからだ。
 もちろん、それは彼女にも言えることだった。自分が今こうやって生きていることができるのは、落ち武者に出会うことができたからだと思っている。そして、
「この人を助けることは、私の運命なんだ」
 と思うようになっていた。
 彼を助けたからと言って、結婚できるというわけではない。駆け落ちまで考えた時ほど彼女は頭の中が、感情を掻き立てるものには至っていない。落ち武者と恋に堕ちたとはいえ、彼を助けて愛し合っている今を平和に過ごしていければいいという程度にしか考えていなかったのだ。
 ある意味、割り切った考えだが、後先を考えているわけではない。そうでなければ落ち武者をかくまうなどということができるはずもなかった。
 だが、そんな些細な幸せも終わる時がやってきた。ついに彼は村人に見つかってしまい、すぐにでも彼を捕らえに村の衆が押しかけてくる。彼女は必死になって、彼を逃がそうとした。
 しかし、後先を考えていなかった彼女に、何ができるというのだろう。結局、何もできずに追手が迫ってくる。落ち武者も、最初は覚悟を決めていたが、せっかく助かった命、いずれは追手が来るかも知れないと思いながらも、深くは考えていなかった。
 そんな状態の二人なので、考えることは一つだけである。
「もう、ダメだわ」
「そのようだな」
 男としては、彼女を巻き込むつもりは最初からなかったかも知れない。
 しかし自分が死を覚悟した時、目の前にいたのは、同じように死を覚悟した彼女だけだった。そして、覚悟を決めた二人には、自分たち以外の他の人の姿は見えなくなっていたのだ。
「一緒に死んでくれるかい?」
 言い出したのは、落ち武者の方だった。
「ええ、もちろん。私はどこまでもあなたと一緒よ」
 ここまで来ると、後は滝つぼに身を投げることだった。おあつらい向きに、いや、これ見よがしにと言っていいくらいに、目の前に滝つぼがあったのだ。
「元々、わしはあの時に死んでいたのだ」
 と落ち武者がいうと、
「私も、あの時、私は生まれ変わったの。それはあなたと出会ったからよ。そういう意味で、私もあの時に死んでいたのだというのと同じなの」
 落ち武者には、自分がどうしてあの時、あの場所にいたのかを話していた。彼はその話を真剣に聞いてくれた。自分は毎日死ぬか生きるかの戦場に身を置いているにも関わらず、男と女といういかにも俗世間の話を聞いてくれたのが、落ち武者に対して最初に恋が芽生えた理由だったのだ。
 一緒に話をしていると、
「ずっと前から知り合いだったような気がするわ」
 と、彼女の口から出た本音が、男の心を打った。落ち武者が彼女に恋心を抱いた最初というのは、この言葉だったのかも知れない。なぜなら、落ち武者も、心の中で同じことを思っていたからだった。
 落ち武者は敢えて、その言葉に共鳴したということを口にしなかった。口にすれば、一瞬にして二人の距離は近づくことだろう。しかし、敢えてそれをしなかったのは、距離が一気に近づくことで、大切な何かを置き去りにしてしまうのではないかという落ち武者の考えだった。
 彼は低い身分で、足軽というその他大勢ではあったが、一人になると、やはり立派な男である。生まれさえ違っていれば、きっと大勢の家臣を従える立派な殿様になっていたことだろう。
 そんなことは二人の間に関係はない。ただ、女の方からすれば、落ち武者であるにも関わらず、大人の気遣いができる人だということは分かっていた。だから、彼には自分の想いを打ち明けられたのだし、彼と恋に堕ちてしまうことに、抵抗がなかったに近いなかった。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次