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落ち武者がいた村

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 そんなことを考えながら、彼女は滝つぼに足を向けていた。それまで何も聞こえなかった耳の奥に、ゴーっという音が聞こえてきた。
 最初は滝の音だけだったが、滝の音に加えて、違った音が聞こえてくる。
 それが馬の蹄だったり、金属のこすれる音、それに伴って人の叫び声、同じ叫び声でも、腹の底から聞こえる気持ち悪いものも感じた。
――断末魔の声――
 今まで聞いたこともなかったはずの声を彼女はその時感じていた。やはり、
――死を覚悟した人間にしか聞こえないものが存在しているのではないか――
 と、彼女は思っていた。
 急に風が吹いてきたのを感じた。滝つぼが近いことを悟ったが、その時の彼女には、滝つぼだけからの風ではないように思えた。
「風が舞っているわ」
 普段とは明らかに違う風の向き、そして風の勢いは、今まで立ち入ったことのないはずの場所を、
「初めてきたという感じがしない」
 と、彼女に思わせた。
 それは、彼女が迎える別の世界の人生で感じたことだと思えてきた。
――私にも他の世界が存在するんだ――
 パラレルワールドの発想が、その時の彼女にはあった。この思いも初めてではなかったが、それが、最近見た夢の中での感覚だということに、彼女はすぐに気付いていた。
 何かに引き寄せられるように歩いていると、目の前に滝が見えてきた。
「いよいよだわ」
 彼女は、今一度、自分の覚悟を自らに問いただした。
 さっきまであったと思っていた覚悟とは、少し違ったものだった。そこには、胸の鼓動があり、鼓動は覚悟を少しだけ鈍らせるものだった。
――鈍る?
 その思いは、意外なものだった。それまでにない躊躇いが、この期に及んで襲ってきたのだ。
 その思いは死だけを見つめていた自分に、まわりを見る余裕を与えた。見えなかったものが見えてくる。それは、滝つぼを見ているとその流れに逆らうかのように映し出される戦の場面だったのだ。
 緒方の想像はそこまで来ると、一瞬我に返ったように感じたが、それは一瞬のことで、またしても、当時の彼女の世界に入りこんでいった。
 自分がこれから死のうとしているのに、彼女は不思議と晴れやかな気持ちだった。好きな人と添い遂げることもできず、かといって、他の土地で一緒になれるわけでもない。ましてや、一緒に死んでほしいなどと言えるはずもない。そして最後の選択は、
――自分一人で死んでいく――
 ということだった。
 寂しく一人で死んでいくというのに、晴れやかだというのはどういうことだろう?
 考えられることとすれば、今まで感じなかった寂しさを感じることで、開き直りのような精神状態になったのではないかということだ。現代であれば、寂しさを感じていたとしても、孤独までは感じていないというのが本当なのだろうが、この時代は逆だった。孤独という思いが先にあり、そこに寂しさを感じれば、開き直ることができるのかも知れない。それほど、今よりも過酷で、厳しい時代だったに違いない。
 確かにこの時、彼女の感覚はマヒしていたようだ。
 滝つぼに近づいていくと、さすがに強い風が吹いている。その気はなくとも、滝つぼに吸い込まれていきそうな激しさに、死を覚悟しているとはいえ、少したじろいでしまった。轟音は想像以上で、吸い込まれていくのが当然であるかのような錯覚に陥り、
――今なら、何も考えずに死ぬことができる――
 と思っていた。
 轟音に今しも巻き込まれようとしたその時、またしても、別の音を感じていた。先ほど感じた戦の音に他ならなかったが、ここまで激しい滝の音に混じって聞こえるなど、ありえないという思いが、少し彼女の覚悟を鈍らせたのか、吸い込まれそうになっている自分に、待ったを掛けた。
 一旦覚悟を固めて、その思いにひとたびの戸惑いを覚えたとすれば、もうその時に、死ぬことはできないだろう。一度緩んだ覚悟をその時もう一度取り戻すことなどできないのだ。
「人は二度死ぬことはできないからね」
 と、誰かが耳元で囁いたのを感じた。その声は男の声で、もしその場にいたとすれば、きっと彼女に同じことを囁くに違いないと緒方は感じていた。
 彼女は滝つぼから離れて、呼吸を整えていた。
「やっぱり、死ぬ勇気なんて、そう何度も持てるものじゃないわ」
 死ぬことを信じて疑わなかった自分が、まさかの我に返った瞬間だった。我に返ってしまうと、確かに普通の人のように、死に対しての恐怖がよみがえってくる。しかも、一歩でも足を踏み入れたのだから、余計に恐怖は増している。
「一歩踏み外していれば、確実に死んでいたんだわ」
 と考えた。
 踏み外したというのは、何も足というだけではない。精神状態の歯車の噛み合わせという意味も含んでいる。
 彼女は足をガクガクさせながら、腰が抜けてしまった。しばらく立ち上がれないほどの恐怖が身体に残っていて、金縛りに遭ったかのように、身動きができなくなってしまっていた。
 息も絶え絶えに、何とか呼吸を整えていると、カッと見開いた目が、視線の延長上にある滝を凝視していた。
 上から下に流れ落ちる水を、必死に目で捉えようとしている。
 流れ落ちるなどという生易しいものではない。下に向かって、叩きつけていると言った方が正解だった。
 あっという間に下まで行った水を追い、瞬きの間に、上まで頭を移してくる。またしても、水を追いながら、一気に滝つぼの真下に、視線は移っている。
――こんなことができるんだ――
 水というのは、無色透明で、同じものが猛烈なスピードで移動している。流れ落ちるのを視線で追うなど至難の業のはずである。それなのに、できているということは、かなりの動体視力の持ち主なのだろう。一点をこうだと思えば迷うことなく一徹できるだけの自信と、気持ちに余裕がなければできないものだと思っていた。それを今のような死を前にしてできるということは、それだけ頭の中が無になっているのか、逆に一気に集中できるようになったのかということではないだろうか。
 流れに目が付いていっているということは、やはり気持ちの中を無にできているからではないかと思ったが、同時に感じている恐怖も忘れるわけにはいかない。
「今、ここに誰かがやってくるような気がする」
 根拠もなかったが、信憑性は感じていた。
 そして、思った通り、そこに人が現れた。もし、彼女の精神状態が少しでも違ったものであれば、恐怖から何をしたか分からない。目の前に現れた意外なその人を彼女は、ずっと待っていたような気がしていた。
 もちろん、その男性は自分が好きになった男性ではない。彼は思ったよりも臆病で、まわりの圧力にアッサリと負け、彼女を置き去りにして、さっさと家に帰ってしまった。
「ちょうどいい潮時だ」
 とでも思ったのだろうか。家に帰ってからというもの、彼女の前に姿を現さなかった。今であれば、
「酷い男だ」
 と言われるかも知れないが、当時は戦国時代。何が正しいのか、当時の人間が一番分かっていないのかも知れない。未来の自分たちはその後の時代も知っているのだから、その時の選択の正しさという意味では、同時の人間よりもいいのかも知れない。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次