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落ち武者がいた村

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 落ち武者は兄とは正反対の男で、そういう意味では、女には新鮮だった。男というと兄だという単純な結びつけだけしか女にはなかった。他の村とも隔絶され、子供の頃の忌まわしい記憶を封印しながら静かに生きてきた女にとって、それは仕方のないことだったのだ。
 落ち武者は、いつも自分を見つめ直すような性格の男だった。自分は足軽で、武士といてもいつも最前線、いつ命を落としても、それは覚悟の上だと思っていた。
 しかし、戦では負けてしまい、味方もバラバラとなり、もはや武士としての面目も何もあったものではなくなっていた。
 だが、それでも普段から、
「俺は一体何のために生きているんだ?」
 と、自問自答を繰り返してきた彼にとって、落ち武者となって逃げまわりながらも、何とか助かろうとしている行動の意味が、理解できないでいた。
「このまま生き続けていてどうだというのだ? このまま逃げ回っても、いつかは見つかってしまい、結局は処刑されてしまうのがオチなんだ」
 と思っていた。
 これは彼に限らず、バラバラになって落ちていった連中にも言えることだろう。だが、そこから先、自分の存在意義にまで発想を移すことができる人は、まずいないだろう。
 落ち武者は、生きるために何でも食べたり、地面に這いつくばって逃げまわったり、自分がどれほど惨めかを分かっていた。
「こんなことなら、早く見つかって、楽になりたい」
 と思うこともあったが、気が付けば、それでも逃げているのであった。
 そんな時に出会ったのが、自分を助けてくれることになる女だった。
 最初、落ち武者は彼女のことが怖かった。それは、自分を村人に突き出すのではないかという恐怖ではなく、むしろ彼女は絶対にそんなことをするはずはないように見えたのだ。それなのに、何が怖いというのか?
 それは、彼女の中にある黒い部分だった。
 落ち武者は、必死になって相手の心を読もうと試みた。最初はまったく無防備とも思える彼女の気持ちにすいすい入り込むことができた。女に何ら疑いも抗いもなかった。気持ちくらいであったが、その時の落ち武者は、そこまで考える余裕がなかった。
 まるでゴーストタウンを進むがごとく、彼女の中には何もなかった。もし、これが戦なら、
「罠かも知れない」
 と思い、警戒もするだろう。
 しかし、彼女に対して、
「疑う」
 という気持ちがなぜか沸き起こってこなかった。
 落ち武者は、女の心の中にあるものがまったく見えなかった。ここまで何の抵抗もなく奥まで入ってきたのに、その奥が見えないのだ。
 何もないから見えないというわけではない。真っ暗で見えないのだ。
――やはり、何もないのかも知れない――
 と思ったが、もちろん、根拠などあるはずもなかった。
 そんな落ち武者と女が愛し合うようになり、子供を設けるまでになったのは、どういう心境からなのか、そのことを感じているのは、実はそのずっと後になって現れた喜兵衛だったのだ。
 喜兵衛は、古文書を見つけ、いろいろ読み漁っているうちに、女の気持ちが分かるようになった。
 ただ、落ち武者の気持ちは分からなかったが、女を襲った男の気持ちは分かっていた気がした。
 喜兵衛は、さすがにここまで読んでくると、かなり古文書が着色されて書かれているのではないかと思い始めた。本人たちも覚えていない話を、一体誰が分かるというのだろう?
 落ち武者か、滝に身を投げた男か、主人公である女が、この古文書を書いたのだとすれば、一応の説得力もあるかも知れない。しかし、この三人の中の一人として、残りの二人の気持ちが分かるはずはないという話になっている。
 ということは、書き方がそうなっているだけで、本当は女が記憶喪失だったということや、兄が弟を襲ったということ、あるいは、ここで出てくる落ち武者の存在すら、怪しいものになってしまうのではないだろうか?
 そこで喜兵衛は、一つの仮説を立ててみた。これがどこまで信憑性のあることなのか分からないが、喜兵衛とすれば、一番納得がいくことだった。
「私の先祖、つまり女が産み落とした子供の父親は、落ち武者だということになっているが、本当は、兄が生ませた子供ではなかったか?」
 というものだった。
 かなり斬新な発想だが、落ち武者の子供だと考えるよりも、しっくりくるものだった。
 落ち武者の子供ではないという発想は、兄に襲われたという件がなければ、生まれてくるものではなかった。
 それは落ち武者の子供ではないという可能性をゼロから、少しでも信憑性のあるものにするには十分だった。
「もし、この古文書を読んだのが俺ではなく他の人だったら、同じことを考えただろうか?」
 と感じた。
 喜兵衛は、
「他の人も同じだろうな。ただ……」
 と、しばらく考えて思ったが、どこか引っかかるところもあった。
 だが、この村では村人の中での結婚した許さないという発想、そして家を存続させるためであれば、近親相姦もやむ負えないという発想。それも、自分の兄に孕まされたいう事実があるからこそ、この村では許されることになったのではないかという思えたからだ。
「なんて因果な運命なんだ」
 と感じた。
 そして、喜兵衛がどうしてこの村に戻ってきたのかということを、また考えてみた。
「そういえば、どうして男の躯は見つからなかったのだろう?」
 そう考えた時、女が最初に身を投げた時に起きなかった竜巻が、その時には起こったのではないかと思った。その時に起こった竜巻で、男は死体が見つからず、女だけではなく、村人皆の記憶の中から消えた。
 そしてその竜巻は、下から上に突き上げるというこの村独特のものだった。巻き上げられた男は一体どこに行ってしまったというのだろう?
 喜兵衛は、この村が閉鎖的であり、近親相姦を繰り返し、さらには、村長が世襲であり、その間一度起こったことは二度と起きないといういくつかの伝説に包まれていることを知ったのだ。
 この古文書は喜兵衛によっても、少し書き加えられたようだった。
 喜兵衛自身のことも書き加えられていたし、それだけではなく、喜兵衛の思いも入っていた。
 喜兵衛の思いとしては、自分の子孫が実は近親相姦によるものであることを伝えるかどうか迷っていたようだが、思い切って付け加えていた。それによって分からなかった部分も明確になっていったようで、立て続けに分かっていったことが目に見えるようだった。
 今、緒方が読んでいる書物は、喜兵衛の代になり、喜兵衛によって書き換えられたものだった。もちろん、その原本は古文書であり、その古文書には、喜兵衛の先祖への思いがふんだんに散りばめられているものだった。
 そして新しい書物には、喜兵衛自身の感情や、想像。いや、妄想ともいえる思いがさらに散りばめられていた。
「どれを信じればいいというのだろう?」
 という思いが頭をよぎったのも当然のことであり、
「ひょっとして、喜兵衛も古文書を見た時、今の俺と同じ心境だったのかも知れないな」
 自分が新しい書物に書き換えようという大それた思いまでは持たないが、喜兵衛も最初はそうだったに違いない。
「喜兵衛の一体何が、彼を書物制作に駆り立てたというのだろう?」
 と感じた。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次