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落ち武者がいた村

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 そう感じると、それまで分からなかったが、身体が濡れているのが分かってきた。
――どうして濡れているんだ?
 疑問に感じたが、よく考えてみると、この近くには滝がある。細かい水滴が宙に舞っていると考えてもおかしくはない。
 そう思うと、自分の身体もべたべたしてきたのを感じてきた。彼女だけではない。もしここに他に誰かいれば、その人も身体がべたべたしてきているに違いない。
 最初からそのことに気づかなかったのは、自分も同じように濡れていたからだろう。抱きしめた時に感じた暖かさだけが身体に残ってしまい、それ以外の感覚がマヒしていたのかも知れない。抱きしめた後、接吻したことで、一度マヒした感覚が元に戻ったと考えてもいいだろう。
 男は、急ごうとはしなかったが、それ以上に恥じらいからなのか、顔を見ようとしない彼女に、少し苛立ちを覚えていた。こんな時は苛立ってはいけないことくらい男は分かっているつもりだったが、そんな思いは相手に伝わるのか、男が苛立ちを覚えた瞬間に、彼女は身体を固くして、グイっと男の腕を掴む手に、力が入ってしまっていた。
 少し痛いくらいにグイっとした力が加わると、男は自分の理性が飛んでしまうのを感じいていた。普通なら、理性が飛びそうになるのを感じると、少しでも抑えようとするものなのかも知れない。それが無駄であったとしても、とりあえずは試みるに違いない。
 だが、男はその時、自分の理性を抑えようという気持ちはなかった。理性が飛んでしまうのであれば、それならそれでいいと思っている。目の前にいる女を抱きしめて、そして合意の上での接吻まで行ったのだ。いまさら理性で自分を抑えてどうするというのだ。今は自分の中にある男の本能を剥き出しにしてもいいだろう。男はそう思い、女の腕に力が入るだろう瞬間を狙って、その気持ちに答えるかのように、腕に自分も力を入れていたのだ。
 女を抱きしめたその腕は、次第に女の敏感な部分に近づいていく。今度は、女は腕以外にも力が入り、抗おうとしているのか、身体を離そうとするのだが、その力を男は利用して、さらに自分の腕に力を込めた。それでも抗おうと無駄だと思える努力を続けていた彼女だったが、あきらめたのか、一気に身体から力が抜けてくるのを感じた。それも一気に身体から力が抜けたので、まるで全身の骨がなくなったかのような感触に、
――これが女というものか――
 と、悩まし気な動きをしている女性をどうやって支えようかというのが次の課題だったのだ。
 最初は抗っていた女だったが、次第にされるがままになっていた。男であれば、そんな時、どんな感情になるのが普通なのだろう? その時の男は女が抗わないのをいいことに、本懐を遂げようとしている。ただ、それは最初から徹底して本能の動きによるもので、感情が先に立ったというわけではなかった。
 その証拠に男は終始、
「夢を見ているようだ」
 と思っている。
 女を蹂躙している自分に対して罪悪感もないかわりに、
「こんなものなのか?」
 と思うほど、感じるはずの快感があまりにもアッサリしていることで、まるで自分の身体ではないような気さえしていた。もし、途中から女が少しでも抵抗していれば、罪悪感と快感が一緒に襲ってきて、そのジレンマに対してどのような感情を持つのか、それを感じることができない自分をもどかしく感じていた。
「これじゃあ、まるで生殺しのようだ」
 このまま、何の感情も持たなければ、これからの人生で、何かを感じることもないようなつまらない生き方しかできないような気がした。抑えきれない理性を爆発させて、女を襲ったという方が、まだマシではないかと思えたほどだ。
 一生、罪悪感に苛まれて生きるのも地獄ならば、何も感じることもなく、自分が自分ではないという一生が待っていると分かっている人生は、もっと地獄ではないかと思えたのだ。
 男は、相手が本当に妹だったのかということも分からない。女はその時の前後の記憶をその後失うことになる。男はそのあとフラフラと滝の方に向かっていった。そして、滝つぼの中に消えていった。
 男がいなくなったことで捜索が行われたが、死体が見つかることはなかった。襲われた女も、その日の記憶を一切失っているので、襲われたことはおろか、滝の近くにあるそんな場所に行ったという意識もなかったのだ。
 女のその時の記憶は決して戻ることはない。それは滝つぼに消えていった男の死体が絶対に上がらないのと同じだった。
 村はそれからすぐに落ち武者事件が起こり、それどころではなくなっていた。そのことも男の死体が絶対に上がらないという確証を確固たるものにしたと言ってもいいだろう。
 女は自分が子供の頃にイタズラされた記憶も失くしていた。それは潜在意識として残っていた記憶を、この間、兄から襲われた時、一度は完全に思い出した。思い出したからこそ、襲われた時、然したる抵抗もできなかったのだ。本当であれば男に襲われたのだから、本能的にももっと抗ってよかったはずだ。それができなかったのは、過去の抵抗できないという記憶が潜在意識の中で確立していたからに違いない。妹の中では、そんな記憶を持て余していたのだろう。思い出すには、ちょっとしたきっかけがあれば足りたに違いない。
 それなのに、襲われてしまったことで一気に思い出した。抵抗できない自分を女はどのように思っただろう。情けないというよりも臆病に震えている自分を、客観的に気の毒に思っていたのかも知れない。
 この兄妹の共通点は、
――自分を客観的に見ること――
 であった。
 それは、すべてを他人事として処理してしまうことが、自分にとっての最善策だと思っているからだった。自分を渦中に置くということができず、一人殻に閉じこもる。それも生きていく上では十分に大切なことなのだろうが、何かの結論を得なければいけないという時に、最初から逃げに回ってしまっては、それ以上の進展などあるはずがない。それがこの二人の悲劇に繋がったと言っても、過言ではないだろう。
 男がいなくなったことで、女は自分の大切なことを思い出せなくなってしまっていた。どうして兄がいなくなったのか、そこに自分がどのようにかかわっているかなど、まったく分からなかった。ただ、兄がいなくなったことに自分がかかわっているということは予想できたのだが、それ以上考えることはできなかった。
「自分が自分でなくなってしまう」
 と思ったからだが、自分が自分ではなくなったからといって、それが自分や、自分のまわりにどのような影響を与えるかということは想像もできなかったのだ。
 ただ、女は兄がいなくなったその日から、ずっと滝の近くの山の中に入り込んでいた。それは何かを思い出したいという思いからではない。何かに誘われるように足が向くというのが、正直な気持ちだろう。
「私を誰かが呼んでいる?」
 という思いが頭をよぎったのだ。
 女が落ち武者を救ったのは、兄がいなくなったことで、自分の感覚がマヒしていた時だった。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次