落ち武者がいた村
という言葉がまさにふさわしい感じがするが、子供の頃に見た夢も、まさしく同じような箱に入っていた。
――おじいさんになってしまわないだろうか?
まさに子供の発想だった。
白装束というと、葬儀を思い起させるので、最初は自分の死が近いのではないかと感じさせた。子供なのにそこまで考えるのは、神社という場所がそういう発想にさせるからなのかも知れない。
「やっぱり、子供の頃に一度勝手に見てしまったことがあったんだ」
と、自分に問いかけてみた。返事は返ってこなかったが、それが、否定ではなく肯定であるということを自分に思い知らさせた。
子供の頃に見た書物は、確かに難しくて、何を書いてあったのか覚えているはずもなかった。しかし、一度読んでいるのだから、いくら子供の頃のことだとはいえ、今読めば、まっさらな状態ではないだけに、きっと理解できるはずだと思えてきた。
「書物は確か、蔵の中にあったはずだ」
それも収めてある場所も分かっている。夢に見たあの時と変わっていないはずだ。蔵の中には、狭くて薄暗いが、確かに書物を読めるようになっている場所があった。いつその場所を確認したのか思い出せないが、夢で見たものではなかったことだけは、自信があった。
その書物に書かれていることは伝説であり、戒めでもあった。そのことは先代の神主からも聞いていたし、実際に子供の頃に読んだから分かっていた。
もっとも、子供の頃に読んだ時には、何が何か分からなかったが、後で神主から、
「伝説と戒め」
という話を聞いて、読んだ時に分からなかったことが分かったような気がした。
しかし、それでも、内容を理解できたわけではない。書物から湧きおこる雰囲気から、イメージしかことであった。それだけに、
「今だったら、分かるかも知れない」
と感じるのだ。
そういえば、一度神主が話していたのを思い出した。
「わしも、子供の頃に一度、先代に隠れてこの書物を開いてみたことがあった。あの時は何が何か分からなかったが、自分が神主になって読んだ時、分からなかったことが少しずつ分かってくるような気がしたものだ」
ずっとその言葉を忘れていた。どうしてそんな重要なことを忘れてしまっていたのか自分でも分からないが、神主も大人になって分かったと言っているのだから、自分にも分かるだろうと緒方は思った。
しかし逆に、
――分からなければどうしよう?
というプレッシャーもないわけではない。この書物の持つ意味はどこにあるのか、今さらながら緒方は感じていたのだ。
真っ暗な蔵の中に入ると、ツーンとカビ臭い臭いがした。それは、最初から想像していたものであったが、想像以上に湿気がすごいのには、閉口してしまった。まずは、蔵の中の空気を入れ替えることから始めないと、息苦しさから、何も考えられなくなりそうだった。
真っ暗な蔵の中に、日差しが差してくる。想像以上の埃だと思っていたが、日差しを意識すると、余計に息苦しさを感じる。舞い上がる埃は煙のように、小さな窓から表に逃げていく。
「そろそろいいかな?」
どこまで埃を逃がすかは適当なところで止めておかないと、キリがない。完全に埃を消すことなど不可能なのだ、いかに、
――限りなくゼロに近づける――
というしかないのだった。
この考えが、いずれ自分に重くのしかかる考えになることになるとは、その時まだ知らぬ緒方だったが、何か予感めいたものがあったのは事実だった。
蔵の中で差し込んでくる光は、ちょうど書物を読める場所を照らしていた。しかし、それは今という時間だけで、一時間もすれば、日は傾きかける。いずれは蝋燭が必要な時間になるのだろうが、緒方はその書物を蔵の中から出して、社屋に持って行くという選択肢は考えられなかった。
緒方は、蔵の中に入り、書物を探したが、想像通りの場所にあり、探すというほどの手間にはならなかった。引き出しを開けると、想像していたように埃をかぶっていて、カビ臭さを感じた。心なしかふやけているように感じられたのは、やはり湿気が強いせいだろうか。開けっ放しにしている時間が長かったので、書物のふやけた状態は、そんなに長くは続かなかった。次第に綺麗になっていくのが感じられたくらいだった。
緒方は書物を未来て見ると、最初に但し書きのようなものが書かれていた。プロローグと思えなくもないが、覚書のように思え、まずは丁寧に読むことを考えさせられた。そこに書かれている内容というのは、
「この村では一度起こったことは、二度とは起こらない。それは村長の在任中に限られる」
と書かれていた。
――どういうことなのだろう?
この村というのは、大正時代までこのあたりを収めていた地主がいて、その人が代々村長を務めてきたことは分かっていた。この村ではすべてが世襲で任されていて、ここの神主もずっと世襲を守られてきた。
今でこそ、世襲というのは守らなくてもよくなったが、少なくとも明治時代までは、その言い伝えを忠実に守ってきた。
「世襲を守るために、かつてのこの村では、かなりむごいことや、禁断とも言えることが行われてきたのも事実のようだ」
と、神主から聞かされた。
緒方が神主になるために、先代の神主は教えておかなければならないことを遠慮なく口にした。その時の神主の真剣な顔つきは、まるで人間の顔ではないかのような恐ろしいものだった。
――何かに憑りつかれているのでは?
と感じるほどの恐ろしさで、自分が神主になる上で、かなりの覚悟が必要なのではないかと感じた。
しかし、今さら自分の運命に逆らう気持ちもなかった。運命に翻弄される人生は生まれついてのものだということを覚悟していたからだ。
そして、最初の章に入ると、時は戦国。今からではまったく想像もできない時代であった。
ただ、書物には戦国時代という言葉が書かれているわけではない。戦国という当時、その時代に生きた人たちが、「戦国」という言葉を使っていたかどうか、疑問に思っているからだ。緒方が時代を戦国時代だと認識したのは、年号が「永禄」となっていて、「群雄割拠」という文字がすぐに飛び込んできたからだ。
それにしても、昔の筆で書かれた流れるような文字。一般の人には読めるはずもない。子供の頃に読んだ記憶があったのはウソだったのだろうか。だが、神主になってから見てみると、崩した文字であるにも関わらず、ハッキリと読めてくるから不思議だった。経文を読んでいるからだろうか。崩し文字も読めるようになってきた。
戦国時代でも永禄年間というと、まだまだ群雄割拠の一番活発な時代だったのかも知れない。織田信長の台頭してきた時代であり、各地でも有力な戦国大名が下剋上を繰り返していた時だった。
戦には、農民も駆り出され、田畑は荒れ放題。天下統一など、まだまだ目に見えてこない時代だった。
「いつまでこんな時代が続くんじゃ」
と、誰もが思っていたに違いない。