落ち武者がいた村
神主は、緒方少年が高校時代、神主になって緒方が感じたことを、すでに感じていた。こういうことは本人よりもまわりの人間の方がすぐに気が付くものなのかも知れない。何しろ、血は繋がってはいないとはいえ、「育ての親」に変わりはないのだ。
――もしかすると、本当の親よりも、勘という意味では鋭く働くものなのかも知れない――
と感じるようになっていた。
神主が気が付いたというのは、緒方少年の「宿命」のようなものだった。
つまりは、好奇心旺盛なところを、両極端ともいえる、慎重な性格が補っていたところに、「宿命」のようなものを感じた。
――やはり、この子は神主の素質を持っているのかも知れない――
と感じさせた。
そう思うと、赤ん坊を神社の境内の前に捨てたというのは、ただの偶然ではないような気がして仕方がなかった。
――この子のことは、他の人ではここまで気付くことはないのではないだろうか?
親の色目と言ってしまえばそれまでだが、もし、他の神主が自分と同じ立場で、この子の育ての親であっても、ここまでは感じなかったに違いないと思えて仕方がなかった。
神主にとっての素質など、自分が神主であるにも関わらず、分かっていなかった。
――このまま引退するか、死ぬまで分からないかも知れない――
と思っていたほどで、もし、緒方少年が現れなければ分からなかっただろう。
しかし、逆に考えれば、自分が神主という立場だから分からないのだ。神主になる前に、自分の後継者を見て、
――神主にふさわしいだろうか?
と考えた時だけ唯一、
――神主としての素質――
というものに気が付くものだと思った。
そういう意味では、次期神主が緒方少年でよかったのかも知れない。もちろん、本心とすれば、自分の血を分けた子供であるに越したことはない。しかし、血の繋がりはないとはいえ、生まれた時からずっと一緒にいる緒方少年は、
――これ以上ない後継者――
と言っても過言ではないだろう。
緒方少年を見続ける神主は、次第に成長してくる姿に、
――だんだん私に似てきた――
と思うようになってきた。
しかし、実際には似ているわけではない。これは緒方少年特有の、まわりに自分の本当の姿を見せないところにあった。
これは緒方少年特有の、
――護身術のようなもの――
なのかも知れない。
特に緒方少年は、生まれ落ちてすぐに母親に捨てられたのだ。母親を恨むこともできないほど小さかった自分の中で、何かが燻っていたとしても仕方がない。
――この子は、何もかもすべて分かっていて、承知した上で行動しているのではないだろうか?
と、まるで神童のようにさえ思えるほどであった。
だが、そんなことあるはずはない。それこそ「親としての色目」なのかも知れない。そう思った時、急に緒方少年が何を考えているのか分からなくなった。それまで、
――私が一番、この子のことを分かっている――
と思っていたのにである。
そう思うと今度は、
――私が分からなくなったんだから、他の人に分かるはずもないーー
と思い始めた。
神主としての目よりも親としての目の方が強くなったのだ。
――本当は、こんなことを感じてはいけないんだ――
と思っていたが、親の色目が平等という意識を奪い、人間本来の弱い部分を浮かび上がらせてしまったことに気が付いていた。
――余計なことを考えなければよかった――
自分が年を取ってきたことをいきなり感じ、息子に神主を譲った瞬間から、普通の親になり下がってしまうのではないかと思った。
――一気に老けるかも知れないな――
自分に隠居が近いのを感じ、もし隠居すれば、神社を離れることを視野に入れるようになっていた。
神主の父親から神主の座を譲られた時、父親もこの神社を去って行った。
「これは、この神社の暗黙の了解のようなものでね」
と言われ、その時には何も感じなかったが、息子に譲ることを考え始めた時から、父親の気持ちが分かる気がした。
――私も、父親と同じように、「暗黙の了解」という言葉を口にするんだろうな――
と感じた。それは、言い訳ではない。実際に感じたことをそのままいうからだった。だが、言い訳のように言ってしまうのは、そこに確固たる気持ちが存在しているからだ。
――自信があるということで、言い訳がましくなってしまうのは、心のどこかで、その自身を否定したいという思いが働いている時ではないだろうか――
と感じていた。
神主も緒方少年も、成長の過程で、
――俺は将来、神主としての道しか残されていないんだ――
と感じる時期が何度もあった。その期間が短い時も長い時もある。成長するということは、試行錯誤を繰り返すことだ、身体は次第に大きくなるのに、精神状態がそれについてこない。身体の成長は自分の意志で影響されることはないが、精神状態は意志が深く関わってくる。いや、意志そのものが、成長に伴う精神状態を示唆しているものなのだということであった。
神主になった緒方少年は、いずれ自分が開くであろう書物の存在を、先代からその存在を教えられてから、揺るぎない思いを絶えず感じていたんだと思っていたのだ。
緒方少年は、自分がその書物をいる時がやってきた。
「これはとても難しい本だ」
と、先代の神主に言われていたので、自分が神主になっても、すぐに読むようなことはないだろうと思っていた。実際に、書物から遠ざかっていたのは事実で、何かきっかけがなければ、書物を開くことはないと思っていた。
きっかけというのは、前の日に見た夢だった。
自分が書物の前で見つめている姿を、夢を見ている自分が後ろから見ている。後ろ姿なので、それが自分だとは、すぐには分からず、自分だと分かっても、見ているものが、その書物だということになかなか気付かなかった。
暗い部屋に、蝋燭が灯っているだけの空間で、背筋を丸めて見ている姿は、実に不気味だった。白装束に坊主頭、読みながら心なしか身体が震えているように見えた。
蝋燭の明かりが風に揺られて、狭い部屋の壁の奥に写し出された影も、棚引いている。影が大きいためか最初は気付かなかったが、そこにいる自分は子供の頃の自分だった。
――なるほど、すぐに自分だって気付かなかったわけだ――
夢を見ている自分も子供の頃に戻ったような気がした。そんなことを感じていると、
――子供の頃にも同じような夢を見た気がするな――
と、感じたが、その時にはまだ書物の存在を知らない時だったはずだ。その時の自分というのが、お経の本を読んでいるのだと思っていたからだ。もし、書物の存在を知っていれば、夢に出てきた読んでいる本は、問題の書物であることに気付くはずだった。
ということは、緒方神主は、大人になって初めて、自分が書物を読んでいる姿を夢に見たことになるのだが、本当にそうなのだろうか?
いろいろと思い出してみると、
――以前にも見た――
という感覚は、それほど古いものではなかったように思うからだった。
その書物というのは、今では漆塗りの箱に入っていて、まるで玉手箱のように、紐でくくられている。
「霊験あらたか」