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落ち武者がいた村

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 そのため、これからの行動はすべて、本能によるものだったのだ。
 だが、これは後から考えた男の言い訳だった。しかし、女の後姿が男を誘惑したのだということは間違いではなかった。
 男は、その時しゃがみこんでいる後姿を、自分の妹だとしてしか見ていなかったが、よく見ると、猫背のように曲がった後姿に感じる哀愁は、妹のものではないような気がしてきた。
 淫靡な香りの漂う空間で、男と女が二人だけ。最初はそれを妹だと信じて疑わなかったので、飛び出していくことはできなかったが、後姿を見ているうちに、
「あれは妹ではない」
 と思うようになっていった。
 男は、この瞬間に理性は吹っ飛んでしまった。女に対して自分が奥手だったことも忘れていた。どうして奥手だったのかということを考えていたが、その理由が今分かった気がした。
「俺は妹のことが好きだったんだ」
 そのせいで他の女性と話をすることができない。目の前に妹以外の女性を前にすると、どうしても妹と比較してしまう。そして、その気持ちを相手の女性に見抜かれてしまっているのではないかと思うと、何も言えなくなってしまうのだ。
 女性の方も、イジイジと煮え切らない雰囲気の男を、快く感じるはずもなかった。
「女の腐ったような性格だわ」
 と、一般的に女性が一番嫌うタイプの男性が、この男だったのだ。
 男は、自分が妹を好きだったなど、想像もしていなかった。思い出すのが、子供の頃に見た、
――妹が苛められている姿――
 だったのだ。
 妹はもちろん、苛められていたところを誰かに見られていたなどということを知らない。しかもそれが兄だったなど、分かるはずもない。なぜなら、妹はその時の記憶の半分近くを失っていたからである。
 男は、妹だとずっと思って追いかけてきた女が、
「妹ではない」
 と感じた瞬間、何を考えたであろうか?
 今まで自分がまわりの人に気を遣ってきたつもりだったが、その感覚が伝わっているようには思えなかった。女性であればもちろんのこと、相手が男性でも、どこかぎこちなさを感じた。その時、
「距離感があるのかも知れない」
 ぎこちなさを考えてみると、相手を見ていて、とても腹を割って話のできる人ではないと思えてきた。目の前には、超えることのできない結界があることに気づいたのだ。
 結界は一人に感じただけではなく、他の人皆に感じた。
 相手は男性だけでなく、女性に対してもである。
「人に対しては、気を遣わなくてはいけない」
 という思いが強く、それは親を見ていて感じることだった。
 いつもまわりの誰かにペコペコしながらなんとか生活をしている。ペコペコしなければ生きていけないのだ。
 ただ、その思いがぐらついたことがあった。それが妹が苛められているのを見て、飛び出していけなかった自分を感じたからだ。
――あの時、飛び出していけなかったのは、妹が見られたくない姿を見られたと思って、傷ついてしまう――
 と感じたからだ。
 実際に、いたぶられている中で、助けてあげられなかった自分を情けないと思いながらも、ずっと妹が何を考えているのかを思いながら見ていたからだと思っている。
 あの時から妹は、自分の後ろを異常に気にするようになった。
 もし、妹の後ろに立とうものなら、
「誰? 私の後ろに立たないで」
 と、厳しく糾弾されていたことだろう。
 そういう意味でも、無防備に猫背のまま後ろを隙だらけにしている目の前の女性が妹であるはずがないと思ったのだ。
「背中から感じる哀愁は、何かを訴えているようだ」
 男は、そう感じた。
 もし、その時、女がすでに記憶喪失状態にあるということに気づいていれば、その後の行動は変わっていただろうか?
 いや、変わることはなかっただろう。しかし、少なからず心境の変化はあったはずだ。それが大きなものなのか些細なものなのかは、その時のどちらにも分かるはずのものではなかった。
 その時に漂っていた淫靡な香り、それは男にも女にも感じられたはずだ。ただ、その香りがその二人のどのような影響を及ぼすのかということは、まさしく、
「神のみぞ知る」
 と言ってもいいだろう。
 男は恐る恐る女の背後から忍び寄る。女は男が近づいてきているなど知る由もなく、猫背で丸まった背中は、微妙な動きはするものの、逃げ出す雰囲気も、怯えのため、足が立たないという雰囲気も感じられなかった。
 両腕を伸ばし、後ろから覆いかぶさるように羽交い絞めにした男は、
――まるで包み込んであげているようだ――
 と、襲っているにも関わらず、まるで自分が守ってあげているような錯覚に陥っていた。いや、相手の女も一瞬、たじろいだかのように見えたが、すぐに抵抗がなくなった。男の手の甲に、自分の手の甲を重ねて、逆に手は、女の方が男を包み込んでいた。
「お兄ちゃん」
 女は、男の妹だった。
 最初は自分の妹だということを意識していたにも関わらず、抱きしめてみると、
「お兄ちゃん」
 というその声や抑揚は、間違いなく自分の妹だった。
 ハッとなって意識を取り戻したかのようになった男だったが、いまさら後悔などしていない。
「ええい、ままよ」
 とばかりに、ここは開き直るしかないと思えた。
 しかし、開き直るには、あまりにも妹は素直だった。もう少し抵抗してくれれば、開き直るか、自分の意識を元に戻して、その一瞬の過ちを自ら悔いることで、後は精神的なことは時間が解決してくれると思えた。
 それなのに、妹は素直に兄の感情を受け止めようとしている。兄として、こうなってしまったら、どうすればいいというのだろう?
 まったく想像もしていなかった展開に、戸惑っていた。その戸惑いの原因が、子供の頃に苛められていた妹の記憶がよみがえってきたことだった。
――そうだ、あの時、自分がドキドキしたのは、抵抗してもどうにもならない状況で、恥じらいの中、辱めを受けていた妹を見たことだ――
 と感じた。
 今の妹は、抵抗するどころか、自分の気持ちを知ってか知らずか、後ろから抱きしめてきた男性の手を包み込もうとしている。自分が近づいているのに気づいていないと思っていたが、本当は知っていたのかも知れない。
 そう思うと、男がこの山の中に入ってきたのも、最初から女の計算のうちだったのかも知れないと思うようになると、今度は、
「何を信じていいのか、分からなくなってきた」
 と思うようになっていたのだ。
 それにしても、後ろから抱きしめた時の彼女の身体の暖かかったこと、それはびっくりするほどだった。普通、前半身は暖かさを感じることができるとしても、背中に暖かさを感じるなど思えないと男は思っていた。
 ただ、それは男が誰にも抱きついたことがない証拠なのだが、しばらくじっと抱いているうちに、
「前にも同じような感覚を覚えたことがあったな」
 と、感じた。
 ただ、それは思い出そうとすると、一日や二日ではできないような気がするほど、気が遠くなる時間を遡らなければいけないような気がしていた。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次