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落ち武者がいた村

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 と思っていたのは母親だけで、言葉に出すことはなかったが、父親の心境としては複雑なものだった。
 もし母親がもう少し積極的な女性であれば、兄弟を庄屋に明け渡すことはしなかっただろう。おっとりしているように見える母親だが、父親に対していつも睨みを利かせていて、うまくコントロールしているのだった。
 実は、農家の二人の性格は、庄屋の家庭と同じだった。
 父親がしっかりしているように見えるが、実は後ろから母親が糸を引いているような関係だった。この村では、どの家も他の家を意識しているわけではないが、皆同じような夫婦関係の家庭だというように、古文書には書かれていた。
 喜兵衛は古文書を見ながら自分の育った家を思い出してみると、
「なるほど、確かにその通りだ」
 と感じるのだった。
 だが、この二人の兄弟は、まだ小さな頃に農家から庄屋に引き取られた。親の本性に気づく前に家を離れたので、その性格は、
「生まれ持った本能」
 が息づくようになっていた。
 つまり、二人はそれぞれの正反対の性格を持ったまま、根本的な性格では、他の人の影響を受けずに育っていたのだ。
 正反対の性格の爺やに育てられた二人は、お互いに兄妹であって、兄妹ではないという意識を持っていた。特にその思いが強かったのは兄の方だった。
 兄と妹は、年齢差は一つしかなかった。妹は兄を年齢相応に、
「一つ違いの兄」
 と思っていたが、兄の方は、
「だいぶ年下の妹」
 という意識を持っていた。
 もし兄妹が逆だったら、どうだろう? 姉と弟であれば、お互いに相手に対しての年齢差は違った感覚になるに違いない。
 男と女では、大人になるまでは、女の方が成長が早いと言われていることを、喜兵衛は知っていた。だから、本当であれば、お互いに年齢差を感じることがないような気がするのだが、この二人の兄妹は違っていた。それはきっと、
「爺や二人の性格が、正反対だったからではないだろうか?」
 と思うようになっていた。
 各々が、本能のままに育ってきたことは共通しているので、自分がついた相手にも、
「自分の本能をまずは曝け出して、そこから、どう進んでいくのかを見極める」
 と考えるようになっていた。
 さすがにお互い正反対の本能を持っているからと言っても兄弟である。本能は違っても、考えることは同じなのだ。
 兄は、爺やに出会うまでは、自分の性格を押し殺していた。口数も少なく、自分の意見をハッキリというようなことはなかった。家族はそんな兄に対して、決して不快な表情は見せなかった。そのために、自分のやることなすことがすべて認められていると感じた兄は、次第に疑心暗鬼になっていた。
 自分に対してのまわりのリアクションのないことが、これほど自分を不安にさせるのかということに、その時の兄は気づいていなかった。
 妹の方はというと、それまで順風満帆に育ってきたのだが、爺やの性格を見ていて、
「初めて出会った、自分とは考えが平行線となる相手だ」
 と感じていた。
 口ではいいことを言っているが、話を聞いていると、言葉の端々で、
「自分さえよければそれでいい」
 という考えが頭に浮かんでは消えているのが見て取れた。
 掴みどころのない性格で、何を信じていいのか分からない。そんな人が自分さえよければいいという考えを持っていることが、信じられなかった。
 ただ、妹はそんな爺やに新鮮さを感じていた。確かに性格は、
「交わることのない平行線」
 を描いているが、
「自分に柔軟性があれば、理解できないことはないのかも知れない」
 と、感じるようになっていた。
 その頃の兄とは、ほとんど会話をしなくなっていた。兄が十五歳で、妹が十四歳になっていた。
 お互いに会話をしないのは、それぞれに迎えた思春期が、今までは兄や妹としてしか見えていなかった目に、
「オトコとオンナ」
 という意識を植え付けていた。
 特に兄の方は、まわりへの疑心暗鬼から起こる不安感が、
「意識してはいけない」
 と、余計に思わせ、思春期における異性への興味よりも、疑心暗鬼が強くなったせいで、妹を遠ざけるようになっていた。
 逆に、思春期を迎えたことで、兄は身構えてしまった自分を感じた。まわりの人が信用できないというよりも、自分のことが信用できない。まわりはそんな兄の考え方が分からずに、上から覗き込もうとする姿勢に対して、兄の自分への不信感は、余計に増していくのだった。
 兄がまわりに気を遣うようになったのは、それから少ししてのことだった。家族としては、
「やっと、大人になってくれたか」
 と思うようになっていたが、実際には不安感が募って、まわりに気を遣っているというよりも、薄氷を踏む思いだったに違いない。間違って足を踏み出せば、氷が割れて冷水の中に落ち込んでしまう。疑心暗鬼が不安に変わり、不安が結局はまわりの人の真似をすることで少しは和らぐという結論に落ち着いたのだ。
 だが、兄の気持ちに安らぎはない。人の真似をすればするほど、自分が分からなくなってくる。そのことを爺やは分かっていたが、何も言えなかった。
 次第に孤独感を感じるようになった兄は、妹に対しての目が、自分の中で妄想を抱いているように感じられるようになっていった。
 妹を見ていると、子供の頃に抱いた思い出が思い出されてくる。
 一度、近所の子供に妹がイタズラされているのを見たことがあったが、その時、助けなければいけないと思いながらも飛び出していくことができなかった。
――俺はこんなにも意気地なしなんだーー
 と自分に言い聞かせ、そのことを爺やにだけ話したことがあった。
「それは仕方ありません。まだ坊ちゃんは小さいんですし、相手は人数がいたんでしょう?」
「うん、四人いたんだ」
 本当は、普段から自分を苛めていた相手だったんだが、そのことを爺やには言わなかった。咽喉まで出かかった言葉を飲み込んだのは、自分が苛められているということを知られたくないという思いが強かったからだ。
 苛められていることを知られると、
「どうしてもっとしっかりしないんだ」
 と言って自分への教育が厳しくなるか、あるいは、
「爺やが、ここは何とか纏めてあげよう」
 と、子供の喧嘩に親が出てくるようなことになると、余計に話が拗れてしまうことになりかねないと思ったからだ。
 波風を立てたくないという思いから、余計なことを口にして、騒ぎになるのを嫌ったのだ。
 子供の頃に苛められていた少年が、無口になってまわりの誰にも知られたくないと思うのは、
「煩わしいことをわざわざ起こしたくない」
 という思いが強いからで、もし、騒動が大きくなれば、発端である自分たちだけの問題ではなくなり、子供の思ってもみなかった方向に話が向いてしまい、いつ何時、自分に災いが降ってくるか分からないという思いからだ。
――じめられっ子というのは、まわりが考えているよりも、結構先を見ているのかも知れない――
 その思いは、いじめられっ子だけにしか分からないものだった。
 そんないじめっ子たちの好きなようにされている自分の妹を見ていて、
「可哀そうだ」
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次