落ち武者がいた村
と思うと、就任時には感じても、まさか、村長が交代するたびに竜巻が起こっているなど考えも及ばないだろうから、交代した後に竜巻は起こっていないと考えるのが普通ではないだろうか。
喜兵衛は、この村から離れた唯一の人間で、しかも戻ってきた。村を離れている間は、村の記憶がなかったが、戻ってくると、思い出したように思えた。
ひょっとすると、村を離れた時、本当にすべての記憶を失っていたのか定かではない。何しろ、記憶の元は喜兵衛でしかないのだから、喜兵衛が記憶を思い出した時、それまでに持っていた記憶が本当のことなのか、ハッキリとしているわけではない。
村に伝わる古文書を見ながら、それまでの記憶と重ね合わせているのかも知れないが、村から離れていた自分がこの村に戻ってくることで、村の中から見ている光景と、一度離れてしまって戻ってきた時に感じた光景では、かなりの違いがあったことだろう。
それが「どんでん返し」のイメージに繋がったのだとすれば、村を出たり入ったりする時には、必ず何かの力が働いているのではないかと思えた。
――偶然に見えることも、本当は偶然ではないのかも知れない――
そう感じていた。
この村には、以前から伝わっている特産品があった。それは、田畑で育てることをしなくても、普通に生えている草から出来上がる料理であった。
「他の村では、まさかこれを食物用に使用できるなど、想像もできないだろう」
というほどのものだった。
ただ、決しておいしいものではない。ただ、食べ物に困った時は。それを食べていれば生き延びられるというようなもので、そこには生きていくための知恵があった。
古文書には、そのことも記されていた。
その食物の発想を持ち込んだのは、落ち武者だった。そういう意味では、純粋に村の中で起こった作物というわけではない。武士が食べ物がなくなって、それでも生き延びなければいけない時の知恵だとされていた。
ただ、他の村では決してこの食物が食べられるなどということを知らないだろう。なぜなら、この食物の扱いを間違えると、毒になってしまうからだ。落ち武者は、自分が生き残るために、この村に生えているその草を食べていた。そして、落ち武者を匿った女がその製法を落ち武者から聞き、間違いのないように、落ち武者に食べさせていた。
落ち武者がなかなか見つからなかったのは、女が落ち武者のために、せっせと食料を運ぶような真似をしなかったからだ。家から持っていかなくても、道端に草は生えている。食物にもならないものを集めていたとしても、誰が女のことを意識するものだろうか。
女にとっては、この食物は落ち武者の命を繋ぎとめておくだけではなく、精神的な繋がりとして大きなものであることを意識していた。この草は食物にもなれば毒にもなるが、薬草としても使えた。
「毒というのも、ある意味、薬ということでもある。背中合わせであっても、しかるべきではないか」
と、女に言い聞かせていた。
落ち武者は、そのままずっと女に匿われてもいいと思っていた。女もこのまま落ち武者との異様な生活を止めたいとは思っていなかった。奇妙な関係ではあるが、今まで生きてきた人生を振り返った時、
「一体、今まで自分は何をしてきたのだろう?」
と、落ち武者も女も、思うようになっていた。
落ち武者の家は、下級武士の息子で、禄もほとんど貰えていない状態で、いつ死ぬか分からない最前線で、足軽としての「その他大勢」の武士を演じてきた。実際に、味方が破れてしまい、散り散りバラバラになってしまった仲間は、
「どうして、戦は終わったのに、逃げ回らなければいけないんだ」
と思っていたことだろう。
上級武士ならいざ知らず、名もない足軽なのだから、何も目くじら立てて探さなくてもいいような気がする。なぜそんなに、
「落ち武者狩り」
が行われているのか、逃げている者たちに分かるはずもなかった。
落ち武者を差し出すと、戦勝者から褒美を受けられるという。自分たちの首は賞金なのだ。
村人にとって落ち武者は、賞金稼ぎの種でしかない。落ち武者を匿ったとしても、損こそすれ、得になることは一切ない。
しかも、匿えば村の存続も危うくなる。村長を始め、地主や小作人までもの村人全員が、落ち武者の敵なのだ。
そんなことはすべて分かっているはずの女なのに、どうして落ち武者を匿おうと思ったのか、それは女の血に関係がありそうだった。
女は何不自由もなく、庄屋の娘として育った。
そんな彼女には兄がいた。兄は少し、考えが浅いところがあった。思い込んだことは本能に任せるまま行動する方だった。二人とも甘やかされて育った。庄屋は子供たちの育成に、
「爺や」
と呼ばれる人をつけた。
それぞれの子供に一人一人であった。
その爺やというのも、兄弟だった。爺やと言っても、まだ五十過ぎの初老の男性で、この時代の、いや、特にこの村では五十歳をすぎていれば、立派な老人なのだ。
兄の方を兄弟の兄がお世話し、妹を弟の方がお世話するようになっていた。
爺やの兄の方は、おっとりとした性格で、弟に対して逆らうことができなかった。逆に弟の方は、そんな兄に対して遠慮することもなく、厚かましさをあらわにするかのように生きてきた。
元々、この兄弟は農家の生まれで、庄屋の先々代が、聡明な兄弟を見て引き取ったのだ。農家には、それなりに大金を渡し、生活にも困らないように便宜も図っていた。二人の親からしてみれば、
「渡りに船」
であり、願ってもない話だった。
庄屋に引き取られた時の兄弟は、二人ともまだ十歳にもなっていなかった。庄屋の家には、その頃はまだ子宝に恵まれておらず、もし子供ができなければ、二人を養子とし、兄弟のうちのどちらかに庄屋を継がせ、どちらかにその補佐をさせるという意味合いを込めて、引き取ることにしたのだ。
しかし、庄屋の家に子供が生まれてしまった。もちろん、庄屋の家は血の繋がった子供に継がせたい。かといって、引き取ってしまった兄弟を、ぞんざいに扱うわけにもいかない。
引き取った兄弟は、幸いまだ子供だったので、後継ぎなどという意識はなかったに違いない。
「僕たち貧しい家に生まれた兄弟を引き取ってくれて、家族も苦労しなくてもいいようにしてくれた優しい家」
という思いが強かった。
だが、兄弟が次第に性格が分かれてきたのは、庄屋の家に子供が生まれてからのことだった。弟の方が最初に自分たちの運命が変わったことを気にし始めた。うかうかしていると、自分の立場がこの家ではなくなってしまうという思いに駆られるようになっていた。
農家に育った二人は、兄の方は母親に性格が似たのか、あまり深く考えたり、細かいことに悩んだりしないようだった。弟の方は父親に似て、いつも何かを考えているような性格で、ひとたび状況が変わったのなら、すぐに臨機応変に対応できるように考えていた。父親は、いつでも、
「自分が武士になれるにはどうしたらいいか?」
ということを考えていたという。
本当は、息子二人が庄屋に引き取られることにならなければ、武士にしたいと思っていたくらいだった。庄屋の話を、
「渡りに船」