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落ち武者がいた村

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 そうやって思うと、この古文書を書いた人がどういう思いでこの書を残したのか、分かるような気がした。
 古文書を書かれている内容は、
「竜巻というのは、入道雲の発生によって生まれるもので、その渦は上から下に伸びるものだ」
 と書かれていた。
 喜兵衛には、そんな難しいことは分からない。だが、読んでいくうちに、書いてあることに間違いのないことを分かってきたような気がしていたのだ。
 喜兵衛は、古文書を読んでいくうちに、その作者が女に対して思い入れが普通ではないことに気が付いた。冷静な第三者としての目で見ようという発想はあるのだが、どこか女に対して思い入れよりも深い感情が感じられた。それは慈愛ではなく、愛情そのものだったのだ。
 そこには暖かい視線が感じられ、
――包み込んであげたい――
 という思いが見え隠れしていたのだ。
 喜兵衛は自分に感じたことのない愛情というものに、読んでいて戸惑いを感じた。不幸な出来事であったはずの、落ち武者事件。そこに羨ましさを感じてしまった。
 そう思うと、
「この古文書を書いたのは、伝説として残っている落ち武者だったのではないだろうか?」
 という思いである。
 古文書には、
「身を投げた二人のうち女は若い僧に助けられたが、落ち武者は、滝つぼに呑まれて、死んでしまった」
 と書かれていたのだが、喜兵衛には最初から読み込んでいくうちに、どこか不自然さを感じていた。それは形に見えるものではなく、感覚的なものだったが、
「心理的な矛盾」
 と言ってもいいのではないだろうか。もちろん、そんな難しい言葉を喜兵衛に分かるはずもないが、古文書を読んでいくうちに、次第に自分が核心に迫っているのだということを感じていた。
 つまりは、この古文書を書いた作者は落ち武者であり、その子孫が代々伝えていったものではないかという思いである。
 しかし、落ち武者の子孫というのはどういうことであろうか?
 この古文書を見る限りでは、恋に堕ちた相手の女とは、心中を図ったのではないか。子供の話などどこにも書かれていない。
 ただ、その後も女は生き残っていた。若い僧に襲われて、その後身を投げたというが、その間に、落ち武者の子供を宿していたのかも知れない。
 そう思うと、若い僧が乱心したのも分からなくもなかった。助けた相手に恋をしてしまった若い僧は、思いを遂げられずに自分が僧であることもあり、ギリギリのところでジレンマに苦しめられていたに違いない。
 しかし、そこに女が懐妊していて、その父親が落ち武者であると知った時、嫉妬の固まりがジレンマを通り超え、自分ではどうすることもできないほどの嫉妬の固まりに支配されていたとすれば、精神的な均衡が崩れてしまい、抑えることができなくなったに違いない。
 それがその後に起こった、
「若い僧による乱心」
 という悲劇だったに違いない。
 女は、身を投げる前に、密かに子供をどこかに隠し、そして、父親である落ち武者の手によって育てられたと考えるのが自然ではないだろうか。
 落ち武者は、密かに助かってから一人になり、二度と女とは合わないと誓ったのとは別に、
「彼女を密かに見守ってあげたい」
 という強い気持ちがあった。
 さすがにいきなり乱心してしまった僧に対しての対応はできなかったが、残された子供のことは自分が何とかしようと思ったに違いない。
 落ち武者は自分の子供には、自分たちのいきさつ、そして運命を話して聞かせた。その思いが、
――古文書を引き継ぐ――
 という思いに掻き立てたのだろう。
 この古文書がどの時点で絶えてしまったのか分からない。書かれているであろう時代背景を考えると、数十年は続いていたことになる。ただ、その本質は、
――落ち武者と心中をした女――
 であり、それ以外のことはほとんど書かれていない。それでもところどころに竜巻が発生していて、
――そのタイミングは、まるで竜巻が生きているかの如くだ――
 と書かれていたのだった。
 竜巻が下から上に巻き上がっていることは、一度だけ書かれていた。しかし、それが自分を助けることになるものだということには、一切触れていない。落ち武者自身、自分で分かっていないのか、それとも分かっていて敢えて書かないのか分からない。しいて言えば、
――自分に深く関わってしまっていることに関しては、まったく見えていなかったのかも知れない――
 灯台下暗しという言葉もあるし、頭のいい策士が策を弄した時、
「意外と自分が同じ手でやられることは意識していないものだ」
 という格言めいた話も聞いたことがあった。
 落ち武者もそうだった。自分が助かったのは、竜巻が下から上に巻き上げられていることを、宙に浮いている間は意識していたが、助かってしまうと、その時意識したことはおろか、自分が竜巻で助かったことには気づいていなかった。
 滝つぼに身を投げ、死のうとした時点で、落ち武者は半分記憶を失くしてしまった。自分が落ち武者だったこと、女のことは覚えていたのだが、それ以外のことはすっかり忘れてしまっていた。どうして死ななければいけないのかという理由すら忘れてしまっていて、ただ、自分が落ち武者だったということから、死を選んだ理由はだいたいの見当はつくというものである。
 結局は死にきれなかったが、自分が新しく生まれ変わることができるということを確信していた。何かの根拠があるわけではない。しかし、過去には悲惨な事実しか残っておらず、
――生きなおす――
 という発想からは、自分が生まれ変わることができるということは、疑う余地もないことに思えた。
 生きなおすことができると考えた落ち武者は、さっそく古文書の作成を頭に浮かべていた。
「せっかく生き残ったのだから、自分が生きた証のようなものを残したい」
 と思ったとしても無理もないことだろう。
 落ち武者は、古文書の作成と、生き残った女を見守ることに、生き残った人生を費やすつもりでいた。
 しかし、女は若い僧の犠牲になった。落ち武者の失意はどれほどのものだっただろう。それでも、女が残してくれた子供は、かすがいだった。女に対しては遠くから見守ることしかできなかったのに、今度は大手を振って、自分の子供を抱きしめることもできるのだ。ジレンマから解放され、子供を手にすることができた落ち武者にとって、古文書の作成は、自分に課した、
「至上命令」
 と言ってもいいだろう。
 落ち武者がいつまで生きていられたのかは分からない。しかし、確かに途中で書き方は明らかに変わったが、それがどこから変わったのか分からない。自然な形で、「継承」が行われたのだ。
 そのことを考えると、
「落ち武者は、天命を全うしたのではないだろうか?」
 という思いが浮かんでくる。
 おそらく間違いはないだろうと思っているが、では、一体この古文書をいつやめることになったのか、
「いつ、誰が?」
 というところが大きな問題だった。

               第三章 古文書の兄妹

 この村では、村長は基本的に世襲で賄ってきた。実際に村長の任を任せられる人が、この村では村長の家系だけだった。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次