小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

落ち武者がいた村

INDEX|20ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 喜兵衛は、近くまで行ってから、その先に踏み込んだことはない。滝があると言われているところからかなり離れた場所まで森が続いているので、古文書を見つけたあたりは、滝からは遠かったはずなのに、滝つぼに叩きつけられる水しぶきの音は、鮮明に覚えていた。
 大人たちの目があるので、その先までは行ったことがなかった。一度近寄ろうとしたが、木の根っこが歪な形で生えているのを見ると、恐ろしくなった。しかも、一度は足を引っかけそうになったのだ。滝つぼまで行かなかった本当の理由は、木の根っこに気持ち悪さを感じていたからだった。
 喜兵衛は、何十年かぶりにこの滝に訪れた。子供の頃に感じていた大きさよりも、想像以上に小さなものだった。
「森ももっと奥まで見えていたはずなのに」
 今では、完全に生い茂った木々が完全に屋根の役割をしていて、少ししか先が見えない。そこから先は真っ暗な世界が続いていた。
 喜兵衛がその森がどこだったのか思い出せなかったのは、村の外にいたからだった。村の中に一歩踏み入れただけで、それまで忘れていたことが、次々に思い出されてくるようだった。
「育った家を見に行ってみよう」
 と思い、記憶をたどりながら住んでいた家を探してみたが、
「確か、このあたりだったはずだが」
 記憶に残っている家が跡形もなく消えてしまっていた。喜兵衛は通りかかった村人に聞いてみた。
「ここにあった家の人たちはどうなったんですか?」
 村人はきょとんとして、喜兵衛が何を言っているのかとばかりに、疑念の目を向けていた。いかにも怪しく感じられたのだろう。
「ここにあった家って、ここはずっとおらの土地だが」
 と言って、方言丸出しで答えた。
 この村は、ほとんどが標準語で喋る人ばかりだったが、何か後ろめたいことがあったりして狼狽えると、とたんに方言が出てしまう。これ以上分かりやすい性格の村も珍しいのだろうが、一度外に出てから戻ってくると、
――なるほど、これは分かりやすいやーー
 と感じたのだ。
 しかし、自分の住んでいた家を間違えるはずもない。記憶にある光景は、間違いなく自分の家があったところを示していた。ということは、伝説は本当だったということになり、その責任のすべては自分にあることを感じた。
――でも、それなら、自分の存在意義もないはずなのに――
 と感じた。
 家が最初からなかったことになっているのであれば、その責任がある自分が真っ先にその存在を消されるはずではないか。自分が無事に存在していて家だけが消滅しているなど、ありえないことに思えた。
 喜兵衛は自分の記憶を頼りに、村を散策してみた。するともう一軒、なくなっている家があることに気が付いた。自分の家と同じように、まったく跡形もなく消えていたのだ。
 やはり近くで農作業をしていた人に聞いてみた。
「ここにあった家の人たちはどうなったんですか?」
 答えは同じだった。きょとんとして何を言っているのかという顔で、
「ここには他に家なんかない」
 としか答えなかった。ただ、彼もどこか躊躇していた。明らかに何かに怯えているようだった。
――何かを隠しているんだろうか?
 そういえば、昔この村に住んでいた時、よそ者に話しかけられたら、どうすればいいのかというのを、ずっと考えていたことがあった。完全に隔離されたわけではない村なので、いつ誰が入り込んでくるか分からない。幸いにもこの村にいる頃喜兵衛は、よそ者と話す機会がなかったからだ。ただ、この村を出てからまだ十年も経っていないのに、自分が知っている人が誰もいなくなっていることだけが気になっていた。
 どうやら、この村は喜兵衛の記憶に残っている村とは、かなり違っているようだ。その証拠に、自分の知っている記憶の中の光景とは、少しずつずれているような気がしていた。家は一回りずつ大きくなっているように思えたし、以前は貧相だった家が、少し立派になっているように思えた。
「村全体が、どんでん返しのように、クルッとひっくり返ったかのようだ」
 まるでおとぎ話のようだが、知っている村が一度まっさらな更地になってしまい、その後に新しく建て替えたかのようにも見えた。
 ただ一つだけ変わっていないところがあった。それが、滝に通じる森だった。村全体が大きくなったように感じるのに、森だけが小さく感じられた。
「記憶というものは、遠のいて薄れてくればくるほど、小さく感じられるものだ」
 という話を聞いたことがあったので、自分の記憶が正しいとすれば、それは森の記憶だけしかないようだ。
「木を隠すなら、森の中」
 という言葉を村にいる頃に聞いたことがあった。その時は何のことだか分からなかったが、村に戻ってきて、森を見た時、その言葉を思い出した。
「この森に何が隠れているというのだろう?」
 と感じたが、それが
「俺にとっての真実」
 であり、記憶の中にあった古文書も、きっと見つかるという確信めいたものが頭に浮かんでいた。
――自分が知っている村がすべて変わってしまったかのように見える信じられないと思える現象も、古文書を見つけることで、解決しそうな気がする――
 と感じたが、そんな重大な古文書が、そう簡単に見つかるとは思えなかった。
 幸いにも、この先の滝はおろか、この森にも近づく人は誰もいない。ゆっくりと古文書を探すことができる。しかし、あまり時間を掛けられないというのもウスウス感じていた。それは、喜兵衛の記憶がどこまで正確かどうか分からないからだった。
――自分の記憶を信じられなくなると、終わりだ――
 と感じ、そうなってしまうと、永遠に古文書は誰の目に触れることもなく、この場所に目に見えない墓標を刻んでいるかのように思えてきた。
 喜兵衛が自分の記憶に信憑性を感じなくなった理由の一つに、
――俺の記憶は、目に見えない何かの力によって、消されたものだったのかも知れない――
 という思いがあった。
 意識の中に、記憶が二転三転して、思い出せそうになると、却って堂々巡りを繰り返しているように思え、袋小路に入り込んでしまったように思えた。
 巨大迷路に迷い込み、うろうろしているのを、上から見ている誰かがいる。入り込んでいる自分は大きな迷路を感じているが、上から見ている人は、箱庭に迷い込んだ小さな虫のように思っているのかも知れない。上から見ている人はすべてが見えているが、迷い込んだ人間にとっては、まさか上から誰かに見られているなど、想像もできないだろう。喜兵衛が村にいる頃がまさにそんな状態だったのではないかと思っていた。実際に、普通に暮らしていれば、一生村から出ることなどありえるはずもなかったからだ。勝手に村から出てはいけないという規則がある。封建制度では当たり前のことであった。
 喜兵衛は古文書を読んでみた。そこに記載されていた時代は、戦国時代から始まっていた。
 この古文書を書き残した人がいる。そして、書き残した古文書を地中に埋めてしまった人がいる。普通に考えれば、その二人は同一人物であろう。しかし、喜兵衛にはどうも同一人物のような気がしなかった。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次