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落ち武者がいた村

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               第一章 落ち武者

 時は戦国、群雄割拠の世の中を、歴史の表舞台を歩く人間と、誰にも知られずに一生をいつ終えたかも分からない人間が、作っていた時代。悲劇を数えきれないほど繰り返しながら、着実に流れる時間に身を委ねている。まわりの自然は何事もなかったように時だけを刻むが、自然を形成している土の下には、どれほどの人間の血が流されたことだろう。そんなことを想像できるのは平和になった時代の人にしかできないが、同じ時代を生きたわけではない人に想像などできるはずもない。実に皮肉なものである。
――生い茂った草木が口を利けたなら――
 歴史の目撃者は、物言わぬ草木や木々であった。彼らは人間よりもはるかに長生きだ。それなのに、殺し合う人間たちを見て、何を感じていたのだろう? 人間には人間の理由があるとはいえ、兵隊たちは、自分に縁もゆかりもない人を次々に惨殺していく。誰もが初めて目の前にした人ばかりである。もちろん、恨みつらみがあるはずもない。戦という言葉の元、
――殺さなければ殺される――
 理由があるとすれば、たったこの一言に尽きるだろう。
 もちろん、彼らが歴史の表舞台に現れることはない。命を全うすることもなく、人知れず死んでいくのだ。
 しかも、まわりで斬りつけられて、悶絶しながら死んでいくのを見ながら、自分もキリ殺されるのを待っているかのように、がむしゃらに相手に斬りかかる。足軽風情に、褒賞や賛美などあろうはずもない。
――もし、今回生き残ったとしても、次の戦では、この命ないかも知れない――
 そう思っている人も少なくないだろう。
 さらに戦の悲惨なところは、戦が終わっても、躯はそのまま打ち捨てられることだ。もちろん、勝者の側にいれば、供養などもしてもらえるであろう。しかし、敗者となり、主君が滅亡でもさせられたら、誰が供養するというのだろう。今の平和な世の中からは、そんな過去の時代を想像することはできない。
 そんな歴史の証人は、誰だというのだろう。だから、戦国大名のことを書き残す人物がいたのだ。
 たとえば有名なところでは、織田信長の「信長公記」秀吉の「川角太閤記」、あるいは武田信玄の「甲陽軍鑑」など、その代表と言えるだろう。
 ただ、歴史の証人として残された書物は、実は無数に存在している。名もない神社やお寺に代々受け継がれている書物もあれば、先祖が大名や家老だった家に家宝として伝わるものも残っていたりする。
 ここで紹介するお話も、ある村に昔から伝わっている話で、書物としては、かろうじて村の鎮守に収められていた。
 鎮守と言っても、それほど霊験あらたかなものなのかはハッキリとしない。ただ、大切に保管されて代々の神主に受け継がれてきた。
――中を決して開いてはいけない――
 などという言い伝えもない。
 それでも代々の神主は、開けてはいけないということを暗黙の了解として伝えてきた。そんな中、今の神主は、自分の興味本位からその書物を開いてみた。
 彼は神主でありながら、あまり迷信めいたことを信用しているわけではない。ある意味現実的なところがある男の一人にすぎない。
 もっとも、彼は神主になる前から書物に対して、かなりの興味を持っていて、神主になったのも半分は、この書物を読みたいと思ったからだ。
 彼は名前を緒方といい、緒方神主は、生まれつき好奇心旺盛な性格だった。
――俺がこんなに生まれつき好奇心旺盛なのは、神様が俺の生きている間に何かこの性格を生かし、何かをさせたいという意図が働いているからなのかも知れない――
 という思いに駆られるようになっていた。
 子供の頃からその思いはあったはずだが、元々慎重な性格な性格も持ちあわせている緒方神父は、その思いを抑えていたのだ。
 好奇心旺盛でも、その思いを抑えることができる慎重な性格を持ちあわせていることで、余計に最初に考えた、
――神様の意図――
 が理解できるような気がした。
 つまりは、
――神様が俺に何かをさせようとしている時期やその事柄をしっかり見極めておかないといけない。それは、きっと一回こっきりなのではないか。それだからこそ、高貴神宝聖菜性格と、慎重な性格という相容れない性格をわざと同居させたのではないだろうか?
 ということであった。
 元々、緒方神主はこの村の出身ではない。ある日、どこかから流れてきた女性が、赤ん坊を鎮守の前に置き去りにして、そのまま行方をくらましてしまった。当時の神主は警察に届けて行方知れずの母親の捜索をしてもらったが、結局見つかることはなかった。本来なら、捨て子として、施設に預けられるのが筋なのだろうが、警察に届けた神主から、
「この神社で引き取らせてはもらえないだろうか?」
 という申し出があったことで、赤ん坊はそのまま神社で育てられることになった。
 当時神主には子供がなく、
「この子は、神様が私たちに与えたるものだ」
 と言って、鎮守で育てられることになったのだ。
 結局、母親が見つかることはなく、神主にも子供が生まれることはなかった。最初に神主が下した選択に間違いはなかったのである。
 緒方少年は、神主の思い通りに育って行った。
「この子は、神社の申し子なのかも知れないな」
 と神主が感じたほどだった。
 勉強は決してできる方だとは言えなかったが、記憶力は他の子供よりも優れていた。次第に神主は緒方少年の好奇心が旺盛なところにも気付いていたが、それは、緒方少年の記憶力が優れていることと関係していた。
 記憶力が優れている反面、想像力はあまりよくはなかった。考えを発展させたりする学問や、芸術のようなものには疎く、暗記関係の学問には長けていた。
――想像力の欠如は、反動としての好奇心旺盛を煽っているのではないだろうか――
 と思うようになっていた。
 さらに、高校生の頃になってくると、緒方少年の性格が二重人格の様相を呈してきたことを、まわりの人にも徐々に分かってくるようになった。
 一緒にずっと暮らしている神主には、緒方少年の二重人格性というのは、小学生の頃から分かっていた。
 しかも、二重人格というのは、性格の根幹に当たる。つまりは大人になるにつれて変わってくることはおろか、なくなっていくということはありえないだろうと思っている。
 その思いに間違いはなかった。
 そういう意味では好奇心旺盛なところは、緒方少年の性格の中では
――悪い方――
 に違いなかった。
 緒方少年の中学時代に分かるようになってきた、慎重な性格を、
――いい方――
 の性格だとして、神主は意識していたのだ。
 そんな緒方少年に、神主は彼が高校生になった頃、この神社の所蔵としての「書物」が残っていることを初めて告げた。最初に気が付いた、
――好奇心旺盛な性格――
 だけしか表に出ていなければ、緒方少年に書物のことを話すのは時期尚早だと思ったに違いない。だが、中学生の頃から徐々に慎重な一面を見せ始めた緒方少年を見て、
「今のうちに、書物のことを話しておこう」
 と、感じたのだ。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次