落ち武者がいた村
喜兵衛は、この村の掟を知りすぎているくらいに知っている。なぜなら、自分の親も実は兄妹で、母親は父の妹だったのだ。村の掟があるからと言って、禁断だとされている近親相姦で生まれた子供。そこには何か因縁めいたものがあるという噂は、村人の間で囁かれていることだった。
――他の村人は、両親のような立場に陥った時、村の掟を守ってまで、家を存続させようとするのだろうか?
確かに、村の掟を守らなかったために、滅んでしまった家も少なくないとは聞いている。百年前に比べて、村からいくつの家がなくなったのかということもウスウス分かってはいた。
しかも、家が滅んだ時というのは、
「竜巻に巻き込まれた」
という説もある。
いきなり襲ってきた竜巻に襲われ、家は跡形もなく消えてしまった。そのため、
「その家は、最初からなかったんだ」
という「暗黙の了解」が、村に蔓延るようになったのだと聞いたことがあった。
喜兵衛の母親は、病気で死んだというが、ひょっとすると禁断を破ったためにバチが当たったとも言える。竜巻に巻き込まれて一家はこの世に存在したことすら否定されるほどに綺麗さっぱりとなくなってしまうのがいいか、誰か一人が犠牲になるのがいいのか、それは誰にも分からないだろう。
喜兵衛は、引っ込み思案な性格で、まわりの人に馴染むことはなかった。人の話には聞き耳を立てるが、自分から話をすることはない。まわりの人もそんな喜兵衛のことを気持ち悪がってか、話をする人はいなかった。当然、村の女性とも懇意になることはなかった。
好きな女性がいるにはいたが、彼女には、他の地主の息子が言い寄っていた。しつこくされているのを見かけていたので、何とか助けてあげたいと思ったのだが。どうしても自分の気弱さが災いして、見て見ぬふりをしてしまっていた。
――きっと彼女もそんな俺のことを、意気地のない男として見ているに違いない――
そう思うことで、余計に喜兵衛は自分の殻に閉じこもってしまう。
――このままだと、村の掟に従うことはできない――
近親相姦で何とか家を繋ぎとめようにも、喜兵衛は一人っ子だった。この村の言い伝えとして、
「近親相姦で何とか家を繋いでも、次の代には、一人っ子しか生まれない」
というのがあるが、まさしくその通り、だが、考えてみればそれも当然のことだった。母親は喜兵衛を生むと、すぐに死んでしまったからである。
逆にこの村では、近親相姦で子供ができると、二人目を生んではいけないという掟があるため、母親は無理やりにでも家を出される。他の土地に嫁に行かされることもあり、逆に、村を出たことで、しがらみに圧し潰されることもなく、平穏に暮らしたという話は、この村では誰も知らないことだった。
「この村では、女の価値は、子供を産むことだけだ」
と言っても過言ではない。いかにも封建制度の社会の中に存在している村らしいと言えるのではないだろうか。
喜兵衛は困り果てていた。
「このままでは、家が断絶してしまう」
この村の地主で、家を存続させることができずに滅んでいった家は少なくない。だからこそ、地主は一軒ではないのだ。何軒か地主がいることで、他の土地から隔絶されたこの村が生き残っていけたのである。
喜兵衛は、家を残せないということが切実な問題として自分に降りかかってきたのを実感すると、何かに怯えるようになっていた。ただでさえ引っ込み思案なのに、さらに人を近づけなくなってしまった。心配している人もいるのだが、それを表に出せないでいた。もし、心配していることを表に出してしまうと、余計に喜兵衛が殻に閉じこもってしまうのが分かったからだ。喜兵衛自身が殻を破らない限り、この危機を乗り越えることはできないのだ。
喜兵衛の発想として、育った環境がそんな発想を抱かせたのか、女に対しての差別的な発想が大きかった。
「女は子供を作るのだけが許された人権」
というほどに思っていた。
その思いが根底にあることで、女に対して、
――自分が優位になったいなければいけない――
という思いがあった。
子供の頃は、親の権力もあって、女を蔑んだ目で見ていてもよかったが、そのうちに、その思いに変化が生まれてきた。根本的な考えは変わらないのだが、自分が女性に対してそこまで偉いのかどうか、疑問に思うようになってきた。
その思いが、女性を遠ざけることになった。次第に、
――女というのは、怖い存在だ――
と思うようになってきたのだ。
完全に違う人種として女性を見ていると、今度はその女性に対して思春期になると抱く妄想だったり、身体の反応だったりがまわりの男性に見られるようになると、
「汚らわしい」
と、男を感じるようになった。
自分も男なのだから、汚らわしい一人に違いない。そう思うと、思春期に感じたムズムズした思いが何だったのか、今では遠い過去に思えるのだが、決して頭の中から消えることはなかった。
それを本能だと思えば、自分を納得させることができたのかも知れない。しかし、本能という発想自体、喜兵衛にはなかった。
自分の発想すべては、自分の意識の中から出てきたものであり、理解できないだけで、キチンとした理由が存在すると思っていたのだ。
理由が分からないことで、次第に村の掟が自分にのしかかってくることを制御できなくなってきた。男であり、女であっても、自分のまわりに近づけることを一番嫌ったのだ。その理由の一つが、
「まわりの人の影響は、自分の考えを纏めるにあたって、邪魔にしかならない」
という発想だった。
自分の殻に閉じこもったと言ってしまえばそれまでだが、そこに村の掟が引っかかっていることに気づいていないだけで、最後に行き着くところは、またしても、村の掟という扉なのは、皮肉なことだった。
喜兵衛はどうしていいのか分からない。もちろん、家の存続を考えて、家族は皆頭を悩ませている。
「あなたのために」
と、親やおじさん、おばさんは親身になって話を聞こうとしてくれているようだが、喜兵衛の目から見ると、誰もが自分のことしか考えていないようにしか見えなかった。
最後は、おばさんが家の存続のために、近親相姦という禁断を破ろうとも考えていたが、結局は、その思いは実らなかった。そのことを察知した喜兵衛は、寸でのところで、村を出たのである。
おばさんもまわりの人も、かなりの決断だったに違いない。考えが浮かんでから実際に覚悟が決まるまで、かなりの時間を要した。逆にそのことが、喜兵衛にその思いを悟らせることになった。どんなに隠そうとも、決死の覚悟でまわりが固まっているのだから、不穏な空気を悟らないわけもない。具体的な内容までは分からなかったが、喜兵衛でなければ、村を去ることはなかっただろう。それだけ喜兵衛はまわりに対して触角を張り巡らし、自分に危険が迫った時に、敏感に感じられるようになっていたのだ。
喜兵衛は、自分では意識していない「本能」のままに動いた結果だった。ただ、そのせいで、村に残った自分の家は断絶し、結局、村の歴史からも、自分の家が存在したことが否定されてしまった。
そのことを悟っている喜兵衛は、
「それなのに、どうして俺は存在できているんだ?」