落ち武者がいた村
ただ、その記憶というのは明らかに彼女の目線での記憶ではないのだ。彼女のことを客観的に見ている記憶だった。
だが、若い僧にはそんなことはどうでもよかった。それが誰の記憶であれ、落ち武者の記憶がないということが彼にとって一番ありがたいことだったからだ。
若い僧には、身投げを試みるまでの彼女が、落ち武者に対してただならぬ気持ちを抱いていることを危惧していた。
――あんな奴よりも、私の方が――
という意識である。
相手は武士と言っても足軽で、しかも落ち武者ではないか。功徳を積んで、これから高貴な僧になろうかとしている自分とは、最初から比較にならないと思っていたのだ。それが嫉妬であることに気づいていなかったのは、若さゆえだと言って、片づけられるものではない。
女は最初こそ、食欲もなく心配されたが、次第に顔色もよくなり、起き上がれるようになっていた。二人が心中を図ってひと月ほどが経っていたが、その頃には、心中の相手であった落ち武者がどうなったのか、噂は村全体に広がっていた。
ただ、噂には尾ひれがつきもので、
「落ち武者は、滝つぼに叩きつけられて、即死した」
という話や、
「いやいや、死体は上がらなかったので、どこかで生きているという話もある」
という話など、さまざまだった。
一か月という期間は、噂を広げるところまで広げる期間であり、それが一つになることはないだろう。
「人の噂も七十五日」
というではないか、狭い閉鎖された村のことなので、そんなに長い話題になることもないだろう。そう思うと、落ち武者がどうなったのか、噂だけでが暴走する形で、尻すぼみになってしまうことは予想された。
幸い、彼女は落ち武者のことを覚えていない。今なら、そんな根も葉もない噂を聞かされても、他人事のように思うかも知れないが、それでも、彼女に落ち武者の話題を向けることは、若い僧にとっては冒険以外の何物でもなかった。
しかし、彼女が冷静になってくれば来るほど、若い僧の精神状態はおかしくなってきた。何か歪みのようなものがあるように思えてならない。もし、誰か客観的に見ている人がいたとすれば、
「彼は、何かあることをきっかけにして、思考回路が狂ってしまったのではないだろうか?」
というであろう。
表立って、彼の思考回路が狂うようなことはなかった。女性を匿っていることで、次第に、
――誰かにバレたらどうしよう――
という思いがあるのは事実だ。下手をすれば、和尚様から追い出されるかも知れない。しかし、若い僧とすれば、彼女を匿っていることは「人助け」であり、放り出すことは仏門に入った人間のすることではないと自負している。もっともそれは彼女に対しての贔屓目があってのことであり、立場的にはどうなのかを考えると、不安しか残らない。
――なるべく考えないようにしよう――
逃げに走っているのは分かっていたが、それ以外に、自分が人助けをしているという正論が通らない気がした。
自分が、他の村人と違う人間だということをずっと意識してきたが、この時ほど、そのことを正当化させたいと感じたことはなかった。この時に若い僧が感じた思いは「閉鎖的」という感覚であり、そう感じたことが、精神的なずれを生じさせたのだということに気づくはずもなかった。
自分の記憶が定かではない女性を匿うということがどれほど大変なことか、身を持って感じている若い僧だったが、彼の感覚はどうしても、「他人事」であった。
――記憶がないということはどういうことなんだろう?
他人事だとは思いながらも、何とか想像していようとはしていた。
例えば、今から一時間過ごしたとして、一時間後に、その間の記憶が消滅してしまったとすれば、どのように感じるだろう?
記憶の最後がつい今の感覚になってしまい、一時間が何もなかったわけではなく、時間を飛び越えて今に至ったと考えられないこともない。
彼はそんな発想を持っていた。
戦国時代にそんな考えを持てる人がどれほどいるというのだろう? ひょっとすると、僧という神仏に近いと思っている人間であれば、非現実的なことを考えるのもありなのかも知れない。武士や庶民のように、俗世に生きている人間にとって非現実的なことを考えるのは、自分たちにとって何の役にも立たない。それは損得の問題ではなく、もっと切実な生活している上で、必要不可欠なこと以外は、考える必要のないことだという世界なのではないだろうか。
特に武士の棟梁であったり、国主であれば、余計なことを考える暇などありはしないからだ。
封建的な時代であればこそ、余計に自分たちの役割が確固たるものであるべきではないだろうか。一糸乱れぬ統率がなければ、すぐに他国に侵略され滅んでしまう。それこそ封建的な時代の中でも群雄割拠が入り乱れる戦国の世だと言えるのではないだろうか。
そんな中、僧侶の立場というものは、曖昧だった。この時代の僧侶は、政治にも積極的に参加していた。それは、武士の世の中が来るまでの過去の時代の名残りからであるが、何と言っても、彼らは武装勢力でもあった。しかし、名もない山奥の僧には武装できるほどの集団があるわけでもなく、村の中でひっそりと暮らしているだけの立場だった。決して表に出ることもなく、神事がある時だけ「お勤め」をする。少なくとも村人には、それだけしか目には映っていなかった。
ただ、この若い僧は少し違っていた。
静かにしていればいいものを、どこか俗世に興味を持ってしまっていた。まだ若いので、破戒僧とまでは行かないが、心の奥では俗世間の人間と同じような欲望が渦巻いている。
特に女性に対しての欲望は、同じ年代の青年たちと同じくらいのものがあり、自分が僧であるという立場なので抑えなければいけないという気持ちが欠落していた。
最初から欠落していたわけではない。ある日突然欠落したと言ってもいい。
「悪魔が私に囁いたのだ」
と思っていた。
具体的な声が聞こえたわけではない。自分の心境の変化を自分で納得させるために考えた詭弁なのだろうが、それを認めたくなかった。認めてしまうと、今の自分の存在を自分自身で否定してしまうと感じたからだ。
この時から、彼にはジレンマが生まれるようになった。
「僧というもの、迷いが生じても仕方がないが、それを解消できるのは自分でしかない。そうでなければ、俗世間の人間たちを導くことができないからだ」
と僧がまだ子供の頃に、神主から言われたことがあり、
「どこに導くのですかか?」
と訊ねると、神主は笑いながら、
「それは、これから自分で探していくものだよ」
と答えた。
その時の神主の笑顔は、それまでに見たことのないものだったが、印象的なものだった。今ではそれが苦笑いだと分かっているが、子供の頃から、その時の神主の笑顔を自分もできるようになりたいと思っていた。
いつの間にかできるようになっていたが、そのことに若い僧は、ずっと気づかないでいた。そのことに気が付いたのは、自分にジレンマがあるということを感じるようになってからだった。
いや、ジレンマに気づいたから、自分の笑顔が苦笑いだと思うようになり、鏡を見て初めて、