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落ち武者がいた村

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 二人の身体は宙に浮き、下に落ちていくはずだったが、宙に浮いたまま、なかなか下に落ちていかない。それどころか、心なしか、高くなっていくくらいだった。
 それだけ滝の勢いというのは凄まじいものがあった。
 彼女は何も感じていないようだったが、落ち武者は落ちていくはずの身体が、さらに浮かび上がってくるのを感じていた。無意識に泳ぐような仕草をしたのは、助かりたいという気持ちの表れだろうか。
 しかし、すぐに我に返った。
「どうせ死ぬんだから、一気に滝つぼに叩きつけてくれ」
 と感じた。
 今さら死ぬまでの間に時間を取ったとしても、それは生殺しのようなものだ。何も考えることなく叩きつけられれば楽に死ねると思うのだ。
 死を覚悟した人間にだって、
「楽に死にたい」
 という思いはある。
 しかも、落ち武者は一度戦に敗れて死を覚悟したのだ。それでも彼女に助けられ、一度は、
「生まれ変わったつもりで生きてみよう」
 と考えたのだ。またしても死を覚悟しなければいけなくなるのは、最初に覚悟した死に対してよりも何倍も辛いものではないだろうか。
「そう何度も、死ぬ覚悟なんてできないものだ」
 と感じ、
「どうせなら、戦に敗れた時、死んでおけばよかったのだ」
 という思いにも至るだろう。
 彼女に助けてもらった命だったが、結局は彼女の甘さから、また死を覚悟しなければいけなくなるのだ。そう思うと滝つぼに一気に叩きつけられない自分の運命は、非情なものでしかないことを悟った。
 身体が宙に浮いている間、いろいろなことが頭をよぎった。国に残してきた家族への想い、その思いを落ち武者になってから自分で無理に打ち消してきたことを後悔していた。
――思い出してやらなかったことが、今ここで思い出さなければいけなくなってしまったのかも知れない――
 死への苦しみというものが、どんなものか、今さら思い出していた。落ち武者になってしまった時も同じことを考え、彼女に助けられた時から今まで、自分は記憶を失っていたのではないだろうか。
 そんな風に感じると、
――わしの記憶は、どこに行ってしまうのだろう?
 と感じた。
 自分はこのまま死んでしまう。死んでしまったら、魂は残るというが、本当にそうだろうか? 記憶まで残るとは思えない。自分の記憶をどこかの誰かが拾いあげて、何かの拍子に意識することもあるのではないか?
 落ち武者は、自分が初陣の時を思い出していた。
 あの頃は、死を恐れることよりも戦に出て、自分が手柄を立てることしか頭になかった、たかが足軽ではあったが、いつ何時、相手の重鎮、下手をすると大将の頸を上げることもできるかも知れない。そんな思いをなぜ今さら思い出すのかと思ったが、そういえば、あの時、自分の記憶ではない何かが頭をよぎったのを思い出した。
 それは、戦に対して、それまで感じていたこととはまったく違った感覚で、訳も分からず、恐怖が頭の中を巡っていた。
――どうして、こんな思いに駆られなければいけないんだ?
 そう思った瞬間、今度は一気に背中に痛みを感じ、急速に下の方に叩きつけられていくのを感じた。
「ああ、いよいよ最後か」
 この思いを感じることができたかどうか分からない。落ち武者はそのまま滝つぼに叩きつけられていた。
 では、女の方はどうなったのだろう?
 彼女の方は、運よくと言うべきか、身体が宙に浮いたおかげで、そのまま身体の軽さからか、滝つぼに落ちようとしていたにも関わらず、飛び込んだあたりに、もう一度叩きつけられた。
 ただ大した高さではなかったので、気を失った程度で済んだが、それでもケガを負っていた。そのまま放っておけば命はないところだが、心中の様子をじっと見守っていた男が一人いたのだ。
 その男こそ、彼女のことをじっと見ていた僧だった。心中しようとしている二人をなぜじっと見つめていたのか、我に返った今の彼にはよく分からなかった。本当は止めるべきだったはずなのに、
――このまま二人が死んでくれれば、私は迷わずに済むのかも知れない――
 という思いがあったのも事実だった。
「彼女がいるから、私は惑わされているのだ」
 好きになった相手に自分の気持ちを打ち明けることもできず、悶々とした気持ちになってしまっていたのをすべて相手のせいにすることがどれほど気が楽なのかということに、彼は気づいていた。
 もちろん、僧としては許されることではないが、まだまだ彼は未熟な発展途上の修業の身、彼女への未練を断ち切って、修行に専念するには、相手のせいにしてしまうことも仕方のないことだと思うようになっていた。
――それなのに、どうして彼女は死んでくれないんだ――
 と、その場に居合わせたことを今さらながらに、後悔した。だが、落ち武者だけが死んでしまって、彼女だけが生き残った。その事実に若い僧は、
「助けなきゃ」
 と、純粋に思ったのは事実だった。若い僧は彼女を寺に匿ったが、いつまでも匿っていられるわけではない。いずれは見つかってしまうことになるだろうが、それまでに何とか次の手立てを考えておかなければならない。
 女を奥の蔵まで連れて行った時、意識は戻っていなかった。
「まさか、このまま意識が戻らないなんてことはないだろうな」
 と、若い僧は不安に駆られたが、そんなことはなかった。二日間ほど眠っていたが、三日目の朝には目を覚ました。
「ここはどこなの?」
 彼女は自分の置かれている立場を分かっていない。自分が死のうとしたことも、すぐには思い出せないようだ。
 無理もないことだと若い僧は思った。自分が同じ立場でも、きっと思い出せるはずもないと思ったからだ。だが、それはショックから来ていることであって、根本的に記憶が欠落しているわけではないので、ゆっくり思い出せばいいと思っていた。むしろ急速に思い出して、また死を考えないとも限らない。そのシナリオが、若い僧にとっては、一番嫌なものだった。
 助けたことが仇になるというよりも、自分の身が危うくなるかも知れないという思いがあったからだ。本当なら落ち武者と一緒に村人に突き出さなければいけない相手、しかも、最初に彼女に疑念を抱いたのは自分だったではないか。これ以上、自分の思惑から独り歩きを始めると、どうしていいか分からなくなる。それが、若い僧にとって、一番困ったことだったのだ。
――このまま、記憶が戻らないということが一番いいのではないか?
 若い僧にとって何が嫌かというと、自分が余計なことを言ったせいで、彼女がまた死を考えるようになるのが怖いことだった。
 意識を取り戻した彼女は、言動を聞いていると、どこかがおかしいことは若い僧にも分かっていた。
「いったい、何が言いたいというのだろう?」
 彼女は記憶は失っているようだが、それも部分的にだった。僧のことは覚えているし、以前に駆け落ちをしようとした記憶も残っているようだ。しかし、落ち武者を匿っていたことはおろか、落ち武者がいたということすら覚えていない。かといって、その頃の記憶がないというわけではない。断片的にではあるが、訊ねてみると、確かに落ち武者と一緒だったと思われる時期の記憶は残っている。
作品名:落ち武者がいた村 作家名:森本晃次