孤独たちの水底 探偵奇談12
地面に膝をついて水たまりの中を見る。いま、名前を呼ばれた。この水面の奥から。
「何も聞こえなかったが…」
「聞こえたよ、先輩の声だ!」
静かすぎる世界に唐突に声が響いたのだ。確かに伊吹の声だった。
「怒ってたもん!」
「…本当か?」
しかしもう一度水面を覗き込もうとしたとき、サーと涼しい風が吹き、水面に波紋が広がってしまう。たちまち水鏡はただの水たまりに戻ってしまったのだった。
「つながってる、先輩がいるんだ…!」
早く帰らなくちゃ。
気持ちが急いてくる。伊吹はきっと自分を探している。同じような、わけのわからない世界の中で。
「…瑞、あれを見よ」
白狐が指さす先。ハレーションを起こす白い景色の中に、誰かが立っているのが見えた。
「あのひと…沓薙山で会った…」
鶯色というのか、淡い緑の和装姿の老人。柔和な笑顔、白い髪。逆さ地蔵の世界に迷い込んだ時に会った老人だ。幾度も夢にみた人物。上品な歩き方、存在感。覚えがある。瑞はこのひとを知っている。
「瑞」
道の先にいた老人のそばまで走ると、彼はすべてを察しているかのように落ち着き払った態度で頷くのだった。
作品名:孤独たちの水底 探偵奇談12 作家名:ひなた眞白