孤独たちの水底 探偵奇談12
水鏡の向こう側
雨の音がする。瑞は静かに覚醒した。
「…なにここ」
瑞は、薄暗い座敷の中にいた。燭台のろうそくの火がジジと音を立てて燃えているのと、暗い行灯以外に光はない。眠っていたのだろうか。身体を起こして辺りを観察する。異様に低い天井。汚れた畳。周囲は漆喰の壁に囲まれている。狭い部屋に、出入り口はなく、壁一面に札のようなものがびっしり張られていた。閉じ込められている。そんなイメージが簡単に沸くような空間だった。
「許せ」
「…お狐さん?」
白髪の作務衣姿の少女、裏庭の白狐だ。彼女は瑞のそばにぽつんと正座している。沓薙の一柱。瑞とはなにかと縁の深い神様だった。
「ここどこ?俺、学校にいて…」
そうだ、待ち合わせをしている。伊吹が待っている。早く行かなくては。
「ぬしはここから出られない」
白狐の少女はすまなそうにそう言う。
「…は?」
「沓薙の三柱が、ぬしの魂がこれ以上摂理を歪めることを許さぬと申しておる」
どういう意味だ。嫌われて監視されていることは知っているが…。
「ぬしの魂の半分が、境界線を越えてしまっている。魂の記憶が徐々に戻ってきたせいだろう」
「え?」
「なかったことになった世界のおまえが、己の半身と邂逅を果たしてしまっている」
意味が分からない。どこからか聞こえてくる雨の音だけが、サアサアと耳に届き現実味を帯びていた。怪訝な表情を浮かべる瑞に、狐は続ける。
「いつかの時代、いつかの世界のおまえが、神末伊吹に接触した。おぬし、伊吹から櫛を受け取ったであろう」
櫛。そう、櫛。古多賀家の事件がなんとか解決に向かったあの日。返す、と伊吹から言われて受け取った古ぼけた飾り櫛。自分のものではないのに、なぜか懐かしくて手放せないあの櫛だ。肌身離さず持ち歩いていた。制服のポケットに手をやり、ないことに気づく。落としたのだろうか…。
「あの櫛が、なに?」
「あれは、かつてのおまえが、神末伊吹に渡したものなのだ」
かつてのおまえ。
作品名:孤独たちの水底 探偵奇談12 作家名:ひなた眞白