di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア
4.渦巻く砂塵の先に−2
すらりとした長身。筋肉質の均整の取れた体つき。年の頃は二十歳前後といったところだろうか。
癖のない黒髪を肩まで伸ばした、神の御業を疑う中性的な黄金比の美貌――。
彼を見た瞬間、《蝿(ムスカ)》は息を呑み、背を預けていた外壁から思わず体を起こした。
「エルファン……!」
《蝿(ムスカ)》は、まなじりを決し、衝動的に刀の柄に手を伸ばす。
だが、地に伏していた鷹刀一族の子猫、ルイフォンが「リュイセン……」と、別の名を口にした。
「……っ! エルファンの息子か……」
そう呟いて、《蝿(ムスカ)》は冷静さを失いかけた自分を諌めた。
男――リュイセンは、一度だけ《蝿(ムスカ)》に目を向けたが、それだけだった。彼が父親と瓜ふたつであることは自他ともに認めるところであったし、鷹刀一族の次期総帥たる父は、ほうぼうで恨みを買っていることも重々承知している。すなわち、いちいち気にしていたら、やっていられない。
彼は満身創痍のルイフォンに向かって、溜め息をついた。彼の弟分たる叔父は、普段は寝ているときも編んだままの髪を振り乱し、野生の獣の様相を呈していた。
「……異国に出掛けていた俺よりも、自国に残っていたお前のほうが、よほど奇想天外な体験をしていたようだな」
「はは……。羨ましいだろ」
「気を失いながら言う台詞じゃないだろ!」
リュイセンは眉を吊り上げた。作り物のように整いすぎた綺麗な顔立ちが、一気に人間味を帯びてくる。
「お前たちのおかげで、俺は帰国早々、謂れなき罪で警察隊に拘束されるわ、父上に無理矢理、脱走させられるわ、ミンウェイに無謀なバイクチェイスを強要されるわ。散々な目に遭ってきたんだぞ!」
まったく、とリュイセンは再び溜め息をつく。
ちょっと留守をした間に、あとさき考えない楽天家の祖父が厄介ごとを招き入れており、年下の叔父は棺桶に片足を突っ込んでいる。たまったものではない。
「ルイフォン、俺の個人的見解では、その貴族(シャトーア)の女は即刻、見捨てるべきだと思っている」
さらさらとした髪の黒さが、酷薄な唇の赤さを引き立てながら、リュイセンは告げる。彼は傷だらけのルイフォンを見やり、歯噛みした。
この弟弟子の戦闘能力は決して高くない。その辺のごろつき連中になら圧勝できるが、凶賊(ダリジィン)相手には赤子同然。そんな中途半端な力量。特に体格的に不利な面が多く、傷を負ったら最期だと思えと、師匠たるチャオラウに言われており、本人もそれを熟知しているはずだ。
……それが、この有様(ザマ)かよ――。
信じられないことだが、それだけの事情があるのだと、解釈せざるを得ない。
リュイセンは、もう何度目か忘れた溜め息をつき、タオロンを瞳で捕らえた。すっと腰を落とし、いつでも動ける構えを示す。
タオロンへの無言の圧力――。
「あとで聞きたいことが山ほどある。だが今は、その女を連れて逃げろ。俺がここまで乗ってきたバイクが、そこの角に止めてある」
そのとき、《蝿(ムスカ)》が、ゆらりと動いた。リュイセンの正面に歩み出て、彼がタオロンに向けている視線を遮る。
「エルファンの息子。勝手に取り仕切るのも、そのくらいにしてくれませんか」
不気味な笑みを口元に載せた《蝿(ムスカ)》に、リュイセンは並ならぬ技量を感じた。
――それと同時に、タオロンを牽制できなくなったことを悟る。すなわち、ルイフォンの退路が断たれたということだ。
「俺には、リュイセンという名前がある」
「それはそれは、失礼いたしました。私は凶賊(ダリジィン)の斑目一族にお世話になっております《蝿(ムスカ)》と申します。以後、お見知り置きを――エルファンの小倅」
「こいつ……!」
人を喰った《蝿(ムスカ)》の態度に、リュイセンは気色ばむ。
帯刀しているのは愛用の双刀。倭国に飛び立つ際に、空港に出店している小料理屋に預けておいたものだ。警察隊からの脱走劇のさなかでも、受け取りに行ったのは正解だった。これがあれば天下無双――。
「白髪親父、俺は帰国したばかりなんだ」
リュイセンは怜悧な瞳を《蝿(ムスカ)》に向けた。
「俺は風呂に入りたい。フライト中、俺の汗腺が自己主張をしていた。それと、料理長の飯だ。異国の料理も不味くはなかったが、俺の口には今ひとつだった。そしたら、寝る。俺は疲れた。面倒臭いことはしたくない」
軽く顎を上げると、さらさらとした髪がリュイセンの頬を流れた。口とは裏腹に、汗ばんでいるとは到底思えない涼やかさである。そして、旅で疲弊しているはずの瞳が、好戦的な輝きで満たされていく。
「――という、この俺の邪魔をする奴は、問答無用で叩き斬る!」
そう言い終わるやいなや、リュイセンの体が一瞬だけふわりと浮き、次の瞬間に地を蹴った。
ひとつの鞘から、ふた筋の光が生まれ、リュイセンの両の手にひとつずつ宿る。ひとつの刀の刀尖から柄頭までを、雷(いかづち)で真っ二つに裂いて鍛え上げたような、双(ふた)つの刀。
鏡に映したかのように、そっくりでいて対称な存在は、しかし、それぞれの意思を持って自在に舞い踊り、《蝿(ムスカ)》に襲いかかった。
《蝿(ムスカ)》は、腰の刀をすらりと抜き放った。細い刃を華麗に旋回させ、リュイセンの続けざまの二撃を受けさばく。
――火花が散った。
「く……っ」
腕の痺れを感じ、《蝿(ムスカ)》が声を漏らす。
「『神速の双刀使い』……。なるほど、父親譲りですね」
「ふん」
リュイセンが鼻を鳴らす。彼が再び双刀を構えると、輝く二条の光が残像を描きながら手元から飛び出した。
それは途中で勢いを増し、あたかも流星群の如き猛撃となり、《蝿(ムスカ)》に飛来する。
しかし《蝿(ムスカ)》は、その数多の斬撃を己の刃で受け流し、あるいはその身で躱していく。
「こいつ……!?」
リュイセンが声を上げた。押しているのは間違いなく彼だった。けれど、ことごとく流され、致命傷どころか、かすり傷ひとつ負わせられない。
狼狽するリュイセンに、にやりと笑みを漏らし、《蝿(ムスカ)》が初撃以来初めて、正面から刀を合わせた。
廃墟に響き渡る、高く、澄んだ金属音――。
「な……?」
思いがけない重い感触に、リュイセンが戸惑う。
と同時に、彼の、その一撃の力を利用して、《蝿(ムスカ)》が大きく、ふわりと後ろに飛んだ。続くリュイセンのもう片方の手による刃が、空(くう)を裂く。
「……!?」
相手を失ったリュイセンの双刀が、彷徨うように宙を薙ぎ、風圧で大気を震わせた。《蝿(ムスカ)》は、それを嘲笑うように音もなく地面に降り立ち、流れるような動きで右腕を旋回させて、刀を鞘に収める。小花をあしらった鍔が鞘口と再会を果たし、かちりと鍔鳴りの音を立てた。
「なんのつもりだ?」
リュイセンが叫ぶ。
「私には戦う意思がなくなった、ということです」
「お前……?」
両の手に双刀下げたまま、リュイセンは眉を上げる。
「あなたは早く帰って風呂に入りたいんでしょう? 私も撤退したい。利害が一致しますね」
「負けを認めるというのか?」
作品名:di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア 作家名:NaN