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澤田文左衛門家の跡目相続

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「正伊の後を継ぐべき正続(マサツグ)のことはよく頼んでおいた。後は本人次第じゃ。正胤殿のことをあれこれとお話しして差し上げてので、房にも興味をもたれたようじゃ」
 房は、父である正胤のことをお方様が貞彰侯に話されたということに関心を持った。
「どのようなことお話しなさいましたので」
「そうよのう。藩士の知行借上げ三年で、返還に際しては利払いをするという約束を為さった。出入商人には藩の物産を売り捌いた高に応じて資金の貸付を為さり商人の手元を豊かに為さると同時に利息を藩に納めさせられた。知行地からの年貢は旱魃の被害を受けた村からに徴収を免除され農産品や軽工業品の加工で収入を上げるように資金を藩から貸付られ、その製品の販売を出入商人に委託為された。こうした智慧を、正胤殿は長い江戸詰の間に両替商から学ばれたと聞いておる」
「そうおっしゃれば、合点の参ることがございます。亡くなりました夫・久米七に、父が算用学を修めるように勧めていました」
「天下泰平なれば、武術は無用に等しい。産業を興し領民の生活を豊かにすることが藩士の仕事となった。藩侯たちは学問、芸術の振興にも力を注いでおられると聞き及んでいる。
 小泉藩は片桐石州殿が将軍・家綱様の茶道指南役を勤められたお家柄で、小藩なれども将軍家のお覚えは目出度い。貞彰侯も茶道にはご熱心であられる。正続もあやかるが良い」
と、お倫の方は武士の勤め方に絡めて曾孫の正続に思いをかけておられる。
「徳はいかがしておる。そなたが正伊の後妻に迎えたと言っておった和州郡山藩士・小保総左衛門の妹とのことじゃが」
 お倫の方が突然に、徳のことを尋ねられたので、房は虚を突かれたように狼狽したが気を取り直してお答えする。
「徳は小泉の屋敷に住まっています。夫・正伊の脱走後は、臥せる日が多いと聞いていますが幸い、総左衛門殿が小者や下女を遣わして何かと面倒を見てくださっていますので、不自由なく過ごしているとのことです」
「それは結構なことじゃが、幼児と引き離され、夫まで行方がわからぬでは、徳は悲嘆を抱え込んでいるであろう。房も徳と共に暮らす術はないものか」
 お倫の方は、何を思われたのか、房に徳との同居を勧められた。これには房が驚愕する。
暫く、返す言葉も出なかった。
「総左衛門殿が徳を引き取るわけにも行くまいし、徳も望まないであろう。しかし、何時までも徳を一人にして置くわけにも参らぬであろうから、江戸に住まわせて、正続の継母である自負心を持たせたいものじゃ」
「徳がそれを望みますれば、嬉しいのですが・・・」
 と、房は言いよどんだ。
「八尾が亡くなって二ヶ月後に、徳を正伊の後添いに迎え入れたのは、房の発意だったと聞いて居るが、何故、それほどに急いだのか」
 お倫の方は、房の躊躇を突き破るように尋ねられた。これには、房がたじろぐ。それを見て取ったように、
「柳沢侯とお会いしたときに、郡山藩の小保総左衛門殿のことに話が及び、徳の様子もわかった次第じゃ。総左衛門殿は重臣故、藩侯もよくご存知の間柄であった。そなたが、徳を正伊の後添えに迎えたのは、徳が前夫と離婚してまもなくであった。小保の先代と正胤殿が昵懇の仲であった故、そなたも、総左衛門殿とは馴染みがあった。そうしたことから徳を引き取ることになったのであろう」
と、お倫の方はご自身の推測を交えて話された。房はただ恐縮するばかりである。
「それにしても、八尾の死後、二ヶ月と六日で徳を迎えたのは、八尾の実家には衝撃であったであろう。そなたの夫・久米七の実家でもある。如何様に説明なさったか」
 と、お倫の方は房の急所に触れてこられた。これでは房が尋問を受けているようである。だが、お倫の方は房をいたわるような口調であったから、房は母に打ち明けるような気持に誘われていた。
「それは難渋なことでした。総左衛門殿の意を汲ませて頂いて、徳さんの落ち着きどころを大急ぎで整えさせてもらったのですが、八尾さんの父であられる松川綱右衛門殿にご不快な思いをさせてしまいました。
「久米七が存命であれば、激しく抵抗したであろう。一周忌を済ませるまでは喪中同然だからのう」
「そのことですが、総左衛門殿宅で、正伊と徳を見合わせましたところ、一目ぼれと申すのでしょうか、正伊が一日でも早く娶りたいと申したのです」
「総左衛門殿の都合と合致したということよのう」
と、お倫の方は頷かれた。

             四
 徳は総左衛門の三女で、郡山藩・藩主の係累・柳沢吉史家に嫁いでいたが故あって離婚した。そのとき、一子・良成を柳沢家に残してきたのである。総左衛門家では徳を引き取ることに憚りがあった。理非を問わず、主家筋への遠慮が先立っている。事を荒立てては総左衛門家が取り潰されるかもしれないという危惧が先走っていた。
 房は、徳を丁重に迎えたのであるが、先妻・八尾の実家からは祝いも届かなかった。勿論、綱右衛門からの祝詞もない。狭山藩の藩士である松川家よりも郡山藩の重臣である小保家を選択したのであろうと言う、ひがみとも本音とも取れる声が房の耳に入った。房自身はそれに反論もしない。自分の方針を貫くことで家の安泰を願った。何よりも優先したのは、八歳になったばかりの孫・松太郎の養育であった。
 松太郎は五歳で実父・正則と死に別れ、継父・正伊が婿入りしたが、八歳で実母・八尾をも亡くした。そこで、徳を継母に迎えたのである。房はこのとき五十二歳であったから、三十歳の徳に松太郎の細かな世話を頼むことにしたのである。そして、房自身は正伊を上士に仕立て上げ、松太郎が成長の暁には後を継がせるべく藩邸との付き合いに力を注いでいた。総左衛門家との縁戚であることは松太郎にとって強い後ろ盾であると思っていた。
 だが、徳に長男・計之助が授かると、房の思いは複雑であった。正伊は計之助に後を継がせようと思うであろうし、徳もそれを願うであろう。そのようなことは順序として起こるはずもないのだが、まさかと言うことが気になる。
 この日から、房は思案に更ける日が多くなったが、それを素振りには見せないように明るく振舞っていた。計之助には何の罪もない。むしろ、あどけない笑顔を見れば可愛い。しかしその情を振り切って他家に遣ったのは、松太郎の邪魔を除いて置きたいという一心が強かったのである。房は「涙を呑んで寺坊に遣った」と言った。
 徳の様子が変わったのはこの頃からだった。江戸詰であった正伊と共に藩邸内上屋敷のお長屋に住まっていたが、同居している義母・房とは口もかわさぬ仲になっていた。夫・正伊との仲はいたって睦まじく、三年後には、長女・絲が誕生した。これで幸福が再び戻ると思われたのだが、産後のひだちが悪く病臥し、授乳は難しく、乳母を頼る始末である。房は徳の面倒を見ているが控えめにしている。正伊の身の回りの世話は下女に任せ、自身は、十三歳になった松太郎の養育に心を砕いていた。ある日のこと、
「婿殿には、出仕恙無く目出度く存じます。さりながら、嫁殿の産後のひだちが思わしくなく、さぞご難渋と思います。されば、嫁殿を小泉に戻されて、ゆるりと静養いたさせてはいかがなものか、総左衛門殿が面倒を見てやろうと仰っています」