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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 指されて前列右から順に生徒たちが黒板の図に印をつけて行く。色についての評価はそれぞれ暖色か寒色かを印として表した。
「どうだろう」
 ウィバートが図を見ながら言う。「マイナーが随分多いのではないかな」
「すみません」
 気づかぬうちに、暖野は手を挙げていた。
「はい、どうぞ」
「この集計についてですが、人はマイナーに偏り易いということを暗に示しているのでしょうか」
 言いながら、暖野は自分で驚いていた。だが、言葉は止まらない。「多くの名曲で、長調よりも短調が多いのは自明です。それは、人が幸福よりも不幸にフォーカスしやすいことや、自身の幸福を他者の不幸と比較することによって生まれる、ある種の優越感を含んでいるのではないですか?」
 教室内に、「おぉー」という声が響く。
「なるほど」
 ウィバートが顎を撫でる。「優越感と比較による自己肯定か。だが、音楽と映像は直接心に訴えるものだよ。それを聴いている時に、君は誰かと自分を比較したかな?」
「いえ……」
 暖野は黙った。
「ふむ。君の指摘は至極妥当だ」
 ウィバートは暖野を見据える。「だが、大事なことを忘れている。それは、君自身の感情だよ」
「私の、感情ですか?」
「そう。理由なしに湧き上がる感情。さっき聴いてもらった曲で、何を感じたのか。それが大切なのだよ」
「すみません」
 暖野は言った。「私が浅薄でした」
「いや、君はとても鋭いところを突いている」
 ウィバートが皆に向き直る。「このように音楽ではマイナー、映像では適度に悲しさを催すものに心を惹かれる。それは、先ほどタカナシ君が言ったような理由も確かにある。しかし、感情は必ずしも理由づけ出来はしない。私が思うに、それは色調効果と音階の同調も影響している」
 ウィバートが手元の本のページをめくる。
「あー、67ページ、視覚受容体のところ」
 ウィバートが言う。皆がそのページを探す。
「人間の視覚受容体には錐体(すいたい)と桿体(かんたい)があり、桿体は明度を、錐体は色を識別する。一般的に桿体の方が感度が高く、錐体は低い。ために暗い場所では色の識別は難しい。
 人間の色覚はかつて赤、黄、青の三種であったのが退化し、赤と青のみになった。しかしのちに必要性から黄色を認識しなければならなくなり、青錐体から分化して緑錐体が生まれた」
 ウィバートが教科書を読む。「色の三原色は青、赤、黄だが、光の三原色は青、赤、緑。これが、人間の感情がマイナスに振れやすいそもそもの原因にもなっている」
 確かにそうだ。暖野の学校の視聴覚室のプロジェクターも、赤、青、緑だ。なぜ黄色ではないのかとずっと不思議に思っていた。
「先生」
 暖野は不思議に思うと同時に、面白さを感じ始めていた。「それは、色が人の感情に作用して、音楽もまたそうだということですよね」
「その通り」
「先生のお話だと、人の視覚は青系統に偏っているために、色から受けるイメージでネガティブになりがちとも取れますが」
「そうだね。色のイメージなしで音楽を聴いてみようか。寂しい曲でも暖色のイメージはある。例えば夕焼けなどが典型的なものだ。でも、その夕焼けを際立たせるものに、夜の闇や近縁の暗さ、或いは来るべき夜を感じていないだろうか? 人は明るさやポジティブなイメージを想起しようとすると、ネガティブなものと対比しがちなのだ。もっとも、この傾向が過去数々の名作と呼ばれる多くの作品を生み出した原動力でもあるのだが。これは先ほどタカナシ君にした説明とは矛盾するように感じられるかも知れない。だが音と色の場合では違ってくるということだ」
「……」
「それで、先生」
 声のした方を見る。リーウだった。「人はネガティブに陥りやすいというのは分かりました」
 はきはきしているが、リーウはあまり理解していないというのが判った。ただ、暖野の助け舟を出したいばかりに発言している。暖野はリーウに感謝した。
 リーウが続ける。「でも、だからと言って、何だと言うのですか? 傾向を示すだけでは、単なる統計論にもなりません」
「ふむ」
 面白そうに、ウィバートが言う。「そうだね。問題は、ここなのだよ。君たちが勉強している統合科学は、自らの深層心理にアクセスして事象操作を引き出す。でも、そこにネガティブな感情が紛れ込むと、いい結果を得ることが困難になる」
 沈黙が流れる。皆、それは心のどこかでは分かっている。しかし、それを改めて指摘されると何も言うことが出来ない。
「マイナスの感情から生まれた行動は、負の結果を引き起こしやすい」
 ウィバートが穏やかに言う。「心をポジティブに維持するのはとても難しいことだ。人の心は、特にある特定の環境にある者にとっては、ポジティブが始発点であることもあるが故に、それを否定することも出来ない。だが、何かを成し遂げようとするとき、後ろ向きの思考では何も出来ない。そこには前に誰かが成功した法則があるわけでもない、失敗の可能性もある、それでもなお先に進める者だけが未来を手にすることが出来る。少なくとも私はそう思う」
 誰かが拍手する。
 それは講義室中に広まり、暖野もその雰囲気に押されて拍手していた。
 暖野としては、それが出来れば苦労しないのだけどねと思っていた。
 だが、その思いに彼女自身が思う以上のことが含まれていることには気づきもしなかったが。
「やっぱ、ノンノって秀才!」
 授業が終わって、リーウが声をかけてくる。
「ちょと、やめてよ」
「いいじゃん。秀才ちゃん」
「その言い方、やめて」
 本当に私、秀才じゃないし。成績はいつも中の上ギリギリだし――
「なぁに、照れてんのよぉ~」
 リーウが暖野にしがみついて体ごと揺らしてくる。
「リーウ、あんた、そんな趣味あるの?」
「え?」
 リーウがそれまでのふざけた態度を改めて言う。「ノンノ、ひょっとして私に……?」
 うわ、これはヤバい――
 頬を赤らめるリーウを見て暖野は思った。
「馬鹿ね!」
 って、いきなりビンタかまさなくても……。
 暖野は頬を押さえた。
「いくらノンノが可愛いからって、恋愛対象になるわけないじゃん!」
 よく分からないけど、むかっ腹が立つ。もとより期待などしていないが、変に魅力がないと言われたようで微妙だ。どこかマルカのはっきりしない態度にも似て、自分だけがおかしな立場に取り残されている気分になる暖野だった。
「っていうか、授業って、いつもあんな感じなの?」
 暖野は気を取り直して言う。
「そうよ。ノンノの学校は違うの?」
「違うっていうか……」
 実際に体験させて、そこから学ぶという授業形態自体に馴染みがない。教師が延々公式などを書いて説明して、せいぜいその程度だ。もっとも、今日初めて一教科受けただけでは比較のしようもないが。
「で、今は何時限目?」
 暖野は訊く。
「さっきのが3時間目。次の実習が終わったらお昼よ」
「実習!」
「あ、そうか。ノンノは実習は初めてだもんね」
 そもそも、きちんと授業受けるの今日が初めてだし――
「ま、そう緊張しなさんなって」
 リーウが暖野の肩を叩く。
「う……うん――」
 楽しみな反面、一抹の不安を覚える暖野だった。