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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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~それから~(湊人・高木編)

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「真夜のことか? あいつは中学のときからアルトサックスを吹いてたんだ。二年前にぱったりやめちまって、ほんとにそれきり吹いてないらしいな」

 高木がそう言うと、ステージのフロントで譜面の準備をしていたアルトサックスプレイヤーがふりむいて言った。

「あんなに吹ける奴なのにもったいないよな」
「ほんと。俺、いつかビッグバンドで共演できるかもって期待してただけに、やめたって聞いたときは泣いたよ」

 大げさな身振りをしながらテナーサックスプレイヤーが泣きまねをする。彼らは現役の大学生で、三月に卒業したあと、プロプレイヤーとして活動することが決まっている。

「そんなにすごい人だったんですか?」

 湊人がそう尋ねると、彼らはしばらく考えたあと宙を見つめて言った。

「なんていうか、言葉で表現できないよな。音程とかリズムとかずれてるのがゾワゾワするくらい気持ちよくて、ちょっと狂気じみたとこもあって……俺らとは正反対。高木さん、正直大変だったんじゃないんですか?」
「そりゃあ、なあ」

 相槌を打ちながら、高木はスネアドラムを叩く。客席にむけられた瞳がなぜか優しくて、湊人がその先を追うと、そこには先ほどの女性が座っていた。小さく手をふって高木に笑いかけている。

「ま、彼女がいたから何とかなったよ」
「あの子、コズミックの時に歌ってた子ですよね。たしか俺たちと同期のテナーサックスプレイヤーで。もう楽器はやってないんですか?」
「さあな、俺も久しぶりに会ったからなあ」

 他人事のようにそう言うと、高木はスネアドラムの位置を調整し始めた。続いてクラッシュシンバルの傾きも調整しながら、柱時計を見る。本番まで残り五分を切っている。
 ベーシストがステージに寝かせていたウッドベースを持ち上げ、サックスプレイヤーたちもチューニングをし始めたので、湊人もおとなしくピアノ椅子に着席した。

 目の前に心待ちにした白と黒の鍵盤があるのに、もやもやとした気持ちが胸の中に残っている。湊人は再びあの二人を観察する。

 高木の後輩だという葉月と真夜は、何やら会話をしながらクスクスと笑っている。付き合っている男女の甘い雰囲気は感じられず、仲の良い友人同士に見える。高木の言った「脈ナシ」の意味は、どこか他にあるのだろうか。

 二年ぶりの再会だというのに、高木の感情に浮き立った様子は見られない。気になる女性が他の男と楽しそうにしていて、どうしてあんなに淡々とした表情でいられるのだろう。

 使い慣れたグランドピアノの中に夜景の光を見るたび、悠里の笑顔を思い出す。あの日は会えるだけでよかったはずなのに、口がすべって余計なことを言ってしまった。彼女の心の中に、誰が住んでいるのか本当はわかっている。竹刀を握る彼女の向かいに立つ、袴姿の男子。高校なんて中退したっていいと思っていた湊人を無理やり野外ライブに連れ出して、おかげで要と初音に出会うことができた。

 言葉ではつくせないくらい感謝している友人、篠原健太――
 でも俺は高木さんみたいに、割り切ることはできない――

 バスドラムの音が響いて、湊人は顔を上げた。高木がスティックを構えている。先ほどまでの優しい表情はかき消えて、同じ地平に立つプレイヤーとして湊人を見つめている。

 湊人は深く息を吸いこんだ。鍵盤の上に指をそろえてうなずく。感情の揺らぎは全て捨てさって、今はこのピアノと向かいあう。
 高木のカウントが始まり、湊人は4ビートの世界へ身を沈めていった。