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新訳アリとキリギリス~もし世界が秋で終わってしまったら~

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「何を—」驚いた若いアリは、やけに落ち着いているキリギリスの表情を見て、はっとした。「まさか」

キリギリスは黙って首を縦に振った。

キリギリスは元々、旅をしてここまでやってきていた。旅をしていたキリギリスがこの荒野にや ってきたのは、半年前。しかし、以前から旅をしていたキリギリスが、ここに住み着いたのは、単に住み心地が良かったからではない。荒野のはずれにある断崖絶壁を降りて行かなければ、他に行けないのだ。

そして、それを若いアリも知っていた。小さいころから、住居をあまり移さない為、なぜかとその理由を親から聞いたことがあった。また、長老がここは大洪水になると言ったとき、長老が何かを諦めた表情だったことも思い出した。

「一度、荒野のはずれを見に行ったことがあるが、あの崖を降りるのは無理だ。ましてや、この雨と風の中じゃ…」

キリギリスは顔を俯かせながら、押し黙った。

若いアリは、そんなキリギリスの言葉に、ただ茫然としていた。そして、自分の体温が急激に下がっていくのが分かった。自分がしてきた今までの作業のことを考え、なぜ今、自分が雨に濡れて声を枯らしてまで他のアリを誘導して、頑張っているのか。その意味が急に分からなくな った。

全身の力が抜けた若いアリは、かろうじて風に飛ばされない程度の力で立っていることしかできないでいた。

「おい、大丈夫か?」
キリギリスが声を掛けると、若いアリは頷く気力もないまま、ふらっと列に向き直った。

「おい。近くの雨宿りができるところで待機していろ。俺も後で行く」

若いアリは、傍にいたアリにそう伝えると、しばらく雨の中で立ち尽くした。

「風邪引くぞ」
キリギリスが声を掛けても、アリは背を向けたまま、ただゆっくりとアリの行列に戻って行くだけだった。

次の日から、キリギリスは自分しか入れなかった草の家を、少しずつ広げていった。最初は一畳ほどだったスペースが、三日掛かってちょっとしたお店程度の広さになっていた。中側からとはいえ、外の強風の影響もあり、なかなか作業は進まなかったが、キリギリスは休まずに作業をして、どうにかその広さまで広げていた。

「…よし」
天井部分の草を強めに補強して、キリギリスは一息ついた。と、キリギリスが気配を感じて振り返ると、若いアリが入口に立って、キリギリスをじっと見つめていた。まだ外では雨が降っているらしく、若いアリはびしょ濡れだった。

「どうした」

風で飛んできた木材の破片で作った梯子を、キリギリスはゆっくり降りて若いアリを近くの椅子に座るよう促した。

言われた椅子に座ると、若いアリは草の家の中を見渡した。

「何でこんなに広くしているんだ。どうせここはもうすぐ流れるんだぞ」

若いアリの声は、心底疲れ切ったものだった。最後の方は、掠れて聞こえなくなるくらいの小ささだ。

「別に構わない。ここは洪水を防ぐために作ってるわけじゃないからな」

若いアリとは対照的に、少し元気な声でキリギリスが答えた。

飲むか、とキリギリスは水を葉に溜めて、若いアリに寄こした。アリは素直に受け取ると、それをゆっくり味わった。
「…何のつもりなんだ、この建物は?」
「コンサートだよ」キリギリスは口元だけで笑ってみせた。

「ここでコンサートを開くんだ」「コンサート?」

若いアリの言葉に、キリギリスは頷くと、部屋の奥へと歩いていった。奥には葉で隠したように覆われてあるモノがあり、キリギリスはおもむろに葉をどかし始めた。現れたのは、梯子や椅子と同様に、拾ってきた木材で作ったステージだった。

「ここで僕が演奏する。ここの荒野中の昆虫を集めて、ね」

若いアリは、深いため息をついた。

「こんな時にコンサートか」
「こんな時だからこそだよ」
キリギリスは、振り向くと若いアリに真剣な眼差しを向けた。若いアリは、そんな彼の視線に、なぜか動けずにいた。

「恐らく、ここの荒野にいる全員が未来に絶望しているはずだ。当たり前だよな。もうすぐ死ぬんだから。けど、絶望しているだけで、洪水に飲まれるという事実は何も変わらないし、どうすることもできない。そこで、僕は自分にできることを考えたんだ。絶望している皆に、楽しい最期を提供しようってね」
「楽しい最期…」

若いアリは、ゆっくりした動作で俯き、自分の足元を見つめた。

若いアリは、キリギリスのことを、ただの自堕落なやつだと考えていた。働きもしないで、遊んでばかり。実際にキリギリスは自堕落なやつだった。しかし彼は、そうやって自分らしさを失わずにいた。だからこんな時でも、キリギリスは自分を失わずにいられたのだ、とアリは気づいた。

若いアリが顔を上げると、キリギリスはすでに、次の作業をし始めるところだった。




明日には洪水で巻き込まれる日となった。荒野の昆虫たちは、それでもどこか、この荒野が水に沈むとは考えたくないようだった。無理に雑談で笑ったりして、同種が一か所に固まって、話が途切れまいとする景色が、荒野の至る所で見られた。ただやはり、現実が脳裏によぎりもするらしく、荒野一帯に暗い雰囲気が漂っていた。

その事実を変えんとするかのように、天候は一向に良くならなかった。暗雲は立ち込めたまま。風はいくらか弱まったものの、雨は降り続いた。

アリ達は、どうにか土の盛り上がっているのを屋根とした、簡素な巣を作ることができた。しかし、雨や風の影響で運んでいた餌は全て流されてしまった。急遽、一時的に集めた餌も、前に集めていた十分の一に満たず、全員の分を賄うのがギリギリな量だった。それを細々と食べ繋ぎ 、巣の中はどんよりとした空気に包まれていた。

「なぁ、俺たち、何のために餌を集めていたんだ?」

一匹のアリが何となしに呟くと、「言うな」と長老アリが遮った。

「今さら言っても、現状は変わらん。ここで天寿を全うするしかないんじゃ」

長老アリの言葉に、誰も賛同する者はおらず、場は沈黙した。


「なぁ」

重たい空気が少し軽くなるくらいわざと調子づいた口調で、若いアリが立ち上がって、全員を見渡した。

「俺らもさ、何か楽しいことしないか。キリギリスの野郎が遊んでたみたいにさ。俺らは今まで 、そういうことをやってこなかったから、こういうときこそ遊んでも誰も文句は言わないと思うんだ」

その場にいたアリ達は、若いアリの提案に、互いの顔を見合わせた。アリ達の中で一番真面目だった若いアリがそんな提案をしたことや、キリギリスの曲を口ずさんでいたら怒るような奴から出た言葉に、他のアリは驚いていた。
次には、アリ達が揃って「いいのか」という顔を今度は長老アリに向けた。

「他に、することもないじゃろう」

仕方ない、という顔をした長老アリが頷くと、アリ達は少しずつざわめき始めた。