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NIGHT PHANTASM

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08.ビッテンフェルトの黒百合(1/6)



誰かが『おとぎの国にきたみたいだ』とかつて述べたその街は、中世の面影を色濃く残す美しく見事なものだった。
ヴルタヴァ川によって二分された街の東岸には旧市街があり、西岸にはプラハ城が静かにそのままの形を残している。
ドイツを離れチェコへと足を踏み入れた時、三人を最初に歓迎したのは空をちらつく雪だった。白く優しい雨の降る中、ティエの胸には少しの懐かしさが浮き上がる。
通ったことがあるかも覚えていない、知らない道でさえかつての母国とわかれば思うものの一つもないわけがない。
自分が生まれたのはチェコなのか、それともスロバキアなのか。今は世になき、チェコスロバキアが母国とすれば今滞在しているチェコは故郷以外の何と形容すればいいのだろう。
西岸と東岸を繋ぐ要である、カレル橋を歩きながらティエは後ろに続く二人に問うてみた。
「どう?」
「人目につくのはもちろん、障害物がほとんどないので……狙撃の危険性を考えると、あまり」
「いや、そうではなくて……」
ティエは、それ以上の言葉が出てこなかった。ナハティガルのトップであるレンフィールドの誘いを受けてこの地に赴いた三人、罠でもおかしくないこの状況に街中でも気を抜くわけにはいかない。
それはわかっている。
わかっているのだが、ティエが二人に見てほしい景色は生きるか殺されるかの殺伐としたものではないのだ。
「……」
カレル橋は、掛けられた当時処刑場として意味をなしていた。
罪人は首を切られ、川に投げ捨てられる。十字架は、罪人が最期の祈りをささぐことを許された複雑な存在価値を持っていた。
だが、あくまで昔の話であり、今はそんな血なまぐさいものをみじんも感じさせない。
夜の満ちも近く数こそまばらだが、昼間であれば所狭しと芸術家が自分の作品を売るための屋台が並び、ちょっとした演奏などさまざまなパフォーマンスに華やかさをもって彩られている。
何も、感じないのだろうか。
二人は、何も。
気をゆるめず警戒してくれているというのならば、これ以上ないほどに頼もしいがそれだけでは済まされない気がしてならない。
空には満月が薄らぎを残したまま輝きをはなち、満ちた月は狂気を呼ぶ。
「……ルイーゼ、それにアンナ」
「はい」
返事は狂い一つなく重なり、声の判別がつかない。聞き取った左右の耳が、軽く焼け焦げるようなくすぐったさを訴える。
「私が許可するまで、手を出さないように。正当防衛にしても、あなた達の得物は目立ちすぎる。やるにしても体術程度に抑えておきなさい」
「はい」

レンフィールドが密会場所として定めたのは、プラハの旧市街広場であった。新しいものを好まないのは、どこで育った吸血鬼も大抵同じらしい。
詳細な場所までは知らされなかったが、広場でエルザが合流する手はずになっている。三人が少女を見つけずとも、少女が三人を見つけるだろう。
夜も更けて、人通りは少なくなり、通る人の顔つきや背負うものも変わってくる。
治安はさほど悪くないものの、やはり後ろの二人は不安だ。抱きしめられただけで、絞め落とされるのではと過剰防衛に出る人間である。
そう育てたのは自分とはいえ、ティエは複雑な思い以上のものを感じとれなかった。もっと日常に溶け込ませる訓練をしておけば、といまさら後悔だけが漏れ出てくる。
番犬は、いつ狂犬に変わってもおかしくないのだ。
幾度となく向かわせた買出しでは特に何も問題なく帰ってきていた二人。できないわけではなく、今回は用件が用件なだけに殺伐としている、それだけだと信じたかった。
「帰りに、何か買ってあげましょうか。マリオネットなんかはどう? あまり大きなものは無理だけれど、好きなだけ選ばせてあげる」
絵画も音楽も、まるで存在に気付かないように一瞥もくれないルイーゼとアンナ。旧市街広場へと歩みを進めながら、ティエはだめもとで提案してみた。
「人形?」
アンナが、振り向いて言ったティエを不思議そうに見やる。
「知らないかしら。糸を使って、自在に動かすことができるの」
「糸を使わないと、動かない?」
「……そうね。人形だから、座らせておけば持ち主か誰かが動かしてやらない限り、置物と一緒よ」
「なんだか、かわいそう」
「え?」
「操る糸は切れてもかえられるけど、かえてくれる人がいなければ動けないまま。動くのだって、操ってくれる人がいなければ死んだまま」
「……」
「死にたくなっても、持ち主がそれを望まなければ、どんなに苦しい世界でも生き続けなきゃいけない……」
ティエは、何も言い返せなかった。
ただ、脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。エルザ=ビッテンフェルト、裏で通じている名は『ビッテンフェルトの黒百合』。
エルザも、ルイーゼも、アンナも、置かれた立場はマリオネットとそう変わらない。持ち主が糸をたぐり、操り、その通りに行動し今を生きる。
使役される彼女らの心模様は、どんな輪郭をしているのだろう。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴