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NIGHT PHANTASM

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08.ビッテンフェルトの黒百合(2/6)



エルザがティエの前へ姿を現すそのさまは、まるで幽霊か亡霊か何かのようだった。音もなく陰から出で、先日と同様にバイオリンケースを手にしている。
広場に入ってから、数十秒後のことであった。
「こちらへ」
周囲に届かないほどの小さな声で言ったのち、返事を待たずにエルザは先行し歩き出す。
突然の見知らぬ少女の登場に、ルイーゼとアンナはわずかながら殺気を漏らしていた。警戒しているのだろう、同じ匂いのする少女に。
少女の皮をかぶった、亡霊に。
「マスター」
「心配いらない。あれが、レンフィールドの……今回会う吸血鬼の右腕。似た匂いを感じたのなら、そうね。何も否定する材料がないわ」
「罠という危険性は?」
「さあ」
「?」
「なきにしもあらず、だからあなた達を連れてきたのよ。先手をうたないと約束してくれるのであれば、どう考えてくれても構わない」
「……はい」

導く少女は早々に広場を離れると、通りへと出た。非常識な時間だ。夜を一人出歩いている少女を、気にし咎める者がいてもおかしくない。
だが、通りすがる人々はまるでエルザが見えていないかのように隣を歩く友人との話に興じ、またある人間はこの長い夜の連れ人を探すように早足で去っていく。
「(……暗示か)」
瘴気といってもいい、毒が少女を見えない形で包んでいる。吸血鬼の暗示能力というものは、薬であり、同時に毒であった。
それは体だけではなく心に届き、じわじわと相手を蝕んでいく。ほとんどの人間はその事実に気付くことなく、簡単に吸血鬼の催眠に落ちるのだ。
エルザ=ビッテンフェルトという少女は、今、世界のどこにも存在していない。人々の記憶の中にのみ生きる、はかなくも確かな現実。
新しくも、大きくもないホテルの一室にいざなわれ、エルザが横に立ち、目で行動を導く。
――なるほど。最後のパンドラの箱を開くも開かないも、自分の手にゆだねられたということか。
思いながら、ティエは目の前の扉を開いた。鍵はかかっておらず、先には柔らかくも暖かい灯りだけが頼りの深遠が広がっているような気がした。

「レン」
「……久しぶり。ということになるのかな、ティエ」
ためらうことも後ろめたさもなく返ってきた声に、ティエは多少のなつかしさと安堵を覚えた。自分に向けてくれる優しい声は、今も変わっていない。
部屋に、レンフィールド以外の姿はなかった。ただ、一人の吸血鬼が窓の外に広がる夜景を見やっている。それだけだ。
振り向いたレンフィールドは、青白い肌と美しいブロンドが特徴で、端正な顔立ちは年齢を重ねてもなお劣化することもない。
一言で例えるならば、好青年といえばいいのだろうか。柔らかく微笑み、その裏には余裕が宿る。ブルーグレーの瞳が、まっすぐに来訪者を見ていた。
「……話は長くなる?」
「さあ。まあ、入るといい。何もしないから。ティエ、ワインは好きかな? それとも、昔みたいにミルクの方が?」
「どっちも、いらない。ルイーゼ、アンナ……橋での約束、忘れないで。レン、回りくどいことや思い出話はなしよ。簡潔に済ませましょう」
「おやおや、久しぶりに会ったというにつれないことだ」
困ったように肩をすくめ、参ったとばかりに首を横に振る。そのしぐさは、ナハティガルという大組織のトップにいる吸血鬼のものとは思えないほど親しみやすいものだった。
こうやって、少しずつ相手を懐柔していくのか。ティエは、レンフィールドの心を探りながら示された通り椅子に座った。
かつての友人とはいえ、今は立場が立場だ。追われる者と追う者、必要以上に過去の甘い思い出を飴玉のように舐めるわけにはいかない。
ティエが座ったのを確認してから、レンフィールドは息をついた。さて、どこから話したものかと言わんばかりに。
あまり、リラックスできる状況ではなかった。酒場などよりずっといいが、遠くない位置にあるベッドにはルイーゼとアンナ、二人の番犬が腰かけて黙り込んでいる。
アンナの方は目を閉じ表情を殺していたが、いつでもナイフに手をかけられるように神経をはりつめさせているようだった。
それを見通してか、退路をふさぐようにして立っているエルザもちらちらと二人の様子をうかがっている。話は、言葉通り一秒でも早く済ませたい。
ティエは先手を打った。
「ここ数年の、こちらに差し向けられたナハティガルの襲撃はどういう事? 狙いが読めないわ」
「ああ、それは……私の意思じゃあない。それは、確かだよ。ただ、今のナハティガルには少々過激派な連中が多くてね。しかも、低俗なごろつきと何ら変わらない」
「質が落ちていて、それでも大規模ゆえにトップは全てを見渡せない。そうだとして、何故間引かないの?」
「トップはな、私じゃないんだ」
「え?」
思わぬ言葉に、ティエは固まった。それをきっかけに主導権を手放してしまい、今度はレンフィールドが多くを語りはじめる。
「元々切って貼ったような寄せ集めだ。意見が割れれば、派閥が出来内部分裂が起きる。今回出ているのは、下部の正義のヒーロー気取りなハンター。それに、君が力をつけることを恐れている吸血鬼どもが統率しているやつらだよ」
「それでも、私が出なければ勝てない局面は数えるほどしかなかったわ。抹殺するために動いているにしては、甘すぎる」
「……目的は君の抹殺じゃあない。さっき、内部分裂が起きてると言ったのは覚えてるかな。切り札ともいえる、戦力が欲しいんだよ。どいつもこいつも」
「……?」
「そこで、番犬の捕縛が案に出てくるわけだ。賛成しない奴は、館にいる悪い吸血鬼をやっつけるという名目で、間引かれる。祈りの家へ行ったはいいが、一人も帰ってこない。そんなことが数年続いて、周りの見えない馬鹿以外に君のところへ好き好んで行きたがるやつなんてそうそういない」
「つまり、どういうことなの?」
「内部での争いに邪魔な奴を、捨てるために君のところに向かわせるんだ。つまり、死体の処理もしなくていいし、手間をとらせることもないいい処刑場になってるというわけだ」


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴