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NIGHT PHANTASM

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05.追う者、追われる者(後編)(3/3)



一階は、濃密な鉄の匂いに満ちていた。壁には鮮血が美しくも不気味な模様を描き、まだ熱を失っていない死体が積み上がっている。
隠し扉などがないか一応の確認は済ませたが、異質なものは何もない。下部拠点という情報を踏まえれば、ここに上部の吸血鬼が息を潜めている可能性はまずないとみていいだろう。
あったとしても、日中の今では相手が圧倒的に不利だ。拠点が襲撃されたという事実は、生き残りがいようといまいとどうせ伝わる。
「……姉さん、ごめんなさい」
「どうした?」
物陰から出てくるなり、謝罪の言葉を口にしたアンナの様子はどこか弱弱しい。ナイフを持った右手の二の腕を抑え、表情を歪めている。
ルイーゼが一階に下りる際に聞こえた複数の銃声。そう広くもない空間で、撃った人間はおそらく冷静さを完全に欠いていたのだろう。
亡霊を目にして、命そのものが凍り付いてしまった。
「跳弾」
悔しげに、短く言った。アンナが失敗することは想定外だったが、狭い中数人を同時に相手をし、銃弾をかわし、その上跳弾の行方まで計算しろという要求がそもそも無茶だ。
アンナは傷の痛みに苦しんでいるというよりは、判断ミスをおかしたという自己嫌悪を強く痛みに変えているようだった。
「見せてごらん。貫通してるかは分かる?」
「かすめただけだから、大丈夫」
「そうか」
弾が体内に残っているならば相応の処置が必要になるが、傷になっているだけならさほど問題ない。
贅沢を言うとすれば、それが利き腕ではなければもっと幸いだった。
「処理は?」
「いらない。音は周辺に知れていることだろうし、どうせナハティガルに伝わる事実だ。餌に使ったあの男をしまって、扉を閉めておくくらいかな」
倭刀を元通りに布で包みながら、淡々とルイーゼは呟く。その横顔を見て、続くようにアンナもナイフをシースにしまった。
コートの前をとめ、確認する。返り血を浴びないように立ち回ったのはいい結果をおさめたらしく、匂いがしみついている様子もない。
ただ、包帯だけは赤が染み込んでいた。
仕方がないので、コートのポケットに手を突っ込んでおくことにする。腕の傷がじわりと痛んだが、無視した。
「……しかし」
「うん?」
「どうせ片付けてしまうんだから、追ってくるねずみに気を配る必要はなかったな。この場所は最初から知っていたし、人気のない場所へ誘導してさっさと殺しておけばよかった」
「無駄が多かったってこと?」
「そんなところだね」
「……」
「アンナ?」
返事に迷っているような、らしくないそぶりを見せるアンナ。また白昼夢を見ているのだろうか。ここを出よう、と切り出した姉の言葉を聞き届けて、ポケットから何かを取り出して見せた。
「失敗だとは思わないわ」
人差し指と中指の間に紙幣をはさみ、示してみせる。毒のない笑顔を見せるアンナの真意が、ルイーゼには掴みかねた。
二人の精神は基本的に同調しているものの、例外もある。
自分は知らないのに、相手が知っていること。相手が知らないのに、自分が知っていること。そのような違いが、ままに浮き出る。
「広場のカフェで、新聞を読みながら夢を見ましょう」
ね? と、アンナはどこか嬉しそうに笑った。


――まどろんでいる。
夜明けのように柔らかな白で埋め尽くされた世界の中で、二人は太極図を描くように倒れ、眠りに入らんとしている。
誰にも邪魔をされない絶対の安息。二人以外、有機物も無機物も存在しない揺籃。伸ばせば、半身が手をやさしく包み込んでくれた。
世に孵ることを拒む卵はなく、芽吹くことを拒む種子もありえない。
いつか、眠り続ける二人も目覚める時が来るのだろう。転生するように、まっさらな形で現実へ落ちる時が。

ジルベールが過去に投げた言葉が、脳裏に浮かぶ。
「吸血鬼に続いて、人間を殺した気分はどうだ?」
種族の中立を保つ彼女は、人間でありながら人間の匂いをあまり感じさせないつかみどころのない人間だった。
しかし、ジルベールという存在は二人が何より求めるマスター、ティエの思慕を受けることができる。寵愛といってもいい。
孤独に蝕まれながらも、ルイーゼとアンナの二人以外に唯一心を許している人間。二人とジルベールの間には、何があって何が足りないのか。
あまりに過剰すぎた。
あまりに少なすぎた。
「何も、感じない」
だから、嘘をついた。嫉妬は、独りの晩には憎しみにまで姿を変えることがあった。あんな人間、国に帰ってしまえばいいのに。
帰れば家族がいる。帰る家がある。生まれた証拠がある。育ってきた思い出がある。
「……」
二人のルーツは、どこにある?
誰の腹から生まれて、どこで育って、なぜ死んだのか。
白い世界が、極彩色に染まっていく。過去を失った苦痛、それは過去を思い出す苦痛に比べればくだらない痛みだ。
それでも思考は止まらない。夢は覚めない。

自分はどこの誰なのだろう。
名前は、なんと言うのだろう。壊れてしまいそうだ、自分の存在があやふやなものになっていく。
誰でもいい。名前を呼んで、抱きしめてほしい。でもないと、自分はまた亡霊に戻ってこの世に存在しない人間になる。
それでいい。
それは嫌だ。
反発しあう思いが、心の中で暴れる。自分が消える。存在が、白に溶けていく。
繋いだ手のぬくもりも、果てには思い出せなくなった。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴