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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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恋愛風景(第1話~第7話+α)

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「それ、描くの?」
 声をかけられただけでも驚きなのに、彼が見ているのは、わたしの前のキャンバスにある絵だった。まだ下絵の段階だけど、道を挟んだ向かいの部室棟、フェンス、グラウンド。
 やっと、今なら描けるかもと思えるようになった。だから次の部内課題のテーマが自由だと聞いて、これに決めたのだ。そして今日始めたところで彼が話しかけてくるなんて、どういう偶然なのか。
 戸惑いながらも「……そうだけど」と答えると、彼は絵を見つめたまま、何かに納得したようにうなずく。そして次の発言にさらに戸惑わされる。
「いつ描くのかなって思ってて。ずいぶん前にスケッチしてたよね?」
 ……信じられなかった。半年、いや一年と言う方が近いぐらい前の出来事を、その時のスケッチを彼が覚えているなんて。おまけに描いているものをずっと見られていたなんて——どうして。
 聞きたくてたまらなかった。けれど頭の中で言葉がぐるぐる回るばかりで、声には出せない。
 混乱しているわたしをよそに、彼はやけに鋭いまなざしで下絵を見ている。まだ、輪郭すら全部はできていない下絵を。しばらくのち、彼の視線がわたしに向いた。
「いい線描けてる。でももっと思いっきり描いてもいいと思う」
 すごく真面目な調子で言った後、突然、目元と口をなごませて表情を作った。彼がわたしに、笑いかけてくれている。とても控えめにではあるけれど。
 じゃ、と右手を上げて、彼はランニングに戻ろうとする。その背中を、わたしは急いで呼び止めた。——今なら。
「あの、いきなりなんだけどその、この絵に描いていいかな。走ってるとこ」
 一気に言ったわたしに、彼はちょっと目を丸くした。やっぱり、驚かせてしまったみたいだ。たちまち後悔しかけたけど、もう後には引けない。
 懸命に目をそらさずにいると、意外にも彼はまた笑ってくれた。心なしか、さっきよりもはっきりした笑顔で。
 「いいよ。好きなように描いてくれて」
 一瞬で頭に血がのぼる。信じられなさと、同じぐらいの嬉しさで破裂しそうだった。
 なのに——だからこそなのか、言うつもりのなかった言葉まで口に出てくる。
 「描けたら、見てもらえる?」
 言ってから自分でびっくりした。対して彼は、とても彼らしく見える笑顔をくずさないまま、うなずいてくれた。
 「それじゃ。頑張ってね」
 今度こそ走っていく彼の後ろ姿を見ながら、もしかしたらこれは夢で、今にも覚めてしまうんじゃないかと思った。そう考えるぐらい現実感がなかった。
 だけど、そっちも練習頑張って、と言えなかったことを悔やむ気持ちは残っている。なら今のやり取りも現実だったはず。そう思った途端、いろんな感情が押し寄せてきた。
 彼に見せると約束したことを思うとすごく緊張する。けれど、同じぐらいに嬉しい気持ちも、やっぱり湧いてきた。あの絵に堂々と彼を描けることに対しての喜びが。