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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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恋愛風景(第1話~第7話+α)

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1.窓の向こう



 毎日飽きるほど眺めている風景なのに、違って見える時がある。わたしの場合は校舎の一階の、美術室の窓から見える景色。道を挟んだ手前には、運動部の部室が集まった部室棟。その向こうは三メートル以上はある緑色のフェンス、そしてグラウンド。
 いくつかの運動部は、練習前のウォーミングアップで必ず校舎の周りを走る。硬式テニス部は必ず五周。その十数分の間の、彼が窓の外を通るわずかな時間、いつもの景色は特別なものに変わる。

 彼とは一年の時、同じクラスだった。中学は違ったし、もし一緒でも知る機会は限りなく少なかっただろう。それぐらいおとなしく目立たない男子に見えた。
 最初の美術の授業、男女一組でお互いの顔を描く課題があり。出席番号順に分けられた結果、わたしは彼と組むことになった。
 小さい時から絵は苦手だった。特に写生の類は。どうしても見たように描けないばかりか、バランスがあり得ない状態になってしまう。彼の顔もやっぱりそんなふうにしか描けなくて、すぐ憂鬱になった。
 描く気も失せてしまい、ため息をつきながら正面を見た時——わたしを見つめる彼の、真剣な表情に見入ってしまった。もちろん真剣なのは描くために集中しているからで、わかっていたのに、その度合いが普通じゃなく感じられて、惹きつけられた。要するにすごくかっこよく見えたのだ。
 出来上がった絵に、ますますびっくりした。そっくりでありながら、わたし自身よりずっと魅力的に見えたから。
 後で知ったのだけど、彼のお父さんはわりと名の知られた画家で、彼も子供の時から習っていたらしい。中学の時に何か賞を取ったことがあるとも聞いた。
 そんな彼に、わたしの絵はどんなふうに見えたのか。時間内には結局描ききれず、出来具合は言うまでもなかったから、さぞ滑稽だったに違いない。他の人みたいに渋い顔をしたり失笑したりはせず、眉をちょっと上げただけだったけど。
 悔しかった。その何倍も、申し訳ない気分になった。あんないい絵を描いてくれた彼を、まとも以下にしか描けなかったことが。
 授業ではその日だけだったし、彼に直接伝えたわけでもなかったけど、絶対にもう一度描き直したかった。その気持ちが、翌日、美術部に入部するという行動になった。
 友達はわたしの美術嫌いを当然知っているから、皆不思議がった。苦手だからこそ挑戦したくなったのだと言ったら、首をかしげた子もいたけど、大半は妙に感心したような反応を見せた。その理由もある意味本当だったから、それなりに真実味を感じてもらえたのかも知れない。
 彼も入部するのかなと考えたけど、仮入部期間から少し経ってから、硬式テニス部に入ったと知った。噂によれば中学でも美術部ではなかったらしい。
 彼と同じ中学だった子たちにそれとなく尋ねてみると、いろんな話が出てきた。何かの理由でお父さんに反抗しているとか、将来は絵の道に進むと約束している代わりに部活では違うことをやらせてもらっているとか。でも結局は誰も、本当の理由や事情は知らないみたいだった。彼は自分からは家のことを話さないし、聞かれても詳しくは答えない。
 目立たないと思ったのは見当違いだったけど、おとなしい、というより静かな人であるのは確かだ。
 彼はテニスの才能もあったようで、一年で公式試合の選手に選ばれた。そのことや絵の話が広まると、彼は周りに注目される存在になった。近づこうとする人の中には当然、女の子も少なからずいたけど、当人はいつもあまり気に留めていないふうで、その様子をずっと保っていた。
 だから、好奇心で近づいた人の多くはそのうち気がそがれてしまい、徐々に彼は、クラスで浮くというほどではないものの、基本的に一人でいることが普通になった。
 騒がれている間も表面的には収まった後も、彼は自分の態度をまるで変えなかった。あんな、にわかアイドル状態になったら、調子に乗るか偏屈になるかしそうなものなのに。彼はそのどちらでもなくて、できるだけ角が立たない対応をしながら、核心を突いた質問はかわして済ませるということをやってのけていた。
 クラス替えまでの一年間、たぶん他の人たちと同様、彼とはほとんど話したことがない。その代わりにというか、目が合うことは時々あった。もっとも教室でよりは、美術室の窓越しでのことが多い話だけど。
 硬式テニス部がランニングで校舎の周りを走ると知ってからは、よく窓の外を見ていた。部活が始まる時間はだいたい同じだけど、時間中でも自主練でか走っている人は時々いる。彼もその一人だったし、朝練前の早い時間に走っていることもあった。
 なぜ知っているかというと、その時間に美術室にいたことが一度あった。課題の締切が近くて、部活の時間内では描けそうになかったから。カーテンを閉めた窓の向こうを通った人影に驚き、見てみたら、ジャージ姿の彼が校舎の角を曲がっていったのだ。
 普通より充分上手くできるのに、人よりも多く努力している。そういう彼はいつしか、わたしにとっての見本で目標で、少しでも近づきたいと思う人になっていた。
 そしてランニングの時間帯、わたしはよく窓の向こうをスケッチしている。描き上げたことはまだ一度もない。入部当時の下手さ加減は致命的だったから、一年目はひたすら基礎練習、デッサンに費していた。
 二ヶ月ごとに出す課題もあるから、放課後の部活の二時間は今も、わたしにとっては短すぎるぐらいだ。それでも隙を見て、休憩のふりをしたりしつつ、窓の向こうを少しずつ描き続けた。見慣れた部室棟、フェンス、グラウンド、そして毎日同じスピードで走り過ぎていく彼を。
 ……彼に近づきたい気持ちが恋心だと自覚したのは、何度目の描き直しの時だっただろう。
 ひょっとしたら、描き直したいと思った時には好きだったのかも知れない——たぶんあの授業での、彼の表情を見た時から。
 近づきたいとは思うけど、親しくなれなくてもよかった。描きたいと思うのはわたし個人の感情で、もし上手く描けても見せるわけではないから、結局は自己満足でしかない。でもかまわなかった。ただ、窓越しに彼の頑張る姿を見て、絵を描くことで彼とのつながりを感じていられれば、わたしには充分だった。
 一年以上がそうやって過ぎていった。一度だけの例外を除いて。
 去年の二学期の頃、いつものように走っていた彼が目の前で転んでしまったことがある。ほどけた靴ひもを踏みつけたらしかった。
 すぐさま起き上がり走っていきかけた彼を、わたしは衝動的に呼び止めた。肘に新しいスリ傷があるのが目に入ったから。大丈夫だからと言い張る彼にかなり強引に、自前のカットバンを貼り付けた。勢いだったとはいえ、我ながらよくやったなと今でも思う。
 その時、当然ながら彼の視線は美術室の中に向いていた。他の部員がおらず、わたし一人が描いていたから、わたしの絵を見ていたのも当たり前だったけど、やっぱり恥ずかしかった。多少はましかもしれないけど、まだとても人に見せられるレベルじゃなかったから。
 カットバンを貼り終えるまで、彼は無言でキャンバスの絵と、その前に立てかけたスケッチブックを見ていた。思いきって見上げた彼の表情は、最初に惹かれたあの時と似ているように見えた。
 今みたいに。