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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~現世編~

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「春江が生きている頃から、見ていたんです。前に言ったでしょ?だから、春江のことは何でも分かるんですよ」
 興奮して感情があらわになった春江だったが、それが自分が話したかったことと違うことに気付くと、気持ちを整え、話題を変えた。
「千回詣に失敗した後、もう絶対やりたくないと思ったんですよ」
「そうでしょうね。だって、あんな怖い春江、初めて見ましたから」
 春江ははっとして頬を赤らめた。そんな顔をしていたんだと恥ずかしくなったからである。
「だってとても痛かったんですよ。でもお父様ったら、またやるように仰るものですから……」
「私も迷ったんですよ。また勧めるのは酷かなってね。でもそれしかなかったんですよね……」
 申し訳なさそうに仁木が語る。
「今だったら分かります。千回詣をやって良かった……感謝しています」
「そう言ってもらえると助かります……」
「でも、あの時、お父様のこと大嫌いになりましたよ。もう一緒にいたくないとも思いました」
 言葉とは裏腹に、笑顔で話す春江であった。
「今日の春江は意地悪ですね」
 苦笑しながら話す仁木に対し、春江は悪びれる様子もなく、言葉を続けた。
「甘えていいんでしょ?」
 仁木は細かく何度も頷きながら、微笑んだ。
「でも、あの時、天使様になれだなんて……」
「春江ならなれると思って……」
「うれしかった……とても……」
「何か照れますね……」
「お父様はいつも私のことを考えてくれました。いつも私に元気をくれました」
 仁木は照れ隠しするように伏し目がちになりながら聞いた。
「私に父はいません。物心つくまえに亡くしました……」
「…………」
「お父様に出会って、父親ってこんな感じかな? 仁木さん……じゃなくてお父様って呼ぶことができたらっていつも思っていたんですよ」
「私も同じ気持ちです。私も子供がいないんです。だから春江が娘みたいに思えて……」
「そうだったんですか……うれしい……です」
「でも、今の私と春江は、親子でしょ? 本当は違うかもしれないけど、気持ちは……」
「そうですね……お父様ありがとうございます……」
「こちらこそ」
 互いに見つめ合い、どちらかともなく笑いが吹き出てきた。そして、訳も分からず大笑いしてしまった。極限の緊張状態にありながら、互いの愛情を確認し合い、満たされていった。日頃言えなかった感謝の気持ちを伝えることができた充実感。それを確かに受け止めてくれたという安心感。様々な気持ちや感情が交錯し、意味もなく笑いに発展していったのであった。
 春江の心は仁木にすがる前とうって変わり、全ての迷いや恐怖を解消し、落ち着き払っていた。
 そして、自分のとるべき道。いや、とりたい道が定まった瞬間であった。
 春江が決断する時は、いつも覚悟を決めていた。恐怖や不安を意志力で無理矢理押しのけて至った結論だった。
 だが、今回は違っていた。心の底からそれを望む。毅然とした表情でなく、にこやかに微笑むことができること。そんな決断だった。
 そして今、その道に足を踏み入れようとした。
 春江は再度、仁木の胸に顔を埋めると、ゆっくりと口を開いた。
「私はお父様のことが大好きです」
 仁木は黙って頷いた。
「先ほどお父様は人のために自分が犠牲になるのは愛だって言いましたよね?」
「あ……はい」
 春江が何を言いたいのか察することができないまま仁木は返事するしかなかった。
「ベリー様たちの犠牲……愛を受け止めるのが私の役目なのはよく分かりました。辛いですが、どうにか受け止めたいと思います」
 仁木はやっと分かってくれたと安堵の表情を浮かべた。
「次は私の番です。お父様を地獄に堕とすわけにはいきません。大好きなお父様を……だから私が地獄に行きます!」
「そんなことは駄目だ!」
 仁木は思わぬ展開に慌てふためいた。
「人のために自分が犠牲になるのは愛だって言ったじゃないですか! 私が誰かに愛を捧げることはできないのですか? 私の愛を受け入れてください。私の愛に報いてください」
「駄目です!」
「私のためにお父様が墜ちてしまったら、私の心は死んでしまいます。そこまでして、ここに留まる理由なんてあるのでしょうか?」
「駄目です! ここにいれば、私のことなんかいつか忘れて、夢に向かって進むことができるでしょう。ひとときの感情で全てを棒に振っては駄目だ!」
「ベリー様や笠木さんもひとときの感情だったのでしょうか? お父様の仰る愛とは、そんな儚いものなんでしょうか?」
 仁木は言葉が詰まってしまった。ベリーも春江もひとときの感情で動くような愚か者ではない。常に理性的でかつ全力で突き進む。笠木にしても然りである。躊躇せずに自然に動けたのも、根底にそういう判断があったからだと。
 ベリーや笠木の行動を肯定すれば、春江の提案も肯定しなければならない。自分が説得に使った言葉を逆手のとられた。
 もう理屈ではどうにもならない。仁木は、偽りのない本音を漏らした。
「春江が……地獄に堕ちたら……私の心が死んでしまいます……だから……やめてください……」
 思いがけない言葉だった。初めて聞く仁木の弱気な発言。それが自分に向けられている。言葉を失った春江に追い打ちをかけるように次の言葉を投げかけた。
「私にとって、春江の笑顔が全てなのです。春江の幸せが全てなのです。そのためだったら鬼にでもなります」
 がむしゃらな仁木の言葉。まさに本音を吐く仁木の姿。それ故に、仁木の言葉は、深く春江の胸に突き刺さった。
「私は……本当に……愛されているのですね……」
「当たり前じゃないですか!」
――――私は……なんて幸せなんでしょう……
 と言いかけて口を閉じた。この言葉を言ってしまったら、仁木の愛、つまり、仁木の犠牲を肯定しなくてはならなくなるような気がしたからである。
「……私は、お父様を忘れることなんてできません。だから、お父様が地獄に堕ちたら私は永遠に死んでしまいます。だから……だから……地獄に墜ちないでください」
「今だからそう思っているだけですよ。春江は、私と出会ってたった数年しか経っていないんですよ? あと数年経ったら忘れますよ。大丈夫です」
「私は、男性として庄次郎様のことを愛しています。父としてお父様を愛しています。愛している人をそんな簡単に忘れられるものですか? そんなはずありません!」
「……庄次郎さんについては忘れられないでしょう。でも私の事は忘れられると思います」
「父親のことを忘れる娘がいるはずないじゃないですか!」
 互いに一歩も譲らなかった。それ故に、相手の強情さに苛立ちが募ってきた。
「屁理屈言うんじゃない! 私のことを父だと思っているのなら、黙って父の言うことに従いなさい!」
「人のために犠牲になることは愛だって言ったのはお父様じゃないですか! 分からず屋はお父様のほうです!」
 頭に血が上ってしまった両者だが、それが互いを思いやってのことだと同時に気付き、黙ってしまった。
「お父様ったら強情なんだから……」
「春江だって……」
「似たもの親子ですね……」
「だから話はずっと平行線……」