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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~現世編~

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第六章「菩薩」



 狛犬のそばに戻った春江は、そのまま眠りについていた。あれだけの試練をその身に受けたのだ。神がかった働きをした春江だったが、元々はごく普通の女である。千回詣が終わったことにより、緊張から解き放たれ、どっと疲れが襲ったのだろう。
 春江の側には仁木がいた。仁木は、春江が急に目の前に来たことで、状況を理解するだけで精一杯だった。挫折して戻ってきたのか……と思った矢先、首にかけられた紐に玉があることに気付いた。仁木すらも初めて見る千回詣達成の証。直前まであれほど嫌がっていたものを達成したのである。
 勧めたのは自分だが、こうもうまくいくものか。過酷な世界にいるが故、早い時期に達成した事に対して疑念を抱いてしまった。だから、春江の首にある玉をくまなく確認した。
――――これは……紛れもなく玉だ……
 本物を見るのは初めてだが、言い伝えられた特徴と酷似していたのである。また、よくよく見ると、玉を通す紐には切れ目がなく、本物の玉以外は通らない。紐が玉に通っている時点で、それが本物である証明なのである。
 千回詣に旅立って数日。仁木には長い時間だった。ましてや、試練を受け続けていた春江には、もっと長く感じていたに違いない。尚更、この数日が長かったことを、仁木は実感させられた。
 早く目を覚ましてほしい。そして、どんなことがあったのか。どんなことを考えて乗り越えたのか聞いてみたい。
 もしかしたら、達成することはできたが、もう繰り返し立ち向かうのは嫌だと言わないだろうか。仁木は、そんな後ろ向きなことを考えながら、春江を見つめていた。
「う〜ん……コノハナサクヤヒメ様……」
 春江は寝言を言った。千回詣の夢を見ているのであろうか。
「自殺対策課課長……コノハナサクヤヒメ?」
 仁木はコノハナサクヤヒメのことを知っていた。だからこそ、春江がコノハナサクヤヒメに会うことがどんなことを指すのかよく分かっていた。人間が直接会えるような存在ではないということである。しかし、春江が、この者の名を口にしたということは、何らかの形で接触したということ。千回詣とは一体何なのか。今になったそう思わされた瞬間であった。
 と、渋い表情をしている仁木に、目を開いて起きあがろうとしている春江の姿が映った。
「仁木さん!」
 春江は思わず仁木に抱きついた。千回詣の成功を誰よりも願っていた仁木に、達成できた喜びを一番に伝えたかった。その仁木が目覚めた瞬間、目の前にいたのである。
 しかし、春江は我に返り、思わず両手で仁木を放すと、頬を赤らめながら呟いた。
「あ……ごめんなさ……つい」
 仁木は微笑んだ。それを見た春江もまた微笑んだ。
 その後、二人とも時間を忘れて話し続けた。互いに聞きたいこと、話したいことが山ほどあったのである。
 圧力や灼熱で倒れそうになったこと。石段が針で敷き詰められ、その上を歩いたこと。岩が落ちてきて、それを砕いて進んだこと。
 春江は笑いながら、面白おかしく話している。興奮気味で身振り手振りを付けながら話していた。内容は非常に過酷なものだが、春江の話し方から悲愴感が全く感じられなかった。
 仁木は春江の言葉に笑顔で応えていたが、その過酷な内容から戦慄を覚えていた。それと同時に、それを乗り越えた春江の成長や可能性を再認識したのであった。
 やっぱり春江ならできる。奇跡を起こすことができる。もしかしたら不可能と言われていた自殺者の天使任用もあり得るかもしれない。仁木はそう思った。
 実は、春江に天使になれと言ったが、自殺という罪の重さを考えると、ほぼ不可能だと言われていた。しかし、千回詣と向き合わせるには、そう言うしかなかったのである。
 春江は更に続けて千回詣のことを報告する。鳥居をくぐると水の中だったこと。その水が、氷になって数日そのままになったこと。それが千回詣を達成するために時間がかかった原因だということ。
 そして龍神のベリーのこと。コノハナサクヤヒメのパティのこと。
 この二人の天使は、自殺者の春江が、天使になることを目標にして、千回詣に取り組んでいることを知っている。自殺者が天使になるという前例はこれまで一つだってない。仁木すらもそうなることは奇跡だと思っている。自殺対策課の参事と課長が、春江の夢を知った上で、それを否定せずに支援した。この事実は仁木にとって驚くべき事だった。
 また、上位天使が二名も千回詣にかかわっていることも仁木に衝撃を与えた。それほど自殺者が成仏するということは大変なことなのだろう。そう思うしかなかった。
 一通り千回詣の顛末を話した後、春江は大きく背伸びをした後、仁木につぶやいた。
「私……千回詣に挑戦してよかったです」
「え? とても辛かったんでしょ?」
 思わず聞き返した。
「そうですよ。とても辛かったですよ。でも、夢に近づいているんだなと実感できたんです。私の中で天使になりたいという夢が大切なものだって分かったんです」
「そうですか」
 仁木は、この言葉を聞いて涙が出そうだった。自分の言葉がこれほど響いていたのかと思ったからである。これからも全力で春江を応援していきたい。そんな気持ちに包まれた。
「だから頑張ります!」
 春江は拳を作ってそれを振り上げる仕草をしながら言った。
「私も応援しますよ」
 仁木もまた春江と同じ仕草をして言った。すると春江は伏し目がちに、何か言いずらそうとしていた。
「どうしました? 何か言い辛いことでもあるんですか?」
「いえ……うん……」
「何でも言ってください」
「あの……嫌なら嫌って言ってくださいね」
「あ……はい……」
 仁木は何か深刻な話なのかと不安になりながらも、笑顔で取り繕った。
「あの……仁木さんのことを……」
「はい」
「お父様と呼ばせていただいてよろしいでしょうか?」
「はい? どうしたんですか?」
 突拍子のない提案に、仁木は戸惑うしかなかった。
「私……父を生まれて早くに亡くしました。だから、父の記憶がありません。でも、もし私に父がいたら、仁木さんのような方だと思うんです。迷惑じゃなければ、そう呼ばせていただきたいです。駄目……ですよね?」
 仁木は何も言わず、ずっと微笑みながら頷いていた。
「ごめんなさい。忘れてください……」
 春江は身を翻し、その場から立ち去ろうとした。
「はい。いいですよ。じゃあ私も、春江さんが娘のような存在だと思うようにします」
 春江は立ち止まって勢いよく振り返った。
「え? 本当ですか?」
「はい」
「じゃあお父様。私のことは「春江さん」じゃなくて「春江」って呼んでくださいね。これからバイオリンを弾いてきます!」
 春江は仁木の返事を待たずに去っていった。いつもなら姿が見えなくなるまで見送る仁木だったが、春江に背を向けていた。仁木の目に止めどもなく涙が流れていたからである。
 真実を話せない辛さ。それでも自分を父と慕うその姿に耐えられず涙が止まらなかった。
 春江は幸せだった。仁木も幸せだった。自殺者でありながら、至福の中にいた。