神の脳
「今のうちに、自分の息子に権力が渡るようにする必要がある」
ということであった。
実際には、志半ばで、初代将軍であった兄は、落馬という事故で死んでしまうことになるのだが、まだ若い二代将軍は、権力を与えられることがないように、
「有力御家人による合議制」
ということで、幕府体制が整ったのだが、実際の将軍とすれば、
「自分が将軍ではないか」
ということで憤慨することだろう。
しかも、父親の考えから、
「次期将軍」
ということで、英才教育としての、
「帝王学」
を学んできた方とすれば、納得がいくわけはない。
結局、
「育ての親」
である後見御家人と謀って、謀反を起こそうと計画したが、幕府に先起こされ、結局は、
「後見御家人は、親族もろとも滅亡し、将軍は蟄居のうえ、殺された」
という話が伝わっている。
さらに、三代将軍も暗殺されるということで、初代将軍の一族は、結局、
「三代で滅亡」
ということになったのだ。
しかもその間、
「御家人の間でも、粛清が行われた」
ということで、実際に、合議制と言われていたのに、残ったのは、ごくわずかという状態だったのだ。
「そこまでしないと、幕府の統制が取れなかった」
ということなのか、それとも、
「最大御家人が、権力をほしいままに、粛清を行った」
ということなのか、言われているのは、後者である。
そういう意味で、
「そもそも、このような血で血を争う状態で、幕府勢力が確立したというのは、弟の犠牲
というものからはじまっている」
といってもいいだろう。
そんな社会背景があったことから、余計に
「あの弟は気の毒だ」
ということで、
「弱い者を贔屓する」
あるいは、
「迫害されているという場合は、迫害する方が悪で、される方は善ということで、それこそ、勧善懲悪に当てはめることができる」
というものであった。
ちなみに、討ち死にとした弟の官位が、
「判官」
ということだったので、
「弱い者、あるいは、虐げられているものに対してひいき目に見る」
ということを、
「判官びいき」
というのであった。
ただ、
「歴史というものは、本当に真実なのだろうか?」
ということで、だからこそ、今でも、
「歴史の研究」
というものが行われているわけである。
特に、
「政権交代」
などということが起こると、権力を握った方は、前政権というものを、徹底的に否定し、その存在がなかったことにするというくらいに徹底した破壊を繰り返すということも普通にあったりする。
だから、そんな勢力が作った文献などでは、
「前政権のことが書かれていたとしても、改ざんされたりしている可能性が充分にある」
ということで、
「慎重に解読しないといけない」
ということになるであろう。
つまりは、
「そのまま信じてしまうと、その時の歴史だけではなく、前後の解釈を間違えてしまう」
ということから、へたをすれば、
「歴史全体の解釈が根本から間違ってしまう」
ということになりかねないだろう。
それを思えば、
「正誤の認識」
というのは、
「大きく分ければ、二つであるが、実際には、そこに歴史の文というものが微妙に絡み合うことで、考え方というのは、無数にある」
ということも言えるのかも知れない。
世の中には、
「正と悪」
であったり、
「明と暗」
のように、
「対照的なものの存在」
というものが、必須となっているといってもいいだろう。
それを考えると、
「物事を考える時、結果として、世の中が二極性である」
と考えるか、あるいは、
「可能性は無限にある」
と考えるかということである。
ただ、このどちらも、間違っているというわけではないということで、後は、
「それぞれの人の考え方」
ということになるのであって、
「それこそ無限ではないか?」
と考える人もいるが、
「結局は、どちらかということでの、二極性になる」
という考え方である。
そもそも、これも、
「無限という考えと、双極性という考え方」
という二極性ということで、それこそ、
「マトリョシカ人形」
のように、
「入れ子になった考え方」
と言えるのではないだろうか?
もちろん、あくまでも、二つということで、
「表裏」
という考え方がある反面。
「二極性でなければ、あとは無限しかない」
という考えも、乱暴な考えではないかと思えるのであった。
確かに、
「これでは結局、また二極性になる」
ということで、
「堂々巡りを繰り返してしまう」
ともいえるだろう。
ただ、世の中には、これら以外にも、
「不思議な関係」
ということで、三角形というものであったり、五角形というものを考える考え方もある。
三角形というと、
「三すくみ」
であったり、
「三つ巴」
というように、それぞれに、
「抑止力」
というものを考えさせるものもあれば、
「魔の海域」
と呼ばれる、
「バミューダトライアングル」
であったり、
「不思議なパワーが宿っている」
ということで、一時期ブームとなった、
「ピラミッドタワー」
というものも、三角形として考えられるものである。
また、
「五角形」
というと、
「五芒星」
と言われるような図形が魔除けになるということであったり、
「国旗などにも描かれるものとして、五角形であったり、星型が多い」
ということも言えるだろう。
ただ、それが、
「勢力図」
ということであれば、
「三角形」
では考えられるが、他ではあまり見られない。
四角形であれば、
「四面楚歌」
などのように、
「周囲を包囲されている」
という発想のような、不利な体制というものがクローズアップされているといってもいいだろう。
それを考えると、
「二極性」
というものと、
「無限」
という発想が一番強いといってもいいだろうが、忘れてはいけないものとして、
「ゼロ」
という数字である。
これは、
「無限」
というものと対称だと考えるべきなのか、それとも、
「無限もゼロも、同じくらいに神秘的なものなのか?」
と考えるべきなのかということである。
もちろん、
「どちらも考え方として成立している」
ということになるのかも知れないが、その発想というものを、証明しようとすれば、
「果たして、数学的な証明だけで行けるのだろうか?」
ということになる。
逆に、
「数学的な証明はなかなか難しい」
ということから、
「数学以外の発想からも、証明を試みる」
ということも方法の一つではないかと考えられるのである。
それを思えば、
「数学というものには限界がある」
ということであり、
「数学に限界があるということは、他のものすべてに限界がある」
といってもいいだろう。
数列ほど、
「基本的に規則正しいものはない」
と言える。
逆にいえば、
「規則正しいものという発想から考えられたものが、数学というものになるのではないだろうか?」
ということだからである。
双極性障害
「うつ病」



