神の脳
と呼ばれるものがあるが、これは、精神的に落ちこんでしまい、何をやっても、楽しくなかったり、すべてがうまくいかないと思い込んでしまったりする症状をいう。
つまりは、
「一種の精神疾患」
というものだ。
だから、人と話をしていても、話がかみ合わなかったり、自分ではうまくいっていると思っていたことが、実際にはうまくいっていなかったりというものだ。
「夜が眠れなかったり、食欲がなかったり」
と、いろいろな症状に見舞われるが、昔から精神疾患としては、結構たくさんの人がなっている病気だと言えるだろう。
そんな中で、
「躁鬱症」
と呼ばれるものがある、
これは、
「何をやってもうまくいかないと思い込んでしまうといううつ状態」
というものと、
「思ったよりも想像以上にうまくいっているという躁状態」
というものが、表裏で孕んでいるというものである。
しかも、それぞれが、
「定期的に繰り返される」
ということで、最近では、
「双極性障害」
と呼ばれるようになったという。
特に、
「躁状態と鬱状態があるだけではなく、定期的に交互に繰り返される」
というのが、その定義だと言われているのであった。
そんな中において、鬱状態と躁状態が入れ替わる時には、時々、
「混合状態」
という時があるらしい。
この時には、
「気を付けておかなければいけない」
と言われている。
特に、
「鬱状態から躁状態に移り変わる時」
というのが、一番危ないと言われているようだ。
その理由としては、まず、
「それぞれが混合している」
ということであり、
「何に危険なのか?」
というのは、
「自殺したくなる時がある」
という時だという。
普通であれば、
「逆ではないか?」
と思われるようだが、実際には逆なのだという。
なぜなのかというと、
「鬱状態を残したまま躁状態になる」
ということで、躁状態というのは、
「今ならなんだってできる」
と思い込んでしまうようだ。
実際に、鬱状態の時、何をやってもうまくいかないということから、
「死んでしまいたい」
という衝動に駆られるのだが、実際には、
「何をやってもうまくいかない」
ということから、
「自殺などできっこない」
という思いがあることで、うまく踏みとどまることができるのだ。
しかし、これが、
「鬱から躁へいく場合」
というのは、
「死にたい」
と思う反面、鬱だけであれば、
「うまくできない」
という思いから思いとどまることができるのに、これが躁状態が入ってくるとなると、
「死ぬことだって、今だったらできるかも知れない」
と思うのだ。
つまりは、
「気が大きくなってしまい、死ぬことも怖くない」
と思い込むことで、
「ひょっとすると、人間が一番死ねるタイミングがあるとすれば、躁鬱状態の、鬱から躁に変わる時だけではないか?」
と言えるのではないだろうか。
だから、以前言われていた、
「躁鬱症」
という言葉ではなく、最近では、
「双極性障害」
と呼ばれているようだ。
つまり、これは、
「躁と鬱という正反対の症状が、交互に定期的に入れ替わる病気」
ということで、
「循環性がある病気だ」
といえるのではないだろうか?
うつ状態だけで、その鬱状態にたまに陥るというような、
「うつ病」
というものと、
「表裏が定期的に繰り返される双極性障害」
というものの、
「鬱状態」
とでは、同じものではないと言われる。
というのは、
「双極性障害における鬱状態」
というものの方が重症だと言われている。
というのは、
「双極性障害というのは、脳の病気」
ということで、医者が処方する薬を飲み続けなければ、よくなりつつあっても、途中でやめてしまうと、せっかく好転していた症状が、元に戻ってしまうということであった。
特に、
「双極性障害」
というものは、素人では判断がつきにくいと言われる。
何といっても、
「何でもできる」
というような躁状態に戻ってしまうと、
「もう病気は治ったのではないか」
ということになり、結局は、治ってもいないのに、
「治ったと思い込んで、医者に相談をせずに、薬をやめてしまう」
ということになるのだ。
つまりは、
「せっかくよくなりかかっていたのに、薬をやめたことで、また一からやり直しだ」
ということになりなけないということである。
実際に双極性障害というのは、
「専門家でも、なかなか判断しにくい病気だ」
と言われていた。
以前であれば、本当は双極性障害なのに、
「ただのうつ病だ」
ということで判断されてしまい、
「鬱病の薬」
だけを処方され、実際に、悪化してしまった状態から、再度病気と向き合うということで、
「本来なら、許されない誤診だ」
ということになるだろう。
それだけ過去には、そういう例が結構あったということになるのだ。
今では、
「双極性障害」
というのも、研究が進歩してきたことや、
「患者が圧倒的に増えた」
ということから、双極性障害に対しての対応や薬剤の開発などは、だいぶ進歩してきたということになるのだ。
今の時代は、
「精神疾患」
と呼ばれるものが当たり前のように、
「誰の身にも起こって当たり前」
という時代になってきた。
昔であれば、
「精神病」
と言われ、差別扱いされたり、病院で入院する時など、少々の症状であっても、
「まるで、独房に放り込まれた」
かのような状況だったものだ。
それこそ、昔、
「結核患者を収容した」
という
「サナトリウムのようなところに、まるで、犯罪者のごとく、収監された」
といってもいい。
それも、今に比べれば、いわゆる、
「精神病患者」
というものが、圧倒的に少なかったと言えるからだろう。
しかし、今の時代は、
「誰の身に降りかかってきたとしても、不思議はない」
と言われる状態になってきた。
というのも、
「世の中に、ハラスメントと呼ばれる嫌がらせが蔓延ってきた」
ということがある。
学校での、
「イジメ」
というのが頻繁に起こってきたり、会社において、
「上司からの嫌がらせ」
あるいは、
「男性の女性に対しての嫌がらせ」
などというものは昔からあるにはあった。
しかし、苛めの場合などは、
「イジメられる側にも、一定の理由がある」
ということで、大人になれば、自然と和解するということになり、大きな問題となる前に、解決することが多かったりした。
また、
「上司の嫌がらせ」
のようなものは、
「皆が受けていることだ」
ということで、自分だけが受けているものではないということから、その問題を自分から表に出すと、
「我慢できないのか?」
ということで、
「意気地なしのレッテルが貼られていた」
といってもよかった。
特に、昔は、
「熱血」
なとと言われ、
「我慢するということが強要された」
といってもいいだろう。
しかし、苛めと同じで、時代が進むごとに、嫌がらせというものが陰湿になってきた。そのため、
「昭和の頃までであれば、我慢しろ」



