神の脳
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年10月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。
プロローグ
「真実はひとつ」
などと、よくテレビドラマや映画などで言われている。
特に、ミステリー小説などが原作の作品などは、この言葉が、名言として言われているようだ。
しかし、
「いかに名言であっても、しつこく言われると、次第に億劫になってくる」
というもので、実際に、このセリフを聞くとうんざりするという人も少なくはないだろう。
確かに、
「真実は一つ」
と言われると、まさにその通りだと思い、疑う余地を持つこともない。
しかも、
「勧善懲悪」
と呼ばれる日本人には、この真実という言葉が、勧善懲悪が正しいということを証明してくれているように思うだろう。
「勧善懲悪」
というのは、平たくいえば、
「正義は正しいものなので、正義を助け、悪は悪いことなので、懲らしめる」
ということを示しているのである。
それが転じて、
「判官びいき」
と言われるような性格が、日本人になじんでしまっているのだろう。
この、
「判官びいき」
というのは、
「弱い者を贔屓する」
というものの総称のように言われている。
本当は、
「兄のいうことを無視した弟が、兄の怒りを買って、英雄でありながら、最後は兄から追討を受けることで、討たれてしまった」
という話である。
これには、賛否両論があり、兄の立場から見れば、
「せっかく内部統制を行っているのに、弟と言えども、自分たちの考え方を無視した行動は、許されることではない」
ということで、
「弟といえど、棟梁の立場から言って、許すわけにはいかない」
という立場で考えれば、致し方のないことであろう。
しかし、これを人情的に考えると、弟に対しての同情もあってしかるべきである。
「英雄としてちやほやされる弟に、兄は単純に嫉妬した」
ということであろう。
ただ、朝廷の方の法皇は、
「海千山千の人たらし」
ということで、
「うっかり作戦に乗ってしまうと、内部分裂させられる」
ということを兄は分かっていて、警戒していたのだ。
しかし、弟の方は、ちやほやされることで調子に乗ったのか、兄から言われた
「官位を勝手にもらってはいけない。自分の許可を必要とする」
という言葉を無視したということになっている。
弟とすれば、
「自分が官位をもらうということは、代表として君臨してきた自分に対してというより、棟梁である兄が官位をもらうも同然だ」
ということで、
「これこそ、武士の誉れ」
と思ったに違いない。
これも、
「内部分裂させる相手の作戦」
ということを分かっているのかいないのか、それによって違ってくるのであるが、
「兄は見抜いていて、弟は見抜けなかった」
ということで、結果的に、相手が望む内部分裂につながったということである。
しかし、分裂が避けられないとすれば、考えることとすれば、
「いかに被害が少なくて済むか?」
ということである。
「弟一人を差別して贔屓すれば、せっかく作り上げた政権が崩壊し、今度は自分が狙われるということになる」
ということで、普通に考えれば、
「弟といえども、容赦はしない」
ということになるだろう。
だから、
「追討軍の将軍」
ということで、
「英雄としての凱旋」
してきたはずの弟に対し、
「入国は許さない」
ということで、途中で留め置くことにしたのだが、納得がいかない弟は、兄に対して、
「申し開き状」
のようなものを書いて、何とか気持ちを和らげようとしたのだが、すでに、
「統制のため」
と思っている兄に通じるわけもない。
そこで、弟は承諾できないまま、京に戻ったのだが、今度は弟への追討軍を差し向けて、最後は、打ち取られるということになったのだ。
確かに、正当性というと、
「兄の側にある」
と言わるだろう。
しかし、それでも、弟のファンが多いのか、それとも、悲劇として伝わった話が、大げさに表現されているのか、
「弟尾は悲劇のヒーロー」
ということになった。
ただ、その後の歴史というものを見ると、あながち、
「人情的なもの」
であったり、
「統制のためのやむを得ない」
ということだけではないだろう。
というのも、
「兄のその後」
というものを考えてみると、よくわかるというもので、
「もう一人の弟も、謀略を巡らせて、失脚させ、最後には切腹させている」
ということであったり、同じことを、もう一人の弟にもしている。
これは、
「生まれた息子に権力を集中させたい」
という思いがあったと言われる。
それまでは、
「武士の棟梁」
ということで祀り上げられてきたが、それはあくまでも、
「自分の力で統一した」
というものではない。
「あくまでも、東国武士をまとめるために、担ぎ上げられた」
ということで、元々は、
「罪人ということでの流人だった」
ということであった。
父親が、戦に負けたことで、本来であれば、打ち首にされるところを、命乞いされたことで、生き延びた人間なので、あくまでも、
「お飾りのような存在」
だったのかも知れない。
そのことは、本人が一番分かっていることであろう。だからこそ、
「統制を乱すわけにはいかない」
ということで、
「弟であっても、容赦しない」
ということを貫いてきた。
しかし、自分が、
「武家の棟梁」
という確立した立場になると、今度は、
「それを守ろうとする」
というのは、当たり前のことである。
だから、
「自分の息子に、権力を譲りたい」
と思うのは当たり前のことで、そのために、
「兄弟が一番じゃまだ」
ということになる。
もし有力御家人が、兄弟と結んで謀反を起こせば、相手も同じ一族ということで、へたをすれば、勢力を二分する大戦争になるかも知れないのだ。
それでは、もし勝利したとしても、その被害は想像もできないほどになるかも知れない。そんな時、
「他の勢力に謀反を起こされれば、ひとたまりもない」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
プロローグ
「真実はひとつ」
などと、よくテレビドラマや映画などで言われている。
特に、ミステリー小説などが原作の作品などは、この言葉が、名言として言われているようだ。
しかし、
「いかに名言であっても、しつこく言われると、次第に億劫になってくる」
というもので、実際に、このセリフを聞くとうんざりするという人も少なくはないだろう。
確かに、
「真実は一つ」
と言われると、まさにその通りだと思い、疑う余地を持つこともない。
しかも、
「勧善懲悪」
と呼ばれる日本人には、この真実という言葉が、勧善懲悪が正しいということを証明してくれているように思うだろう。
「勧善懲悪」
というのは、平たくいえば、
「正義は正しいものなので、正義を助け、悪は悪いことなので、懲らしめる」
ということを示しているのである。
それが転じて、
「判官びいき」
と言われるような性格が、日本人になじんでしまっているのだろう。
この、
「判官びいき」
というのは、
「弱い者を贔屓する」
というものの総称のように言われている。
本当は、
「兄のいうことを無視した弟が、兄の怒りを買って、英雄でありながら、最後は兄から追討を受けることで、討たれてしまった」
という話である。
これには、賛否両論があり、兄の立場から見れば、
「せっかく内部統制を行っているのに、弟と言えども、自分たちの考え方を無視した行動は、許されることではない」
ということで、
「弟といえど、棟梁の立場から言って、許すわけにはいかない」
という立場で考えれば、致し方のないことであろう。
しかし、これを人情的に考えると、弟に対しての同情もあってしかるべきである。
「英雄としてちやほやされる弟に、兄は単純に嫉妬した」
ということであろう。
ただ、朝廷の方の法皇は、
「海千山千の人たらし」
ということで、
「うっかり作戦に乗ってしまうと、内部分裂させられる」
ということを兄は分かっていて、警戒していたのだ。
しかし、弟の方は、ちやほやされることで調子に乗ったのか、兄から言われた
「官位を勝手にもらってはいけない。自分の許可を必要とする」
という言葉を無視したということになっている。
弟とすれば、
「自分が官位をもらうということは、代表として君臨してきた自分に対してというより、棟梁である兄が官位をもらうも同然だ」
ということで、
「これこそ、武士の誉れ」
と思ったに違いない。
これも、
「内部分裂させる相手の作戦」
ということを分かっているのかいないのか、それによって違ってくるのであるが、
「兄は見抜いていて、弟は見抜けなかった」
ということで、結果的に、相手が望む内部分裂につながったということである。
しかし、分裂が避けられないとすれば、考えることとすれば、
「いかに被害が少なくて済むか?」
ということである。
「弟一人を差別して贔屓すれば、せっかく作り上げた政権が崩壊し、今度は自分が狙われるということになる」
ということで、普通に考えれば、
「弟といえども、容赦はしない」
ということになるだろう。
だから、
「追討軍の将軍」
ということで、
「英雄としての凱旋」
してきたはずの弟に対し、
「入国は許さない」
ということで、途中で留め置くことにしたのだが、納得がいかない弟は、兄に対して、
「申し開き状」
のようなものを書いて、何とか気持ちを和らげようとしたのだが、すでに、
「統制のため」
と思っている兄に通じるわけもない。
そこで、弟は承諾できないまま、京に戻ったのだが、今度は弟への追討軍を差し向けて、最後は、打ち取られるということになったのだ。
確かに、正当性というと、
「兄の側にある」
と言わるだろう。
しかし、それでも、弟のファンが多いのか、それとも、悲劇として伝わった話が、大げさに表現されているのか、
「弟尾は悲劇のヒーロー」
ということになった。
ただ、その後の歴史というものを見ると、あながち、
「人情的なもの」
であったり、
「統制のためのやむを得ない」
ということだけではないだろう。
というのも、
「兄のその後」
というものを考えてみると、よくわかるというもので、
「もう一人の弟も、謀略を巡らせて、失脚させ、最後には切腹させている」
ということであったり、同じことを、もう一人の弟にもしている。
これは、
「生まれた息子に権力を集中させたい」
という思いがあったと言われる。
それまでは、
「武士の棟梁」
ということで祀り上げられてきたが、それはあくまでも、
「自分の力で統一した」
というものではない。
「あくまでも、東国武士をまとめるために、担ぎ上げられた」
ということで、元々は、
「罪人ということでの流人だった」
ということであった。
父親が、戦に負けたことで、本来であれば、打ち首にされるところを、命乞いされたことで、生き延びた人間なので、あくまでも、
「お飾りのような存在」
だったのかも知れない。
そのことは、本人が一番分かっていることであろう。だからこそ、
「統制を乱すわけにはいかない」
ということで、
「弟であっても、容赦しない」
ということを貫いてきた。
しかし、自分が、
「武家の棟梁」
という確立した立場になると、今度は、
「それを守ろうとする」
というのは、当たり前のことである。
だから、
「自分の息子に、権力を譲りたい」
と思うのは当たり前のことで、そのために、
「兄弟が一番じゃまだ」
ということになる。
もし有力御家人が、兄弟と結んで謀反を起こせば、相手も同じ一族ということで、へたをすれば、勢力を二分する大戦争になるかも知れないのだ。
それでは、もし勝利したとしても、その被害は想像もできないほどになるかも知れない。そんな時、
「他の勢力に謀反を起こされれば、ひとたまりもない」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、



