悪魔の微笑みの男
つまりは、皮肉なことであり、だからといって、
「無駄だった」
というわけではない。
少なくとも、
「時間はかかったが、自分のことを少しでも知ることができた」
というのは、時間が無駄ではなかったということを知ることになるのであった。
だから、
「実家に保護される」
というのは、ありがたいことであった。
「あの男から、完全に逃れることができた」
ということと、
「あの男がどれほどくだらない男」
ということで、日ごろから、
「仁義などということを口にしていたが、それが、自分を正当化するということでの、唯一の方法」
ということで、
「情けないというか、くだらない男だった」
ということを、身に染みて感じられたことはありがたかったのだ。
だから、
「両親が、あの男を葬る」
と面と向かって言ったとしても、こっちとしては、
「すでに覚悟はできている」
ということで、
「あの男を許せない」
という思いから、
「自分が手を下さずに葬ってくれるのであれば、甘えるのが正解かも」
と思ったのだ。
それだけの迷惑を掛けられてきたということであり、あの男の存在は、自分だけではなく、
「社会の迷惑」
ということで、
「葬るということは正義に値する」
ということになる。
そして、それをもし、
「悪だ」
ということであれば、それは、必要なものということで、
「必要悪だ」
といってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、
「両親はすでに、あの男を始末する覚悟を決めている」
ということが分かったのは、
「妊娠に際して、何か変だと感じさせたからだろう」
と思ったのだ。
それは、
「私に余計な気を遣わせずに、出産に集中できるようにしてくれたからだろう」
としか思っていなかったのだ。
実際に、母親としても、
「まさか、出産に何かある」
などと思ってもいないと感じていたからである。
「出産するというのは、女性であれば、誰であっても不安なもの」
ということで、医者も看護婦も、そういって話しかけてくれる。
それは、
「産婦人科の医者や看護婦であれば当たり前のこと」
ということである。
だから、母親も、
「何か変だ」
とは思いながらも、
「おかしい」
とまでは感じなかったのだ。
実際に、初めての出産ということで、そこまで気が回るわけもないだろう。
しかも、
「あの男に対しての覚悟というものも決めていた」
ということもあるので、自分の中の考えが、いかにその時、いろいろあり、複雑だったという自覚がなかったのかということになるのだろう。
実際に、出産が近づいてくると、両親の訪問も、頻繁になってくる。
といっても、
「お見舞いに来る」
というだけで、それも、
「形式的な形」
というだけであった。
「形式的にでも来てくれるのはありがたい」
と母親は思っていた。
それだけ、
「母体というものは不安になるものだ」「
ということであろうが、両親とすれば、
「娘がいろいろなことを知ってしまっていないかどうか?」
ということが気になっていたのだ。
ただ、
「あの男を出産までに始末する」
ということは、明確に両親は口にしていなかったが、そのことで、
「安心していいぞ」
といっていることは分かっていた。
これも、さすがに妊婦に対しては、
「結構重たいことである」
と言えるのではないだろうか。
だから、両親とすれば、
「毎日顔を出してくれる」
ということが、娘のためだと感じていると、入院中に母親は感じたのであった。
ただ、実際に、両親が思っていたのは、
「生まれてくる子供が双子だ」
ということを知らないでいてほしいという気持ちがあったからだ。
確かに、
「多額の金を使っての、口封じ」
といってもいいほどのかん口令なので、
「安心していてもいい」
ということであろうが、いつも金でものを言わせているという人とすれば、
「本当に隠したいことがある」
ということがある時、
「これ以上不安なことはない」
と、一種の取り越し苦労をどうしても、やり過ごしてしまうということになるのではないだろうか?
だから、病院にくれば、病室をそこそこに、病院の至るところで、確認を怠らない。
両親とすれば、
「出産までが、かなり不安に感じていたことだろう」
とも感じる。
へたをすれば、
「このまま、娘もろとも死んでくれれば」
などという、恐ろしいことを、一瞬でも考えなかったとはいえない。
もちろん、本当に一瞬で、
「まるで、夢を見ている」
というほどの一瞬だったに違いない。
それだけ、
「娘の妊娠」
というものには、大きな秘密が存在した。
それが、
「生まれてくる子供が双子だ」
ということであった。
両親は、
「それが、双子の姉妹」
ということも分かっている。
そして、生まれてきた子供が二人とも健康に生まれてきた場合だけが問題ということで、
「生まれてきた子の姉の方を、里子にやる」
と考えたのだった。
確かに、昔から、
「双子は、忌み嫌われる」
ということであったが、血のつながりをそこまで感じない家系というのに、なぜか、
「双子」
というものにだけは、意識が深かったのだ。
そもそも、昔からの家訓ということで、
「双子が生まれれば、一人は死産とするか、それとも、里子にやるか」
ということが言われてきた。
さすがに、今の時代、
「無理やりの死産」
というのは、許されない。
それが、この家系の家訓ということでもあった。
「できるだけ、生まれてくる子供を殺さないようにする」
というのが、昔から言われてきたことだったのだ。
この家は、それこそ、平安時代の昔から続いているように言われていて、武家の時代などにおいては、
「子供が忌み嫌われるものであれば、死産ということで殺すということもちゃむを得ない」
と言われてきた。
だが、本当はそこまでするわけにもいかないということで、特に戦国時代などという時代であれば、
「ただでさえ、人をたくさん殺しているので、戦以外で、無意味な殺生は、なるべくしてはいけない」
と言われていた。
実際に、それだけ、
「宗教の時代」
といってもいいほど、
「死んでからの世の中に救いを求める」
という宗教が流行ったというのも当たり前のことであろう。
だが、その時代の文化として、
「天守を持った城」
というものもあり、
「生きている時代に美を求める」
という考えもあったのだ。
そういう意味で、少しでも生きている時代に宗教に逆らうようなことはしてはいけないということになるのだろう。
母親は、一時期宗教に所属していた。その宗教というのは、完全な、
「カルト宗教」
ということであり、母親が脱退してから、大きな社会問題を引き起こすことになったところであり、
「早く抜けられてよかった」
と言ってもいいだろう。
そもそも、宗教に入信するくらいだったという精神状態から、あの、
「チンピラのような男」
と付き合うことになったといってもいい。
しかし、逆にいえば、



