世界の無限ループ
ということなので、そのメカニズムも、無意識ということだけに、証明できるものでもなければ、自分で納得しながら本当に選択したものだと言えるのであろうか?
それが、ロボット開発における、
「フレーム問題」
と呼ばれるものである。
確かに、目の前に起こる出来事というのは、
「無限の可能性がある」
ということである。
しかし、本能ということであるが、人間はその可能性を無意識に選択することができるという能力を有している。
それを、
「本能だ」
ということであれば、そのメカニズムを解明できるかということで考えられたのが、
「フレーム問題」
というものであった。
これは、
「可能性をいくつかのパターンに分けるということで、フレームに当てはめる」
ということから、
「フレーム問題」
と称されるようになったのだ。
しかし、元々、
「無限」
ということになる。
無限というものは、いくら細分化するとしても、要するに、
「どんどん割っていく」
という考え方であるが、そもそもの元になるものが、
「無限」
ということであるので、
「無限というものは、いくらいくつかに割ったとしても、その答えは無限でしかない」
ということになる。
だから、
「細分化しようとしても、元が無限ということであれば、結果が無限でしかない」
ということから、結果として、
「堂々巡りを繰り返す」
ということになり、
「ロボットの人工知能は、無限ループを繰り返す」
ということで、
「無限に計算を行い続ける」
という皮肉なことにしかならないということであろう。
それが、
「ロボット開発におけるフレーム問題」
というもので、これが、
「結界だ」
ということになるだろう。
それを考えると、
「ロボット開発」
というものは、最後には、
「人間の意思」
というものが働かないと、機能しないということになるだろう。
そうなると、
「肉体がロボットで、脳が人間」
という、
「サイボーグ」
というものの発想が生まれてくるのであった。
ただ。そうなると、またしても、
「ロボット工学三原則」
というものに戻ってくるのだが、
「身体がロボットで、脳が人間」
ということがどれほど危険かということである。
「人間に対して、従順」
というのがロボットの基本だということであるが、その脳自体が、人間ということだ。
つまりは、
「人間に従順ではなく、自分に対して従順である」
ということから、
「自分中心の世界を作ろう」
とするロボットが溢れるということになるだろう。
ロボットが意思を持つということは、そういうことなのだ。
だから、
「フレーム問題」
というものと、
「ロボット工学三原則」
というものが、お互いに、
「堂々巡りを繰り返す」
ということは、
「無限ループに陥ってしまう」
ということであり、結果として、
「何も進んでいない時間の無駄」
ということになるだろう。
もっとも、
「フランケンシュタイン症候群」
ということで、
「ロボットに支配される人間界」
という悪夢から考えれば、ロボットが動かないということは、
「高い授業料だった」
と考えればいいのだろうが、人間のような動物が、
「そう考えることで納得できるはずなどない」
ということになることだろう。
結局、
「過去を知る」
ということも、その後の
「ロボット開発」
ということも、本来の計画からすれば、まったく進んでいないということになるだろう。
もっといえば、
「進まない理由が分からない」
ということで、本当であれば、
「諦めなければいけない」
というタイミングを逸してしまい、結果として、人間界全体が、無限ループに入り込んでしまっているといってもいいのではないだろうか?
国際結婚禁止令
世の中は、
「恋愛結婚禁止令」
というものが出てから、最初こそ、
「そんなめちゃくちゃな」
と言われていたが、それも時間が経ってくると、
「その発想、正しかったのかも知れないな」
と実際に法律を決めた政府だけではなく、それを守るべき一般市民までが、
「それが正しいことなんだ」
と、政府以上に考えているということであった。
それが、政府の方針ということで、
「過去の考え方の踏襲」
ということ、そして、
「それによるタイムマシンの開発」
そして、それと並行して、
「ロボット開発を行う」
ということが、すべて、
「国家プロジェクト」
ということで、一般市民にも公表されたというのが、この時代の特徴だった。
少し前までは、
「政府のプロジェクトというのは、すべてが、国家の最高機密ということで、絶対に国民に知られてはいけない」
ということが当たり前だったのだ。
しかし、この国のソーリに、
「心理学や、科学に明るい」
という人が就任したということで、
「それまでの正しいと言われていたことを、ことごとく覆す」
ということになったのだ。
そもそも、国民は、これまでの
「ソーリ」
と呼ばれる人たちが、秘密にしてきて、実際に影でやったことが、取り返しのつかないという最悪の状態だったということから、
「政府は信じられない」
ということになったのだ。
そもそも、最初は、
「政府の何が信じられないということなのか?」
ということを分かっていなかったのだが、その正体が、
「極秘に次ぐ極秘」
ということでの、いわゆる、
「独裁」
という考え方が、国家を滅ぼすということで、選挙の際に、
「開かれた政府」
ということを前面に押し出した政党を支持する傾向になったのであった。
そのおかげで、今の政府が、
「極秘は一切ない」
ということになり、政府のやり方がいい悪いは別にして、
「少なくとも、今までの政府よりもよくなった」
と思われるようになったのだ。
最初の頃は、
「今の政府が最悪で、他の人になれば、よくなるだろう」
と思っていたが、実際には、
「これ以上悪くなることはない」
という他力本願だったのだ。
しかし、実際には、さらにもっとひどく、
「これ以上悪くなることはない」
というのが迷信であり、
「下手に政府を変えると、さらにひどくなるに決まっている」
という発想から、それまでであれば、
「違う人に変わってほしい」
と思っていた政府に対して。
「これ以上悪くなっては困る」
ということで、
「下手に動かない」
という考えから、政権を取った政府は、
「任期満了までとりあえず勤めている」
という形になったのだ。
実際に、
「事なかれ主義」
ということで、政治がよくなるわけはない。
そう。
「これ以上悪くならなければそれでいい」
という考えが、それまでの政治だったのだ。
しかし、国民も考えるようになり、
「秘密主義がもたらした」
ということで、
「国民が腹をくくって、公開された政治というものを支援する」
という考えに至れば、
「国民が選んだ政治家」
ということで、諦めがつくという、腹のくくり方になるというものである、
だから、



