小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

世界の無限ループ

INDEX|12ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 

 というものさえ備わっていれば、他には必要がないといえるのではないだろうか?
 逆に、他の余計なものが備わっていれば、それこそ、
「人間にとって、害でしかない」
 ということになるだろう。
 そもそも、ロボット開発というものは、
「人間の補助となる」
 という考え方から生まれたものだと考えて、
「人間では危険を伴うことを、ロボットにやらせる」
 という発想からであれば、真っ先に考えることとして、
「ロボット兵士」
 という考え方である。
 人間というのが、
「愚かな動物だ」
 と言われることの一つとして、
「人間だけが、私利私欲のために、同胞を平気で殺す」
 という言われ方をするからで、逆にいえば、
「人間には、その自覚はある」
 ということで、
「それだけ頭がいい」
 と言えるのだろうが、逆に、頭がいいのではなく、前述のように、
「自分たちの都合よくしか考えない」
 ということであろう。
 そのことを、
「人間の頭の良さ」
 と考えるのだとすれば、なるほど、
「人間というものが、他の動物に比べて高等な動物だということを平気で考えられる動物だ」
 ということになるだろう。
「人間だって動物の一種なのに、人間だけが、差別化されて考えられている」
 というのが、まさしくそのことになるわけである。
「ロボット開発としては、人間が操縦する」
 という形のものは、ある程度まではできている。
 しかし、ロボットが、
「自分の意思で動くことができる」
 ということで、
「人口知能」
 というものを組み込んだロボットができるかどうかということには、かなりのハードルというものがある。
 そのことは、すでに、
「半世紀以上前から考えられている」
 ということであり、そのために、二つほど大きな問題があることで、それが、結界ということになって、なかなか先に進まないものだと言われている。
 その一つが、
「ロボット工学三原則」
 というもので、
「理想の人間を作ろうとして怪物を作ってしまった」
 というお話として有名な、
「フランケンシュタイン」
 の発想から、
「ロボットを作ったことで、人間の役に立てばいいが、実際に、人間を支配するようになると困る」
 ということである。
 なんといっても、
「肉体の頑丈さ」
 というのは、ロボットの方が絶対的だということからである。
 人間を守るために作ったロボットが、人間らしさを持つと怖いというのは、
「それだけ人間が狡賢い」
 ということになるということである。
 そもそも、ロボット開発の一つの理由に、
「ロボット兵器」
 ということで使おうというのだから、ロボットからすれば、
「人間に利用されて、最後は最前線で壊される運命」
 ということである。
「人間の盾になる」
 ということであり、さらに、相手を攻撃するということが、その存在意義ということで、
「戦争に突起したロボット」
 ということであれば、それも当たり前のことだと言えるだろう。
「もしロボットに、人間のような心がある」
 ということになると、
「やってられない」
 と思うに違いない。
 そして、人間にはロボットに、
「人口知能」
 というものを植え込んで、
「自分の意思で動くことができるロボットの開発」
 ということであるのだから、
「いつ、人間のような意思を持つか分からない」
 ということになるのだ。
 そうなると、
「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまったフランケンシュタインの話」
 というのは、
「架空の話ということではなく、これからの未来予想図に近い」
 といってもいいだろう。
 小説を書いた作者が、
「これは未来にありえることだ」
 ということで、あくまでも、
「架空の話」
 ということであるが、本当は未来への警告ということで書いたのだとすれば、作家としては、
「素晴らしい作品ができた」
 ということで、自己満足もハンパではなかっただろう。
 つまり、
「小説を書く」
 ということは、架空の話であっても、それが未来に起こるべきことを予測して書いたということであれば、
「これ以上の満足感はないだろう」
 ということになる。
 だから、小説を書くということが、
「架空の話でなければ、小説ではない」
 と考えるに至るというのも当たり前ということではないだろうか。
 その醍醐味を知るということが、小説家としても、満足感であり、達成感だということであれば、
「本当の小説家」
 ということで、架空の話を書く作家が増えてもいいだろう。
 そういう意味で、
「小説というものに、ノンフィクションを混ぜる」
 というのは、邪道ではないだろうか?
「エッセイや紀行文などというものは、小説ではない」
 と考えると、
「無料投稿サイト」
 というものに、ノンフィクションを載せるというのは、邪道ではないかと考える人がもっとたくさんいてもいいのではないかと考えるのであった。
 ロボット開発において、
「人間に決して逆らうことのない」
 つまりは、
「人間に都合のいいロボット」
 というものが、絶対条件だということになるということで考えられたのが、
「ロボット工学三原則」
 というものだったのだ。
 いわゆる、
「良心回路」
 と呼ばれるものだといってもいいだろう。
 また、ロボット開発において、もう一つの、
「結界」
 と呼ばれるものがある。
 これは、一種の
「ロボット工が空く三原則」
 というものが、
「心理的な矛盾」
 ということであれば、
「現実的な矛盾」
 ということで言われているのが、
「フレーム問題」
 というものである。
 これこそ、
「考えるという発想」
 において、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 という考え方であった。
 というのは、
「誰もが、次の瞬間に起こる可能性というものを、瞬時に判断できるというものだろうか?」
 ということである。
「時間があれば考えられる」
 ということであっても、実際には、
「一瞬にして答えが出なければ、時すでに遅し」
 ということになるのである。
 つまりは、
「次の瞬間に広がっている可能性というのは、無限に存在する」
 ということである。
 ただ、
「人間も、それ以外の動物というのも、その無限の可能性というものを意識することなく、無限に広がっているものから、正しいものを選び出し、選択できる」
 ということだ。
 ただし、それが本当に正しいものなのかということは分からない。誰がそれを決めるというのかということを考えると、
「何が正しいのか?」
 というのは、この際関係はないだろう。
「見つけた結論が正しい」
 ということであれば、その理屈というものは分かるということであり、
「その結論を見つけるために、人間を中心とした動物には、本能というものが備わっている」
 ということだ。
 つまり、
「ロボットには、本能回路」
 というものが必要だということになるのだろうが、そもそも、本能というものは、
「意識せずにできている行動」
作品名:世界の無限ループ 作家名:森本晃次