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世界の無限ループ

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「この考えとしては、一つの問題解決を招くことができる」
 というものである。
 それは、
「同じ時代、同じ次元に、もう一人の自分が存在する」
 という問題で、この問題は、
「過去を変えてしまう」
 ということと並んで、
「もう一つのタイムパラドックスだ」
 といえるだろう。
 そして、その発想が、いわゆる
「ドッペルゲンガーの存在」
 というものを証明しているかのようであると思えば、逆に、
「タイムリープが、ドッペルゲンガーを否定することになる」
 といえるだろう。
「ドッペルゲンガーを見ると。近い将来死んでしまう」
 という都市伝説がある。
「特に、著名人などがたくさん見たことで死んだ」
 ということで、その信憑性が信じられているのであった。
 理屈としても、
「タイムパラドックスへの戒め」
 ということであれば、納得がいくものだからである。
 しかし、これが、
「タイムリープ」
 という考え方で信憑性を見てみると、
「過去の自分に乗り移るのだから、タイムスリップのように、過去には過去の自分がいる」
 ということでの、
「ドッペルゲンガーは存在しない」
 ということになる。
 そもそも、ドッペルゲンガーというものが、
「時系列の違う自分」
 というものを、
「もう一人の自分」
 ということで考えていいものか?
 ということになるのだ。
 だから、タイムリープという考えは、ある意味、
「タイムスリップにおける欠点を補う形で考えられた」
 ともいえるだろう。
 しかし、実際には、
「過去に戻ってやり直す」
 という、
「タイムスリップにおけるタイムトラベル」
 というものとはまったく違った視点から見えるものだということになるのであろう。
 だからこそ、
「タイムリープ」
 という考え方には説得力というものがある。
 つまり、この考え方は、
「過去に戻ることはできるが、現代には戻れない」
 ということで、あくまでも、
「やり直す」
 ということを前提に考えられたものだということである。
 実際に、
「過去の時代」
 というものを勉強するということがテーマなので、
「タイムリープ」
 という形ができないのではないか?
 とも考えられたが、中には、割り切っている人がいて、
「この時代に生きるよりも、過去の世界に戻って、その時代のことを、未来に書き残すということをやりたい」
 ということで過去に戻るという人もいた。
 ただ、実際には、
「それだけ、この時代に嫌気がさしている」
 ということの裏返しということではないだろうか?

                 ロボット開発

 考えてみれば、過去の人が書き残した文献というのは、確かに、
「その当時に必要なもの」
 というのがほとんどなのだろうが、
「過去のものを翻訳する形で、未来に残す」
 というような、
「国文科」
 のようなものが存在したりしていた。
 それは、
「未来から行った人間が、未来の人間に対して」
 ということになる。
 ただ、問題は、
「タイムリープ」
 というのは、
「その人間が生存した時代でなければ、ありえない」
 というのが一般的な考えであるが、実際に、
「その人が生きていたはず以外の時代にも生きていた」
 ということもあるようだ。
 そうなると、
「その人は、前世の自分だ」
 とも考えられないだろうか。
 前世の自分からやり直すということができると考えると、
「人間は、生まれ変わりによる、輪廻転生というものがある」
 と考えられているが、それを証明しているかのように考えられる。
 それが、
「タイムトラベル」
 ということで、
「自分をやり直す」
 ということが、その
「循環をまたいだ人生」
 というものの中でも可能だと考えることで、人間というものが、いかに当たり前のことのように、この世界をつないできたかということも分かるというものだ。
「一人の人間として、寿命まで生きた」
 と考えたとして、死後の世界を経て、また生まれ変わる。
 それを、
「輪廻転生」
 というものだと考えると、
「ある意味、この世界は、思ったよりも狭いものなのかも知れない」
 と考えられる。
 人間というのは絶えず、架空の世界を思い浮かべるものだと考えられている。
 それが、
「未知の世界」
 ということで、一番の代表例というのは、
「近未来の世界」
 といってもいいだろう。
「時系列を規則正しく歩んでいく」
 ということで、
「未来が現在となり、すぐに、過去になってしまう」
 ということで、まるで、
「尺取虫のようだ」
 と考える人もいるだろう。
 だが、その未来に思いをはせるということは、
「想像した未来が、本当に現在になるのだろうか?」
 ということで、逆に、
「「現在は、間違いなく過去になる」
 ということを考えれば、
「現在に行うことが、未来に大きな影響を及ぼす」
 ということで、その考えが、
「タイムパラドックス」
 というものの基礎になるといっても過言ではないだろう。
「だから、過去を変えないための未来」
 と考えると、
「もう一つの並行世界」
 という発想が出てきて、それが、
「パラレルワールド」
 という発想になるのだ。
 この発想が納得できる証明ということにつながれば、
「タイムパラドックス」
 というものも、
「ドッペルゲンガー」
 というものも、問題なく解決されるということになるだろう。
 しかし、これはあくまでも、
「都合のいい考え」
 ということで、この発想がそもそも、
「各種問題解決のために考えられた」
 ということであれば、
「都合のいい発想」
 として始まったものなので、その証明というのは、却って難しいということになるのではないだろうか?
 そんな、種々の問題を孕んだ、
「タイムトラベル」
 というものは、
「過去を知る」
 ということで必要なことであった。
 過去の風俗であったり、考え方などが、今の世界での、
「ロボット開発」
 というものに至るまでの
「中間的な考え方」
 ということで、どのようにうまくいかせるかということが問題となるのである。
 確かに、今の人間から過去をさかのぼるというと、どうしても、
「過去というのは、原始的なもの」
 ということになり、そこには、
「人類は、絶えず進歩をしてきた」
 という発想になる。
 この発想があるからこそ、
「人間というのは、一番高等な動物だ」
 ということになるのであり、他の動物が進化をしたとしても、それはあくまでも、
「肉体的なもの」
 ということでしかない。
 その発想は、
「本能」
 というものが、動物の一生を支えているといえるもので。そこには、
「先祖代々受け継がれてきた、遺伝子によるもの」
 というものそのものが、
「本能につながっている」
 という考えである。
 だから、
「本能というものがあれば、考える力というものがなくとも、生きていける」
 ということになるのであった。
 逆に、
「ロボット開発」
 というものの中で、ロボットを、
「あくまでも、人間の補助」
 ということで考えるのであれば、動物における。
「本能」
作品名:世界の無限ループ 作家名:森本晃次