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世界の無限ループ

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「人間が、過去や未来にいけるとなると、待っているのは、そんな絶望の世界だ」
 ということの戒めの話だと考えると、
「浦島太郎」
 というお話を考えるうえで、
「一種の教訓だ」
 ということになるのではないだろうか。
 このお話は、明治政府によって、
「本来は続きがあるのに、途中で終わってしまうように、教科書に載っていたり、そう教わっている」
 ということになるのだ。
 だが、本当のラストというのは、
「ハッピーエンド」
 となるのであった。
 そもそも、
「カメを助けたという正しいことをしたのに、最後には、誰も知らない世界に一人取り残され、結局、玉手箱を開けたことで、おじいさんになってしまったという悲劇で終わるのはおかしい」
 というようなことが言われていた。
 だから、調べると、
「実際には、ハッピーエンドだった」
 ということになるのだ。
 しかし、かつて、政府ぐるみということで、話を変えたわけではないが、中途半端なところで終わることで、正反対の解釈が行われたという。
 ただ、この、
「政府ぐるみ」
 というものも、それなりに理由があったのであれば、そこに、
「陰謀論などない」
 ということであれば、より深く考えられているといってもいいだろう。
 なんといっても、
「子供の教育」
 ということで、そう露骨に陰謀論というものをかませるわけにはいかないのではないだろうか。
 そういう意味で、
「浦島太郎のお話」
 というものを、何かの戒めで書かれたと考えると、辻褄が合うというものではないだろうか?
 それが、
「時系列というものに対しての戒め」
 ということで考えると、
「時間というものは神聖なものであり、人間ごときが扱えるものではない」
 ということであれば、
「タイムマシンに対しての考え」
 というのは、無謀なものではないだろうか?
 つまり、
「過去を変えることで、未来が変わってしまう」
 ということがありだとすれば、
「人間が過去に行って未来を変えると、その瞬間に、変えた人間、つまりは、過去に行った人間が、そこから見える未来という、元々いた現在という時代を、自ら変えてしまった」
 ということになるのだ。
 他の人は、
「変わってしまった未来」
 というものを意識することはない。
「最初からこんな時代だったんだ」
 ということで納得していることであろう。
 そうでなければ、変わってしまった過去から先の未来は、すべてにおいて、大混乱ということになるのだ。
 だから、
「過去に戻って未来を変えてしまうと、そこで、パラドックスによる異変が起こり、ビックバンによって、世界が消滅してしまう」
 という説が生まれたりするのであった。
 それを考えると、やはり、
「過去に戻る」
 というのは危険なことであり、それを可能にするタイムマシンの開月というのは、
「してはいけない」
 ということになるのではないだろうか?
 タイムマシンを開発しなくとも、
「過去や未来に行くことができる」
 というものがあると言われている。
 それが、
「ワームホール」
 と言われるもので、それは、ある一定の時期であったり、タイミングによって現れるというものであり、それに嵌ってしまうことで、過去や未来に行けてしまうというものだが、それは、
「本人の意思によるものではない」
 という場合が多いということである。
 つまりは、
「別に、過去や未来に行きたい」
 と思っているから、ワームホールが現れたというわけではない。
 ただ、考え方として、
「ワームホールの出現は、人間の意思が働いて現れるものだ」
 と考えている人もいる。
 ただ。その意思というのは、
「潜在意識」
 というもので、実際に、
「自ら望んで」
 という意識がない場合が多いということだ。
 しかし、それは逆にいえば、
「望んでいないのに現れる」
 ということは、そこに、
「強い力が働いている」
 ということになるのではないだろうか。
 その強い力というのが、
「無意識の意識」
 というものであり、
「人間というものは、意識していない時ほど、その力が現れるものなのかも知れない」
 ということで、それが、
「潜在意識」
 というものではないだろうか?
 その影響として、
「夢の世界」
 であったり、
「意識していないようにしようとすると、実際に意識していない感覚になることができる」
 というような、
「路傍の石」
 といえるものを感じることができるのではないだろうか?
 だから、
「無意識のうちに何か望んでいることができた」
 というのは、本来の人間が潜在している力ということであり、その力が、逆に、
「危険を察知し。それを抑止する力」
 というものになるのではないだろうか?
 それこそが、人間を含む動物に備わっている、
「本能」
 というものであり、それがあることで、
「人間は、動物の力を有している」
 ともいえるだろう。
 そのくせ人間は、
「動物というものに、ランクをつけ、あくまでも、自分たち人間が一番高等なものであり、他の動物と差別化されるに必要なものだ」
 と考えられるということである。
 人間は、その頭の良さから、
「タイムマシンの開発」
 ということを考えたが、逆にその頭の良さから、
「タイムパラドックス」
 という発想をすることで、それ以上の開発に無理があるという、皮肉な考えをもたらすということになったのだろう。
 しかし、その発想がなくて、
「ただひたすらに、前だけを見てタイムマシンを開発する」
 ということになると、
「実際につかってしまい、タイムパラドックスを起こしてしまい、取り返しのつかないことになってしまった」
 ということになったとしても、それこそ、
「後の祭り」
 ということになるのだ。
 それは、ある意味、
「自分で作ったタイムマシン」
 というものだけではなく、そもそも、自然界に存在しているものとして考えてもいいだろうと思える、
「ワームホールの存在」
 というものから、その考え方が裏付けされるということに、一つの理屈が考えられる問思うと、
「皮肉ではあるが、納得できるもの「」
 ということになるのであった。
 だが、実際に、過去に戻るということに、
「タイムスリップ」
 と呼ばれる、
「タイムマシン」
 であったり、
「ワームホール」
 のようなものを使って移動する過去というものだけではなく、発想としては、時間を移動するものに、
「肉体を伴う必要がない」
 という考えが生まれてくるというものであった。
 というのは、
「自分自身すべてが、時間を移動する」
 ということではなく、
「現在の記憶を持った意識だけが移動して、過去の自分に乗り移る」
 という考えで、
「タイムリープ」
 と呼ばれるものだ。
 この考えのもとになっている発想として、
「過去に戻れるとすれば、どの時代に戻りたいか?」
 ということで、それは、
「やり直すということを前提に考える」
 という考え方である。
 つまりは、
「未来のことを知ったうえで、人生をやり直すことができれば、今までにしてきた失敗をしないで済む」
 という考え方である。
作品名:世界の無限ループ 作家名:森本晃次