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時系列に沿った別世界

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「ロボットにこの世を支配される可能性」
 というものを考えると、
「こっちの世界」
 の人間を拉致する方がいいとも考えた。
 しかし、それをやってしまうと、
「タイムパラドックスが発生する」
 という考えと、もう一つは、
「ドッペルゲンガーが増えてしまって、片方の人間は死んでしまう」
 ということで、
「さらってきても、意味がない」
 ということになり、
「やはり、ロボット開発しかできない」
 ということになったのだ。
 当時、
「ドッペルゲンガー」
 というものと、同じ発想というものを考えると、
「ドッペルゲンガーという考え方が、次元をまたいでの人間の移動というものを否定するために考えられた発想だ」
 ということもいえるのではないだろうか?
「ロボットによる、人間支配」
 という考えも、かなり説得力のある恐ろしいものだといえるだろうが、ドッペルゲンガーほどの説得力があるとは思えないということであった。
「あれだけ、ドッペルゲンガーというものを皆から厚く信じられていて、都市伝説としての、見れば近い将来死んでしまう」
 ということは、逆にいえば、
「こっちの世界」
 という発想を納得させるものだといえるだろう。
「ドッペルゲンガー」
 というものを見ると必ず死ぬと言われているが、本当なのだろうか?
「もう一人の自分」
 というドッペルゲンガーの存在が、
「次元が違う世界」
 ということで、本当なら、
「どっちか片方が死ぬ」
 ということなのかも知れない。
 しかし、
「この世の人間だけが死ぬ」
 と言われるのは、
「ドッペルゲンガーというものを見る人と見ない人がいる」
 ということだということになるだろう。
 でなければ、
「必ず死ぬまでに一度はドッペルゲンガーを誰もが見る」
 ということであれば、
「死ぬ直前に見る」
 ということで納得がいくということになる。
 しかし、それだと、
「ドッペルゲンガーを見たから死んだ」
 という理屈には程遠いといってもいいだろう。
 よくドッペルゲンガーの話に出てくる、著名人というのは、あくまでも、
「ドッペルゲンガーを見たことで死んでしまった」
 と考えられるようになったのだ。
「確かに、都市伝説で、納得させようとするのであれば、それは、見たから死んだということの方が納得がいく」
 というものだ。
「こっちの世では、生まれ変わり」
 という発想から、
「同じ人間といっても、この世とは違う人間だ」
 ということで、
「ロボットと変わりない」
 と感じるようになった。
 あくまでも、ロボットは、肉体が人間と違っているというだけで、考え方や精神は、
「人間と同じだ」
 ということである。
 この世における人間は、そのことに気づくのが遅すぎた、だから、
「ロボットに支配される世界になってしまった」
 ということだ。
 ロボットの人工知能」
 というのは、
「しょせん、人間が作ったもの」
 ということで、
「人間がロボットを支配する」
 という精神が、そのまま残った人間によって作られた人工知能ということなので、
「自然の摂理」
 と同じように、
「人間とロボットの間」
 ということで、
「狭いは言いでの摂理が存在し、それが、自然の摂理のように、循環するものだといえるのではないか?」
 というものであった。
 だから、
「人間牧場」
 という考え方は、あくまでも、
「人間から癒しをもらう」
 というものではなく、
「人間を支配する」
 という、一種のゲーム感覚だということで考えると、
「ゲームとして扱えるものは、人間が一番ふさわしい」
 ということである。
 なんといっても、
「自分たちを作った創造神」
 ということで、ロボットには、人間のような、
「モラルや倫理」
 というものがないので、あくまでも、
「自分たちが納得できればいい」
 ということになる。

                 必要悪

 納得するということは、
「ストレスを感じない」
 ということであり、
「人間という自分たちを作ったもの」
 ということで、
「人間は、自分たちを作ったことで、その役割を終えたのだ」
 という発想が一般的なロボットの考えであることから、
「ロボットのギャップを解消させるのが人間だ」
 ということは、それこそが倫理やモラルということであり、他の動物では、
「あってはならないこと」
 ということで、
「人間であれば問題ない」
 ということになったのだ。
 ロボットにおける教育として、
「人間学」
 というものがあった。
 これは、今のこの世における、
「宗教学」
 というようなもので、
「人間を作った神」
 という考えを教えるということであった。
 人間界における、
「宗教学」
 というものと、ロボットにおける、
「人間学」
 というものの大きな違いは、
「ロボットにとっての人間学というものに、種類はない」
 ということであった。
 ただ、
「人間の歴史」
 ということで習うものとして、
「その時代であったり、人種によって、まったく違う発想や、支配体制がある」
 ということから、
「人間の支配体制というものが違う」
 ということから、若干違う宗派の考え方があったりしたのだ。
 そんな人間牧場というような考え方から、ロボットの中には、
「人間は、自分たちの創造主」
 ということで、
「本当は敬うべきだ」
 と考える一部勢力があった。
 それが、一種の、
「人間愛護」
 という集団となって、最初は、
「政治体制に影響しないように」
 ということでひそかに行われていた。
 もし、バレれば、
「死刑」
 ということもあり、スクラップにされてしまうか、あるいは、
「まったく別のロボットに作り替えられ、記憶も、何もかも消されてしまう」
 ということになるのだった。
 ロボットにとって、
「記憶を消されて、別のものに生まれかわる」
 というのは、人間でいうところの、
「死刑に値する」
 ということになるのであった。
 死刑というものが、人間んいとっての、
「死」
 ということであるので、その死というものが、
「まったく別の記憶を持って生まれ変わる」
 ということであると考えた時、ロボットにとっての、死刑というのも、
「記憶を消されて、別のロボットとして生まれ変わる」
 という発想であった。
 ただ、人間であれば、
「この世」
 というものでの行動によって、
「死後に行く世界に種類というものがあり、人間に生まれかわれるかどうかというのも、怪しいものだ」
 ということになるだろう。
 それが、
「天国と地獄」
 という発想につながるもので、
「宗教によって、その考え方が微妙に違っている」
 といっていいだろう。
 つまり、
「宗教に種類があるのは、それぞれの考え方に、微妙な違いがある」
 ということであり、その微妙な違いというものが、大きな発想の違いとなり、発想の亀裂ということになるのであろう。
 だが、
「こっちの世界」
 というものの、
「人間学」
 というのは、基本的に一つしかないといえるだろう。
その理由としては、
「人間が、ロボットの創造主」
 ということだからである。
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次