時系列に沿った別世界
「ロボットによる支配」
ということは、その歴史を勉強するとして、人間の歴史というのは、不可欠だ。
そして、
「人間の歴史」
ということで
「学ばなければいけない」
そして、
「知っておかなければいけない」
というのは、
「人間が自分たちを作った」
ということで、その歴史において、
「なぜロボットが必要になったのか?」
ということであった。
さらに、人間というものは、その感情を、
「癒す」
ということにおいて、他の、
「下等だ」
と思っている動物を、
「自分たちの支配のうち」
と考えていたのだ。
そもそも、人間が、他の動物の創造主だと思っていないにも関わらずにである。
しかし、
「人間を作ったのは神様だが、他の動物を作ったのは、人間ではないか?」
という発想もあったのだ。
「宗派の違い」
ということで、少数派ということでの考え方であるが、
「だとすれば、人間が、動物をペットにする」
という発想も、
「動物を愛護として守ろう」
とする発想も、あって不思議のないものと言えるのではないだろうか?
この世における、
「愛護」
というと、どうしても、
「ペットが相手」
ということになる。
それはあくまでも、
「癒し」
というものを中心に考えるからであって、特に、人間が一番ペットとして癒しを感じることができる愛玩動物として、
「イヌとネコ」
というものがある。
「こっちの世界」
でも同じであるが、実際には、
「世界が違う」
ということで、愛玩動物も違っているのだ。
「この世」
においての
「ネコとイヌ」
というものの違いとしては、
「ネコというのは、家につく」
ということで、人間が引っ越してしまっても、その家にやってくるのだ。
もし、他の人がそこに住んだとしても、ネコというのは、その人につくということになるのだ。
逆に、
「イヌというのは、人につく」
ということになる。
イヌは人につくということで、もし、その人が引っ越してしまった場合は、
「その人がいなくなった家に来る」
ということはない場合が多い。
だから、イヌはその人が引っ越してしまえば、その人を追いかけて引っ越し先に趣くということが普通にあるというのだ。
さすがに、飼い犬であればあり得ることであろうが、果たして、
「野良犬にもあり得ることか?」
ということで、いくら野良犬とはいえ、餌をもらったり、かわいがってもらったりすれば、その気持ちを忘れることはないと思うのだ。
特に、イヌには、
「帰巣本能」
というものがあり、特に、匂いには敏感ということで、
「引っ越した先に現れる」
ということは普通にあるといってもいいだろう。
小説などでは、
「北海道から、東京まで飼い主を求めて走ってくる」
ということもあると言われている。
ただ、ネコには、もし匂いに敏感だったとしても、飼い主を追いかけて戻ってくるということはない。
要するに、
「餌をくれそうな人に媚びる」
ということになるだけである。
しかし、
「ネコ派とイヌ派、どっちが多い?」
というと、結構微妙だったりする。
普通に考えれば、
「慕ってくれる」
あるいは、
「恩に報いてくれる」
ということになれば、完全に、
「イヌ」
ということになる。
しかし、ネコ派というのも結構いるもので、その理由として、
「自由でいい」
ということなのだ。
イヌは逆に、
「人間に尽くす」
ということで、かわいがる気持ちということであればイヌなのだろうが、
「自分がなってみたい」
ということで考えると、
「ネコになりたい」
と思うに違いない。
もっといえば、
「ネコのように自由に行きたい」
ということになるのだろうが、もしペットとして飼う場合には、
「なかなかいうことをきかない」
と言われているのだ。
だが、
「こっちの世界」
において、同じように、
「犬猫をペットにする」
という人が多いのだが、この場合は、明らかに、
「イヌの方をペットにする」
と考える人が多い。
イヌをペットにする場合は、
「実用性を考える」
ということである。
特に、
「イヌは、人間のためになる」
ということで、
「救助犬」
であったり、
「警察犬」
などという、特に、匂いに対して敏感であるということと、従順な性格ということであったり、身体が大きく、俊敏性があるということであろう。
「俊敏性」
ということであれば、ネコの方があるのだろうが、身体の大きさであったり、人間を助けるという気持ちにおいて、
「イヌの方がかなり強い」
といってもいいだろう。
「人間を助ける」
という感覚は、
「助けてもらった相手に対しての恩」
というものが、強く根付いているということであろう。
この世では、
「イヌの方が実用的なのに、ペットにする」
ということであれば、
「ネコの方が、好かれる」
という感覚になるのは、
「あくまでも、癒しであったり、愛玩ということから、ネコを選ぶ」
ということであろう。
それだけではなく、
「ネコは、孤独ではあるが、自由だ」
ということが、
「ペットとしての自分の好みを探す」
ということが、
「ネコを選ぶ」
ということになるのだろう。
つまり、
「実質のリアルさ」
ということよりも、
「癒しや自由」
というものを重視するということになるのだろう。
だから、
「こっちの世界」
というところは、自分の考えている世界とは、発想が違うという点において、本来とは違った発想ということで、
「愛護」
という意味で、
「俺は本当にネコ派なのか?」
それとも、
「イヌ派なのか?」
ということを考えてしまうのであった。
正直、自分では犬派だと思っている。猫のように、自由気ままというのは嫌いではないが、普段から、
「自由を謳歌している」
と思っていることで、
「別に猫を好きになる必要はない」
と思うようになったのだ。
ネコというと、隠語では、
「女性同士の同性愛」
の場合の、
「女役」
というものを表現することがある。
ある意味、
「受け身体制」
ということになるだろう。
だが、考えてみれば、
「ネコは、相手にされっぱなし」
ということになるのだろうか?
確かに、
「マタタビなどを使えば、まるで薬漬けになったかのように、すっかり慣れ親しんでしまう」
ということになるだろう。
喉をこすれば、完全に相手に身を任せる。普段から
「自由だ」
というネコの性質とは異なっているように思える。
それだけ、
「ネコというのは、両面を持っている」
といってもいいだろう。
「イヌであれば、人間に従順ということで、意識がなくなるほど、実を任せる」
ということであるが、実際にはそんなことはない。
「イヌは、人間に従順になるほどに、訓練されている」
もっといえば、
「それだけ人間が、イヌというものを、自分たちのいうことを聞く動物」
ということで、過去から訓練してきたといってもいいだろう。
だから、
「救助犬」
であったり、
「警察犬」
というものが存在するわけで、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次



