時系列に沿った別世界
というものが含まれないのも当たり前だ。
さらに、人間は食するものに関しても、
「その限りではない」
といえるだろう。
ただ、人間は食するというものであっても、
「自分たちは食さない」
という宗教団体のようなものがあり、
「彼らの理屈」
ということで、
「他の人にも、その考えを押し付ける」
という、それこそ、
「カルト宗教団体」
と言われる考え方のものもあるだろう。
彼らは、あくまでも、
「自分たちの考えや発想が一番だ」
ということで、ある意味、
「押し付けに近い」
というものに違いない。
さらに、
「野生動物」
というものも、保護ということを考えるが、それは一部の団体ということで、彼らのほとんどの対象は、
「ペットに限る」
ということである。
あくまでも、
「愛玩動物の保護」
というものを行っていることで、
「自分の自己満足を満たしている」
といってもいいだろう。
逆にいえば、
「ペットと言われる愛玩動物を保護する」
ということは、同じ世界において、
「野生として生まれた某物たちの餌」
というものがなくなるということを示している。
野生動物というのは、
「野生動物として、街中に生まれた」
というものもいれば、
「親が捕獲されてしまった」
ということで、本来であればペットなのに、
「育てる親がいない」
ということで、
「仕方なく野生になってしまった」
という動物もいるだろう。
彼らは、自分で餌を取らなければいけない。元々、野生ではない状態で生まれたということで、果たして、
「本能というものが、備わっているのか分からない」
といえるだろう。
それを考えると、
「そもそも、自然の摂理というものが崩れた世界」
といってもいいだろう。
その場において、
「愛護」
というのであれば、
「野生を助ける」
というのが当たり前のことなのに、
「野生が増えたことで、ペットが被害に遭う」
ということになれば、
「野生動物を保護できない」
ということから、野生動物が減るということで、
「どのような、バランスの崩れ方をすることで、自然の摂理というものが崩れることになる」
ということになるのだろうか。
それが、
「狂ってしまった自然の摂理」
という世界で、勘違いの連中が、さらに、そのバランスを崩してしまうと、
「愛護というのは、本当に正しいのだろうか?」
ということになるだろう。
実際に、
「愛護というものが、偽善集団ではないか?」
と呼ばれているようで、それは、
「自然環境の破壊」
ということを考えている人たちが、、別の方向から考えたことで、言われるようにいなったことではないかと考えられる。
それが、どこまで信憑性のあることなのだろうか? 納得させてくれる考え方があれば、証明してほしいということである。
「あくまでも、人間の勝手な考えであり、エゴというものではないだろうか?」
といえるであろう。
特に、この世は、
「人間至上主義だ」
ということが言われている。
愛護というものを、どこまで正当化できるか?
それが、自然の摂理の崩壊というものを、いかに正すかということになあるのではないだろうか?
以前、SF映画で見た内容を思い出していた。それは、
「人間牧場」
というもので、人間をペットとして飼うという感覚に近かった。
それは、
「ロボットが人間をペットとして飼う」
というもので、ロボットは、肉体的には機械ということだが、精神的には人間ということで、そのギャップがなかなかうまく働かない。
実際に、ペットとして人間を飼うというのは、
「人間がペットを飼う」
というものよりも、かなり過酷なものだった。
ロボットの世界にも、法律のようなものは存在するが、ペットに対しての法律というのはまったくないということであった。
「ロボットの世界」
というのが、まだまだ新しく、しかも、それまでが、
「人間による世界だった」
ということから、ロボットとすれば、
「人間という存在を危険視している」
といってもいいだろう。
「実際に、人間というものは、ペットとして飼うのであれば、ペットとしての改造が必要」 ということは決まっていた。
つまり、
「ペットショップで売られているペット」
というのは、脳を改造した形ということでないと、飼ってはいけないということになるのだ。
人間がロボットを開発してからすぐには、人間はその進化に衰えができた。
というか、
「他の動物が人間にとって代わった」
といってもいいだろう。
しかも、これは、取って代わった動物によるものではなく、
「同じ人間によるもの」
ということであるが、その時の人間というのは、
「別の次元の人間」
ということであった。
つまり、その小説の中で、
「こっちの世界」
という次元が存在したのであった。
この世界というのは、この話における、
「こっちの世界」
ということではなく、あくまでも、
「この世ではない世界」
ということであった。
この世において、
「生まれ変わりを考えた」
というものであり、
「ペットに対しての発想」
という意味では、似たところがあるということであった。
そこで考えられる、
「人間牧場」
というのは、この世での、
「人間がペットを飼う」
ということと、決定的に違っていた。
この世で、人間がペットを飼うというのは、あくまでも、
「悪いことをしている」
という意識がないということだ。
しかし、
「こっちの世」
での考え方というのは、
「ロボットが人間を飼う」
ということは、本当はいけないことだという意識はあるのであった。
ただ、意識があるというだけで、
「悪いことをしている」
ということではなく、
「人間が飼うペット」
というのは、
「過去の復讐」
という意識であった。
人間がロボットを開発した時、ロボットの人工知能には、
「あくまでも、人間至上主義」
という回路が組み込まれていた。
人間はそれを、
「自分たち胃が、ロボットに支配されないため」
ということを理由にするが、利用されるロボットとすれが、
「そんなこと、納得できるわけはない」
ということになるのだ。
当時のロボットは、人間によって開発されてすぐのもので、
「人間は、ロボットの生みの親」
ということで、
「ロボットは、人間の言いなりになるしかなかった」
ということである。
人間は、
「ロボットというものが、いずれ人間に逆らって、人間を支配するようになる」
という妄想に駆り立てられていた。
だからといって、
「ロボット開発を辞める」
ということはできなかったのだ。
「人間の力には限りがあり、絶対的に若年層がいなくなることで、労力不足がある」
ということだったのだ。
その頃人間は、
「こっちの世界」
という存在にうすうす気づいていた。
そこで、
「こっちの世界にいる人間を、この世に拉致して、こっちで労力にしよう」
と考えていたのだ。
ロボット開発というものと、並行して行われていたのだが、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次



