時系列に沿った別世界
「手っ取り早く、血のつながり」
ということで、
「親に押し付ける」
ということになるだろう。
だからこそ、昔から、
「家長制度」
というものであったり、
「家を守る」
ということが、最優先の世界ということになり、さらに、そこに、
「種の保存」
というのをひっかけることで、それこそが、
「人間界の秩序」
と言われるようになったのであろう。
今ではなくなったが、
「尊属殺人」
ということで、
「肉親を殺すと、加刑される」
というものが、以前にはあったりしたのだ。
この世の人間で、都市伝説として、
「ドッペルゲンガー」
と呼ばれているものがある。
これは、
「世の中にいる、似た人間の三人」
というものではない。
これはあくまでも、
「似ている人間」
ということで、本人ではないのである。
「ドッペルゲンガー」
というのは、あくまでも、
「もう一人の自分」
ということで、
「同じ次元において、同じ時間に、同じ人間が存在している」
ということで、本来であれば、
「信用できない」
と思われることが、都市伝説という形で、語り継がれているのだった。
いろいろな都市伝説というものがある中で、
「一番、老若男女で共通にして信じられていて、信じられないという人でも、その言葉くらいは知っている」
というのが、この、
「ドッペルゲンガー」
と言われるものである。
これは、そもそも、
「都市伝説」
ということで、信じられる土台となったのは、
「ドッペルゲンガーを見ると近い将来に死ぬことになる」
と言われることからであった。
特に、
「過去における著名人が、ドッペルゲンガーを見た」
ということで数多くいるということから、信憑性があるということになるのだろう。
つまり、
「相手を納得させられるだけの事実があれば、誰に対しても信憑性があるということで、都市伝説も、真実」
ということになるのだという考えだった。
そうなると、
「真実は一つ」
と言われるが、果たしてそうなのか?
と考えてしまう。
確かに、
「真実は一つ」
とよく言われるが、あくまでも、一つなのは、
「事実」
というものであり、真実というものは、その人それぞれで違うといってもいいのではないだろうか?
だから、
「一つと言われる真実」
というのは、
「全体的に一つ」
ということではなく、
「その人それぞれにおいて一つだ」
ということになるのではないだろうか?
しかも、
「同じ次元、同じ時間において」
ということであれば、それこそ、真実であろうが、事実であろうが、一つしかないということである。
もし、真実が一つではないということになるのであれば、それこそ、
「パラレルワールド」
というものの存在を認めないといけないということになるだろう。
「パラレルワールドというものは、一つの時間、別々の世界が広がっている」
ということで、あくまでも、
「次の瞬間に起こる可能性」
というものが、無限にあるということからきているということであろう。
もちろん、
「真実は一つ」
ということであるわけだから、その逆というものを創造するということであれば、それは、
「無限」
ということになるであろう。
だから、
「同じ次元の同じ時間に、同じ人間が存在する」
ということがありえるのかどうか?
あくまでも、
「理論的に納得させることができるのか?」
ということから考えられる。
あくまでも、相手が人間ということであれば、見分けはつくということになるのであるが、これが、
「相手が人間とは違う動物」
ということであれば、その違いを認識できない。
また。人間であっても、
「血のつながり」
ということで、
「肉親ということになれば、同じ人間でも、肉親ではない相手とは、完全に一線を画している」
ということで、
「肉親であれば、生まれてからすぐに離れた相手であり、何十年経っても、分かるはずだ」
というような都市伝説が正しいということであれば、それこそ、
「ドッペルゲンガーの存在」
というのも、
「納得できるレベルではないか?」
と考えられる気がする。
研究チーム
もし、
「人間において、ドッペルゲンガーというものが認められれば、動物において、ドッペルゲンガーという考え方が成立するのか?」
という考えもあるのだ。
今のところ、
「ドッペルゲンガー」
というものについての科学的な証明というのは行われてはいない。
「タイムパラドックス」
であったり、
「パラレルワールド」
などという、
「SFチックな話の中での証明」
ということで、考えられることであった。
「どちらがどちらを証明する」
ということではないが、
それぞれに、さまざまな見方から、証明できることがあるのではないかということになるだろう。
「証明」
というものが、人間の発想を納得させるために必要なことであるが、あくまでも、
「納得させる」
ということが前提になっているのに、
「証明」
ということを最終目的とするのであれば、それが、
「この世」
というものと、
「こっちの世界」
というものの一番の違いだといえるのではないだろうか?
「ドッペルゲンガーというものが、動物でも証明できれば、最終的な納得につながるのではないか?」
ということを考えている人たちがいる。
その人たちは、
「この世」
というものと、
「こっちの世界」
という考えが、明確になっているわけではないが、どこか、
「納得いかせるために、比較対象となる世界の創造が不可欠だ」
と考えている人たちであった。
その人たちは、その前提として、
「パラレルワールド」
というものの存在、さらには、
「多元宇宙の存在」
というものを、前提に考えているのだった。
ただ、その具体的な世界ということでの比較対象というのは、
「その立場であったり、考え方で違ってくる」
ということで、それこそ、
「事実と真実」
というもののように、
「この世が、事実ということであれば、パラレルワールドは真実ということになる」
ということで、
「真実は人それぞれで違う」
ということではなく、この違いというのは、
「パラレルワールドごとに違う」
ということになるだろう。
だが、そのパラレルワールドというものが、まだまだ未解決な問題ということで、
「人を納得させられるどころか、証明にすら至っていない」
ということだ。
そもそも、この、
「証明と、納得させる」
ということも、一つの真実ということでなく、
「いろいろとパターンが積み重なってくる」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「動物におけるドッペルゲンガーというのも、見たら死ぬという伝説が当てはまるのだろうか?」
と考えられる。
そもそも、
「人間におけるドッペルゲンガーの存在意義」
というものが何であるかということからが前提問題と言えるのではないか?
「もう一人の自分を見ると死ぬ」
という理屈として、
「タイムマシンの発想」
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次



