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時系列に沿った別世界

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「孤独の中では生きられない」
 というのが人間だということになっている。
「この世」
 と呼ばれている世界において、
「ウサギは寂しいと死んでしまう」
 と言われているらしいが、こっちの世の中では、
「それが人間だ」
 ということになっている。
 だからこそ、こっちの世の中では、
「ほとんどの人間が、ペットを飼っている」
 ということになっている。
 こちらの世の中では、マンションなどは、
「ペットを飼えることが前提」
 ということで、法律にて。
「ペット不可のマンションは作ってはいけない」
 という法律ができている。
 あくまでも、
「癒しというものが、人間が生きていくうえで、一番保護されなければいけないことだ」
 ということで、ほとんどの国で定められているということであった。
 この世と言われる世界でも、
「癒しは大切だ」
 ということであるが、
「ペットというものに対しての考え方というのが、中途半端だ」
 ということで、法律も、社会も混乱している。
「いかにすれば、この世でペットの共存ができるか?」
 ということが、この世で問題となっているが、
「こっちの世」
 では、すでにその問題は解決されていて、問題にはならなかった。
 しかし、この世と、こっちの世とでの一番の大きな違いというのは、
「人間至上主義」
 ということへの考えが違っているということであった。
「この世では、あくまでも、人間が生きていくうえで人間が最優先」
 ということであるが、
「こっちの世では、人間が生きていく上において、ペットの存在は不可欠なものだ」
 ということで、
「下手をすれば、人間同士というものよりも、人間とその飼っているペットとの関係の方が重視される」
 ということになる。
 だから、
「ペットというものであれば、相手が自分のペットでなくとも、その生存権だけではなく、人間にあるべき権利も有している」
 ということで、
「ペットは、子供と同等か、それ以上の権利を有し、さらには、社会が必ず保護しなければならない」
 という法律に守られている世界だといってもいいだろう。

                 ドッペルゲンガー

「こっちの世界」
 という新しい世界に対しての考え方ということで、元々、人間だけにしかなかったであろう考え方が、こちらでは、
「動物でもありえる」
 ということなのだ。
 そもそも、
「人間至上主義」
 ということではない。
 人間がすべてにおいて、優先するというものを人間至上主義というのであれば、ペットも人間を癒すための道具のように思われるのが人間至上主義だということになるのであれば、ペットに対して、人間と同等の権利を与えないと、世界の秩序が保てないといえるだろう。
 人間であれば、権利というものが存在すれば、それに対して義務というのが当然についてくるということであるが、こちらの世界では、ペットに対して、権利というものは同じように存在するが、義務というのは存在しないということである。
 その義務というものを正当化させようとすると、そのおペットを飼っている人間に、その義務があるということになり、
「あくまでも、ペットは飼い主と同等であり、飼い主は、それだけの過剰な義務を負わなければいけない」
 ということだ。
 それが、この世というものにおける、税金のようなものだと言われているのであった。
 この世でのペット問題というのは、結構深刻だったりする。
「人間は、その時の感情によって、ペットを簡単に飼うが、いらなくなると、簡単に捨ててしまう」
 ということである。
「一生賢明に育ててきた子供が、結婚したり、就職したりして家を出ていく」
 などということになると、母親はその寂しさを紛らわせるために、ペットを飼うということは、普通にある。
 しかし、
「ペットの餌代が払えない」
 あるいは、
「家族がいなくなったことで、一軒家では賄えなくなったので、マンションに移ると、そこは、ペット不可だった」
 などという理由で、ペットを手放すということである。
 ただ、これは、この世では、
「ある意味仕方がないことだ」
 と言われている。
「餌代の高騰」
 あるいは、
「マンション住まいを余儀なくされる」
 というのは、生活していれば当たり前にあることで、
「人間至上主義」
 ということであれば、
「まずは、人間の生活をキチンとしないと」
 ということで、本来であれば、許されないことであるが、
「仕方がないこと」
 ということで、社会問題ではあるが、その人だけを責められないということになるだろう。
 それは、考え方としては正しい。
 なんといっても、一番の原因は、
「社会の体制が整っていない」
 ということが問題なのだ。
 とはいっても、これは、
「この世」
 という世界において、人間至上主義という考えから生まれたものだ。
 だから、
「こっちの世界」
 から見れば、発想がまったく違うのだ。
「そもそも、ペットを飼わなければいけない」
 という原因として、
「人間同士が信じられない」
 ということがその根底にはあるということで、もっと人間同士が信頼関係を結べるような世界であれば、何もペットに頼るということはないだろう。
 もちろん、
「癒し」
 というものを求めて、ペットを飼うというのは、どちらの世界でもあることであるが、「ペットというものがいなくても大丈夫だ」
 ということであれば、最初からもっと考えて飼うこともできるだろう。
 だから、
「飼う必要もないのに、ペットを飼う」
 ということがなくなれば、社会問題もないということになる。
「こっちの世界」
 では、最初から、
「ペットを飼う」
 という前提で世の中ができている。
 だからこそ、
「ペットを飼う」
 ということは、基本的に当たり前ということであり、そもそも、ペットというものを、
「人間の癒しのため」
 というのは、
「この世」
 というのと同じ発想であるが、元々は、
「営利目的」
 ということで考えていたものではないだろうか?
 そのうちに、
「人間至上主義の犠牲」
 ということであるが、ペットが癒しになるということでの免罪符によって、この世では、ペットが犠牲になるということも致し方ないと言われるようになった。
 ただ、社会問題だけはいかんともしがたく、
「人間至上主義」
 というものの中で、いかに、ペットの問題を解決していくか?
 ということになるのだ。
 結局は、
「自治体が何とかしなければいけない」
 ということになり、それが、
「地域猫問題」
 などというのを引き起こす。
 勝手に飼い主が捨ててしまったことで、まったく関係のない一般市民が、野良になってしまったペットによって、被害を被るということが出てくるのであった。
 あくまでも、
「人間至上主義」
 ということなので、
「ペットよりも人間が大切」
 ということで、
「殺処分というのもやむなし」
 ということであろう。
 しかし、それが、
「動物愛護」
 という保護団体を生むということになったのだ。
 そもそも、政府や自治体が、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次