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時系列に沿った別世界

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「細分化して、その性質を知っておかなければ、狂暴な動物と、そうではない区別をつけておかないと、相手の力や能力を知らないと、道具を使って支配することもできない」
 ということでもあり、さらには、
「人類を危険に晒す」
 ということにもなる。
 植物に対しても同じで、
「人間にとって、毒になる」
 というものもある。
 それも、自然の摂理ということなのか、植物にも自衛本能というものがあり、
「毒を持っている」
 ということになれば、自分たちを食する動物が、その本能から、
「食さないようになる」
 ということでの、
「自衛本能」
 ということになるだろう。
 人間は、他の同部鬱ほどに、本能を持っているものではないということから、どうしても、学習が必要だということになるのだろう。
 人間というのは、
「他の動物ほど、本能が強くなく、明らかに自衛本能というものがあるわけではない」
 と言われている。
 それこそ、
「人間が文明というものを育む理由」
 ということであり、
「頭脳というものを最強の武器とすることで、人間が、この世を君臨している」
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
「動物愛護」
 という名前の団体の中で、少し違う発想をしていると言われる団体が存在しているのを知っている人は、どれだけいるだろうか?
「この次元の世界においては、あくまでも、人間がすべての支配者であり、自然界というものも、支配している」
 ということである。
 確かに考えてみれば、
「世の中というのは、人間が中心で、人間による人間のための世界」
 と信じ込まされているといってもいいだろう。
 だから、他の動物に関してはあまり関心を持つことはないのであり、あくまでも、
「人間が中心」
 という世界が成立している。
 しかし、人間というのは、太古の昔から、
「自分たちの私利私欲のために、争って殺しあっている」
 ということから、
「動物の中で、人間だけが、自分たちの私利私欲のために、殺しあっている」
 と言われる。
 この世界では、とにかく人間が中心であり、人間をいかに評価するかというのも、人間だけができる特権だともいえるだろう。
「人間にとって動物というものは、野生の動物と、人間が支配することができる、ペットと呼ばれるものに、大きく分けることができる」
 というものだ。
 いや、
「分けることができる」
 というわけでなく、
「強引に分けている」
 といってもいいかも知れない。
 この世界においては、正直、読者が住んでいる世界とは、若干違った世界だということを認識いただきたい。
 そうでないと、
「中には、発想についていけない」
 という方も出てくるのではないだろうか?
 そういう読者の方がいれば、
「読んでいる途中」
 ということでも構わないので、さっさと読むことをやめるのをお勧めします。
「読書というのは、我慢しながらすることではない」
 と作者も思っているので、
「いくら、次元が微妙に違うといっても、その考え方が許せない」
 ということであれば、苦痛でしかないからであろう。
 警告はしていますので、ここから先は、あくまでも、
「作者による、SF小説である」
 と思っていただきたい。
 さて、この世界の人間は、一般的に、
「この世」
 と呼んでいる世界とは違い、
「動物愛護」
 であったり、
「自然の摂理」
 などという考え方に対して、敏感に感じている人が普通にいるという世界であるということが前提となっている。
 それを思えば、
「どこか、大きな力として。動物愛護という考え方が存在しているということであり、その考えが、この世界では、正義ということであり、その考えに逆らうというのは、道徳的にも、正義ではない」
 と言われる世界であった。
「大きな力が存在している」
 というのは、この世界において、
「動物愛護の精神」
 というのは、宗教に匹敵するものであった。
 ただ、
「この世」
 での、宗教のように、
「政府などの勢力が、その力を抑えつけよう」
 というものではないだけに、その反発というのも少なく、そもそも、
「動物愛護というものが、宗教のようなものだ」
 という認識に至っていないということだ。
 そういう意味では、
「動物愛護という、いくつも存在している団体は、教育の一環ということで存在しているだけで、布教しないといけないという宗教とは違っている」
 それだけ、世の中に受け入れられているというものであり、その存在は、社会において、無意識で考えられるというものであり、自然と人の心に入り込んでいくということは、それだけ、
「動物たちは、人間というものを、同族のように思っている」
 ということだ。
 ただ、それは、
「ペットに限る」
 ということで、人間も、ペットも人間を同族と思うことで、頼りにしていると考えることで、
「ペットは、人間以上のものだ」
 ということになるだろう。
 だから、人間の友達を作るということよりも、ペットを友達とすることで、生きていく上での、感情を保つことができるという考えである。
 この世界でも、
「人間は平気で同じ人間を裏切る」
 と考えると、
「だったら、ペットの方がどれだけ人間にとって大切か?」
 ということになるだろう。
 では、この世界において、
「ペットというものが、自分の同種に対してとどう違うのだろう?」
 ということである。
 人間同士というと、その感情が私利私欲に変わってしまうと、同じ人間であっても、平気で騙したり、裏切ったりする。
 それは、人間の中に他の動物にはない、
「嫉妬」
 というものがあるからではないか?
 もっといえば、
「人間には欲というものがあり、その欲が、他人と比較した時に、得られるものとして、個人として大切なことだ」
 と考えられる。
 つまり、
「この欲というものが、他人と比べた時、本来であれば、自分の方が上だと思うことで、自分の存在価値を高めようと思う」
 つまりは、
「人間にとって、まわりとの存在価値を考えたうえで、勝っていないといけない」
 と考えることを、
「人間が高等動物だ」
 と思うことになるのだろう。
 つまり、
「他人と競争することで、文明が発展する」
 ということであり、
「個人主義的な考え方が、人間を成長させ、最高の高等動物に仕上げたのだ」
 といえるのではないだろうか?
「人間というものの中にある、私利私欲というものが、個人主義というものを表す言葉だということであれば、私利私欲という考えが決して悪いものだとは言えないのではないか?」
 ということだ。
 人間にとって、個人主義ということになると、競争世界というものが必然的に存在するわけで、
「友だちといっても、結局は競争相手」
 ということで、相手よりも少しでも上に行こうとするならば、その思いが嵩じて、
「人を欺いてでも、自分が上にいく」
 ということを考えるとなると、
「もう誰も信用できない」
 という世界になり、私利私欲を達成しようとする前に、
「精神的に病んでしまう」
 ということになるのではないだろうか?
 しかも、特に、こっちの世の中では、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次