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時系列に沿った別世界

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年10月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。

                 プロローグ

「動物愛護」
 というものが存在する世界がある。
 その世界においては、あくまでも、中心は人間であり、人間以外は、
「下等な動物だ」
 という認識である。
 だから、
「下等な動物だから、守ってあげなければいけない」
 という発想から生まれたのが、
「動物愛護というものだ」
 という発想になっているが、果たしてそうなのだろうか?
 もし、そうであれば、
「この世は、人間が中心であり、何事も人間が中心であり、動物は二の次だ」
 ということになるだろう。
 そもそも、たくさんある、
「動物愛護という団体」
 というのも、
「人間に余裕がなければできない」
 ということであり、明日食べるものがなかったり、住む家がないという人が、自分を犠牲にしてまで、
「かわいそうな動物を守る」
 などということができるだろうか。
「自分に余裕がない限り、自分を犠牲にしてまでできる」
 ということなど、そもそもありえないことである。
 確かに、
「生きていく上で、動物からもらえる癒しのおかげで、生きていくことができる」
 という人もいるだろう。
 そういう人であれば、自分を犠牲にしてでもと考える人もいるかも知れないが、ただ、
「動物を守りたい」
 という思いだけで、自分を犠牲にするまではできないといってもいいかも知れない、
 動物愛護の中には、
「人間は平気で騙したり裏切ったりするが、動物はそんなことはしない」
 ということで、人間不信という考えから、動物愛護に走るという人はたくさんいるかも知れない。
 むしろ、
「人間不信が、動物愛護を生んだ」
 といってもいいのではないだろうか?
 ただ、人間と動物が共存していると思っているかも知れないが、あくまでも、
「人間が、動物をペットという名前で支配している」
 といってもいいだろう。
 犬や猫などの愛玩動物と呼ばれるものと、それ以外の、害虫というようなイメージで見られる動物。これも、人間が勝手に判別しているもので、愛玩動物の中には、本当は人間にとって、害のある動物なのかも知れないといえるのではないだろうか?
 逆に、
「害虫というような種別に扱われている動物」
 というものが、人間社会において、必要不可欠な存在なのかも知れない。
 それを、一種の、
「必要悪」
 ということであれば、動物というものが、いかに人間との接点において、誤解されやすいものであるかということを思わないわけにはいかないだろう。
 そんな中で、
「ワシントン条約」
 のように、
「絶滅危惧種の保護」
 ということが言われている。
 これは、どう考えればいいのだろうか?
 絶滅してしまうことによって、食物として取ることができなくなるのではないかということであれば、最初から食用にしなければいいことである。しかも、
「他の動物を食べればいい」
 ということにもなるといえるだろう。
 そもそも、
「絶滅危惧種の乱狩猟や、貿易を防ぐ」
 ということで、あくまでも、これは、
「ペットではなく、野生動物」
 ということになる。
 そういう意味では、
「動物愛護」
 というものの発想とは違うといってもいいかも知れない。
「人間をはじめとする動物は、食べなければ生きていくことはできない」
 ということで、人間と同じような肉食動物は、どうしても、
「弱肉強食」
 という世界に入ってしまう。
 動物の中には、
「肉食ではない」
 というものもいて、彼らは、植物を食べるということになる。
 つまりは、
「人間のような肉食動物が、他の動物の肉を食らう」
 ということになり、草食動物は、それら肉食動物の、餌になるということになるのだ。
 そんな、食べられる草食動物は、草木を食べるということになるのだが、
「食べられる、草食動物も、草木も、食べられるだけでは、最後には、餌がなくなった肉食動物が残るだけ」
 ということになるのだ。
 だから、動物には寿命というものがあり、その肉体が滅んでしまったことで、その肉体が、今度は肥料となり、植物を育てることで、草食動物が、それを餌にする。草食動物が生きられるということは、それを餌にする肉食動物も生きられるという、一種の、
「循環機能」
 と呼ばれるものが、
「自然の摂理」
 と言われることになるのだろう。
 とはいえ、それを唱えているのは、人間であり、果たして、
「弱肉強食」
 というもので生命を営んでいる、人間以外の生物に、その意識があるというのだろうか?
 人間には、
「人間以外の意識が分かるわけではない」
 人間だけが、ものを考えることができると思い込んでいるだけで、本当に、他の動物に、人間以上の能力があるのかどうか、分かったものではないだろう。
 そもそも、動物の上下関係というのは、何によってつけられているというのだろうか?
「何かの能力によるもの」
 ということになるのだろうか?
 たとえば、
「考えることができて、文明を築くことができる」
 ということで、人間が一番高等だということになるのだろうか?
 確かに、人間は、いろいろな道具を開発し、それを使うことで、何の道具も使うことができないことで、その力関係が、
「自然の摂理」
 というものに、絶対に逆らうことができず、弱肉強食という摂理の中でしか動くことができない動物こそ、下等だということになるだろう。
 しかし、もしそうであれば、
「人間以外の動物は、その差はなく、すべてが下等動物だ」
 ということになるだろう。
 確かに、
「どの動物も、人間より下等だ」
 ということであれば、理屈は分かるのだが、人間は、動物を種別に分け、さらに、細分化して、種別ごとに、差別化を図っているといってもいいかも知れない。
 哺乳類から、爬虫類、さらには、昆虫類や、微生物までと、かなり細分化し、それこそ、
「生物学」
 という学問になっているのだ。
 もちろん、その中には、大切な意義があるといってもいいだろう。
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次