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時系列に沿った別世界

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 という発想になるのではないかということだ。
 現在というのが、
「過去における未来」
 ということであり、
「未来における過去」
 と考えれば、その発想には、何ら差がないということだ。
 だとすれば、
「過去に行ってはいけない」
 ということであれば、
「未来に行くことは許されない」
 ということになる。
 逆に、
「過去にいくことが許される」
 ということであれば、
「未来に行くことも許される」
 ということであり、その発想が、
「タイムパラドックスの解決」
 ということであり。
「タイムマシンの存在を納得させられるか」
 ということになるのだ。
 実際に。
「こっちの世界には、タイムマシンというものが存在し、活用もされている」
 ということだ。
 実際に、影のフィクサーによって、
「時間法」
 というものが厳密に作られていることで、
「こちらの世界」
 では、今のところ、タイムマシンに関しては、問題なく動いている。
 しかし、
「ロボット開発」
 というもので、失敗したことになるのだが、それは、
「タイムマシンの成功が、災いした」
 といってもいい。
「ロボット工学三原則」
 というものと、
「フレーム問題」
 というものを組み合わせて考えなければいけないものを、別々に考えたことで、大きな失敗につながったということであった。
 それは、
「時系列における時間の流れだけを重視して、肝心の循環という発想をおざなりにしてしまった」
 ということから起こったことであったのだ。

                 大団円

「こちらの世界」
 というものと、
「この世」
 というもの、いわゆる、今生きている自分たちの世界というのは、
「この世」
 というものであり、そこから数百年の未来というのが、
「こちらの世界」
 ということであれば、
「先に行く世界」
 というのは、自分たちから見れば、
「未来に起こる、シミュレーション」
 ということになるのだろう。
 だが、果たして、そう言い切れるのだろうか?
 人類は今まで、何度も循環というものを繰り返してきたと考えられている。
 実際に、
「古代文明」
 というものの中には、
「今よりも、時系列にして数倍先を歩んでいたという文明が存在した」
 という話もある。
 それが、尾ひれを付けた形といっていいのか、
「ムー大陸」
 であったり、
「アトランティス大陸」
 と言われるものだったりする。
 しかも、そこに、
「火山の噴火」
 などによって、
「一夜にして海の底に沈んだ」
 などという、伝説がついていることから、逆に、
「信憑性がある」
 と考えられるのだ。
 人間というのは、
「話が神秘的であればあるほど、信じがたいという思いがあるからなのか、説得力がある」
 と考えるのである。
 だから、
「古代文明の話」
 というものも、神秘的であるがゆえに、その証明に躍起になり、
「考古学という学問」
 を世に生み出したといってもいいだろう。
 ただ、この文明というものは、考え方ということで、
「循環性のあるもの」
 といえるのではないだろうか?
「自然の摂理」
 というものも、
「循環性」
 といってもいい。
 これら文明の循環というのは、そこに、
「時系列」
 というものが孕んでいて、しかも、時系列というものは、
「逆走ができない」
 という理屈から、余計に、
「循環というものに、説得力がある」
 と言わせるといってもいいだろう。
 それはあくまでも、
「過去、現在。未来」
 という一本の線で考えられるということで、実際の発想ということになれば、
「現在、過去、未来」
 ということになるのではないだろうか。
 これは時系列中心ということではなく。
「優先順位に基づくものだ」
 ということになるという発想である。
 そこに絡んでくるのが、
「必要悪」
 という問題で、実際に、
「その世界をすべて把握している」
 と言われる、
「影のフィクサー」
 とすれば、
「こちらの世界には、必要悪というものは存在しない」
 ということになっているのだ。
 しかし、
「この必要悪が存在しないということは、本当にいいことなのか?」
 ということである。
 実際に、
「この世」
 では、必要悪が存在することで、
「世の中の秩序が守られている」
 と言われているが、逆に、
「存在しなくてもうまくいっている世界」
 ということであれば、
「必要悪など、ないに越したことはない」
 といってもいいだろう。
 もっとも、
「最近まで、あったものだということも分かっていて、考え方が、この世と対照的なのだ」
 ということも分かっていることであった。
 とはいえ、見方とすれば、
「こちらの世界」
 というものが、
「この世の発展形」
 ということであり、本来であれば、正しい時系列に沿っているわけなので、
「文明の果てにあるもの」
 といってもいいだろう。
 それなのに、
「ロボットによる支配」
 というものを受けていて、
「人間牧場」
 のようなものが築かれている。
 これは果たして正しいのだろうか?
 ただ。一つ言えることは、
「こちらのロボットには二種類あり。一つはサイボーグで、もう一つは、実際のロボットだ」
 ということであった。
 いわゆる、
「サイボーグ」
 あるいは、
「アンドロイド」
 と呼ばれるものは、
「頭脳はあくまでも、人間のものであり、身体だけが、機械の身体」
 ということになっている。
 そして、実際のロボットというものには、
「人口知能」
 というものがあり、そこには、
「絶対的な差別が存在している」
 ということである。
 つまり、
「アンドロイドやサイボーグ」
 というものが、
「こちらの世界の支配者」
 ということであり、ロボットが、まるで奴隷のごとく使われているということだ。
「ロボットは人間ではなく、人工知能というものが存在しているだけなので、差別があっても当たり前」
 といってもいいだろう。
 つまりは、
「こちらの世界」
 においても、この世でも、
「文明というものが循環している」
 ということを考えると、
「古代文明において、奴隷というものが当たり前のように扱われていた」
 ということだ。
 あくまでも、
「古代の文明」
 ということで、下等な考え方である、
「奴隷制度という考え方」
 というのも、ありえることだと思われてきたが、
「文明が循環している」
 ということを思えば、
「奴隷として扱われていたのは、ロボットなのではないだろうか?」
 という発想である。
 ロボットだから、奴隷であっても、誰も意識もしないし、悪いことをしているという意識もない。
 それを思えば。
「愛護の精神」
 というものが、ペットに向けられたということは分かるというもので、こっちの世界において、時代が先に進むことで、
「人間を奴隷にする」
 という発想がどうして起こったのか?
 ということを考えてみると、
「愛護というものが、そもそも偽物の、偽善者的な精神だ」
 ということの証明ということであり、
 そして、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次