時系列に沿った別世界
「世界の違いから、別れていった発想はたくさんあるが、この二つもその一つであり、それが、概念という発想からくるものだという珍しいケースだ」
といってもいいだろう。
その考えが、世間一般と言われる、それぞれの世界における考え方と、自衛本能をつかさどっているのかも知れない。
そういう意味で、それぞれの世界において、
「愛護という精神」
について、いろいろな考え方が生まれているが、それも、
「悪徳ブリーダーの存在」
というような、
「どこか矛盾した存在」
というものを作り出す要因になっているのかも知れない。
実際に、どちらの世界にも、
「愛護」
というものが存在しているが、それぞれの世界において、
「科学力の発展」
というものに差があるということで、微妙に違う発想が生まれつつあったのだ。
「科学の発展においては、こっちの世界の方が早く、すでに、ロボット開発も、タイムマシンの開発も、ある程度出来上がっていた」
ということであった。
「この世」
においてのそれぞれの開発は、
「結界」
といってもいい、大きな壁が立ちふさがっていることから、その開発は頓挫委していた。
研究は続けられているが、納得できる回答も、証明もされていない。まったく、先に進めないということになっていたのだ。
それは、
「タイムマシンに関しては、タイムパラドックスの問題」
さらに、
「ロボット開発に関しては、ロボット工学三原則の問題と、フレーム問題」
ということであった。
「こっちの世界での研究」
では、
「タイムマシンに関しては、この世でも、あと少しのところまで来ている」
ということで、
「タイムパラドックスの解決ということで、パラレルワールドや、ドッペルゲンガーと呼ばれるものを、創造はできているのだが、それぞれに、関連付けて考えることがまだまだできないということで、先に進まない」
実際には、
「一歩先に進むだけで世界が開けるのに、勇気がないからなのか、それとも、慎重になりすぎるのか、その一歩が大きな一歩になっているのであった」
だから、タイムマシンの開発はできていないのだ。それこそ、
「百里の道は九十九里を半ばとす」
という言葉の意味を、分かっていないということになるのだろう。
「ロボット開発に関しては、ロボット工学三原則といわれる、フランケンシュタイン症候群の問題と、人工知能の限界といってもいいフレーム問題の二つがある」
ということで、
「タイムマシンの開発に比べてハードルが高い」
と言われているのだが、
「こっちの世界の科学者は、それぞれを別々の発想で考えてしまう」
ということがネックになっていると思い。
「それぞれをそれぞれで補う」
という、一種の、
「毒を持って毒を制する」
という発想に近い考えを持つということで、見事に、これら二つの問題を解決し、ロボット開発が、革命的に進歩したといってもいいだろう。
これも、
「この世」
でも、あと少しというところまではいっているようだ。
しかし、あくまでも、
「証明と納得」
というところに行きつかない。
そこが、一番の、
「この世とこっちの世界」
というものとの違いではないだろうか?
そのことが分かっているのかいないのか、
「それぞれの世界において、結果的に、影のフィクサーというものが必要で、絶対に、その世界の人にその存在を知られてはいけない」
ということになるのだろう。
その存在が、ひいては、
「どちらの世界をも救う存在」
ということになるのであった。
それにより、
「こちらの世界で、ロボットによる人間支配」
というものが、結果として、
「この世での愛護が、いずれは、同じ道を歩むことにさせる」
ということになるのではないかと考えるのであった。
循環
いずれは、
「この世がこっちの世界に追いつく」
ということであるが、実際には、それぞれの世界をお互いに知るということが不可欠であるように感じる。
それを深く考えている人は、
「この世での影のフィクサー」
であった。
「こっちの世界での影のフィクサー」
もそのことは考えてはいたが、
「この世のフィクサーに比べれば、そこまでの感覚はない」
といってもよかった。
考え方として、
「この世の方が、正直遅れているということで、早く追いつきたい」
という発想から、
「この世というあっちの世界のことを知ることが大切だ」
と考えていると思われるだろうが、実はそうではない。
実際には、
「もっと切実な発想がある」
ということなのであった。
というのは、
「この世の影のフィクサーが考えていることは。将来における世界の壊滅」
というものであった。
この考えは、どの世界のフィクサーであっても、あるいは、
「それぞれの社会の人間の高等性ということによって、一般市民であっても、容易に思いつく」
という世界もあることだろう。
「盛者必衰」
あるいは、
「諸行無常」
ということから、
「形あるものは必ず壊れる」
ということであり、
「永遠の繁栄などあり得ない」
という発想であった。
実際に、それぞれの世界における歴史を勉強をするだけで、
「永遠の繁栄がない」
ということは分かり切ったことであり。都市伝説かも知れないが、
「高度文明」
と呼ばれるものほど、原因は様々だが、あっという間に滅んでしまうということもあるということだ。
つまり、
「文明が高度なだけに、相手を滅ぼす力を十分に持っている」
ということ。
それを制御できる力がないのであれば、その高度な力を持つわけにはいかないということになるのだ。
「この世では、そのことに関しては。理解もしているし、納得もしている」
しかし、
「実際に、その抑制が利くか」
ということになると、
「それは難しい」
という結論になるということだ。
それは、
「この世での文明」
というものが、歴史の上で示しているといってもいいだろう。
それは、
「こっちの世界」
にも言えることであり、もっといえば、
「数百年先を生きている」
という伝説のある世界としては、
「本当は、この世と呼ばれる世界に比べ、知っているべきはずのことが、思ったよりも知られていない」
ということから、危機感を抱いているといってもいいだろう。
この世は、追いかける方で、向こうは逃げる方、実際には、
「追いかける方が有利だ」
と言われるのだが、この世界では、それは絶対にいえない。
というのは、
「時間というものの絶対的な法則があるからだ」
ということなのだ。
というのは、
「時間というものは、どの世界であっても、そのスピードに変わりはない」
ということで、もし違っているということであれば。その違いというものは、
「自然の摂理」
というものを壊すということであり、その摂理というものが、
「同じ感覚の時系列」
ということになるのだ。
だから、
「追いかける方は絶対に追い越すことはおろか、追いつくことはできない」
ということになる。
しかし、時系列というものは、
作品名:時系列に沿った別世界 作家名:森本晃次



