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人死に

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「夢という特別の意味の記憶というものが、人間の中には存在しているのではないだろうか?」
 と考えられる。
 だから、大学時代に見た交通事故の現場も、
「瞼の裏」
 には、深い印象として残っていることだろう。
 しかし、
「本当に夢というものが、減算法なのか?」
 ということから、そこからつながる、
「無限」
 という発想などが紡ぐことによって、
「忘れる」
 ということ、
「覚えていない」
 ということ、それぞれが、ある意味、
「相乗効果」
 というものを示すのではないかということで、考えてしまうといってもいいだろう。
 学生時代に見た、
「交通事故」
 というものが、後から思えば、
「夢だった」
 と感じるのは、その衝撃の大きさだけではなく、似たような感覚を覚えることがあったということからもあるのかも知れない。
 それが、学生時代からであれば、正直、7,8年という月日が過ぎた、
「就職してから5年が経った」
 という、年齢的には、
「20代後半」
 という今であるということに、自分の中で、
「何か意味があることではないだろうか?」
 と感じるようになっていたのであった。
 あの時は、
「交通事故」
 ということで、正直にいえば、
「全体的に見ると、その劇的な様子が印象として残ることで、感情面では、そこまで追いついていない」
 ということから、
「夢だったのではないか?」
 と感じたとしても、それは無理のないことだといってもいいだろう。
 だが、今度は、社会人になって5年目という今では、学生時代と違って、
「ある意味、人生の階段としては、一番上の段階を上っている」
 ということで、見えている上というのは、精神的なものでは、
「一番上の世界だ」
 といってもいいだろう。
 これが、
「大学生までの心境」
 というのは、
「社会人になれば、今までとまったく正反対になる」
 ということでの、不安があった。
 学生の間の進級というのは、
「受験」
 というものがあり、それをパスしないと、先がないということで、実際には、精神的には、かなりのプレッシャーであった。
「誰もが通る道」
 ということと、
「自分の実力にあった場所を見つける」
 ということが大切だということを分からせるためのものだといってもいいだろう。
 これは、
「社会人になって、一番大切なこと」
 ということで、受験戦争というものもやむなしといえるのだろうが、あくまでも、それは、
「結果論」
 ということなのかも知れない。
 結果論ではあるが、それを自覚しているしていないでは、歩んでいくうちのスピードにかなりの差が出てきて、次のステップに移った時には、
「最初から差がついている」
 ということで、
「その差に似合ったものを見つける」
 というのが大切なことということで、
「だからこそ、それを見つけるのが、受験戦争」
 というものの一つになるわけである。
「どうせ、、社会人になれば、いやというほど味わうことになるのだから、そういう意味でも、受験戦争というのは、自分の技量を見極める」
 という意味でも、必要なことだといえるのであろう。
 実際に、社会人になってみると、受験戦争というものはないが、別の戦いというものが存在し、その基礎が、
「受験戦争」
 というものにあったということを、自覚できるということではないだろうか?
 大学時代から、6,7年が経ったと思っていたが、大学時代を思い出してみると、
「まるで昨日のことのようだ」
 というような思い出し方ができたりする。
 それこそ、
「昨日夢にでも出てきたのかも知れない」
 と思えば、
「なるほど」
 ということで納得できる気がするのであった。
「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていく」
 という解釈が、そういう意味では、実に都合よくできているということで、
「最近になってから、社会人には、意外と都合のいい考え方が蔓延っているのではないか?」
 と考えることがある。
 というのも、
「学生時代には、理屈で納得できない」
 ということから、
「都合のいい」
 というものは、あまり褒められたものではないと考えるようになり、社会人になれば、
「いかに、自分の都合のいい解釈をできるか?」
 ということが、
「いかに社会を渡り歩いていけるか?」
 ということにつながると思うようになってきた。
 だから、
「社会人には、受験清掃というものがない」
 ということである。
 受験戦争というのは、ある意味、
「分かりやすい」
 ということで、
「はっきりとわかることができる」
 というものである。
 つまりは、
「一つしかない回答に対して、正否というものが決まり、さらに、正解の点数を積み重ねることで、テストによる、順位を決定する」
 ということである。
 もちろん、それだけ、
「作成する問題」
 というものが、合否を分けるということで、
「神経をすり減らす形で作られなければいけないもの」
 ということになるであろう。
 生徒や学生にも分かりやすいことであり、受験に際しては、それが、
「偏差値」
 というもので跳ね返ってくるということで、その偏差値が、
「自分の実力を計る目安というものになる」
 ということになる。
 だから、テストというものには、
「判定するためのもの」
 ということと、
「自分の実力を知る」
 ということのために存在するものといってもいいだろう。
 これが、社会人になってからも、
「競争という形のものは続く」
 といってもいいだろう。
 しかし、学生時代までのような、
「テスト」
 という形ではなく、もっと曖昧なものだったりする。
 分かりやすいとすれば、
「それまでの仕事での実績が、そのまま評価につながる」
 というのが、一番であろう。
 だから、社会人の厳しさということで、
「毎日が、テストされているようなものだ」
 と言われ、それだけ、
「シビアな世界だ」
 と言われるのであろう。
 受験戦争の時は、
「勉強したことがそのまま成績に反映する」
 ということで、
「やればやるほど、実力が上がっていく」
 ということで、ある意味、
「やりがいの勝負」
 といってもよかった。
 だから、
「テストの成績がやりがいに結びついてくる」
 ということを分かっていれば、受験戦争というものも、
「苦しいものではあるが、何もすべてに悲観するものではない」
 といえるだろう。
 ただ、まだ思春期を越えようとしているくらいの年齢なので、特に高校受験など、
「合格して当然」
 と言われるだけに、プレッシャーに弱い人は、
「テスト以前の問題」
 ということになるかも知れない。
 テストを受ける前から、精神的に追い詰められていて、実際のテストの時に、
「身体を壊してしまった」
 などということで、まったく実力が発揮できないという人も少なくない。
 そういう意味で、
「まだ子供」
 と言われている中で、
「実力が発揮できない」
 ということで、劣等生のレッテルを貼られるというのは、実にむごいといってもいい。
 ただ、考え方として、
「子供の中でも、一番の年長」
 ともいえる。
 つまりは、
作品名:人死に 作家名:森本晃次