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人死に

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「人が自殺する」
 という光景は、これから、日常茶飯事となってくるのかも知れない。

                 うつ病

 まだまだこの世に対して、
「未練」
 というのか、
「希望」
 というものを持っているのだとすれば、
「誰かが自殺をしようとしている場面に出くわせば、絶対に助けなければいけない」
 と思うことだろう。
 しかし、この世を儚んで死を選ぶということが、
「決して間違っているわけではない」
 と考えられるとするならば、それは、
「人間というものに、どこまでも希望を持っている」
 ということになるのか、
「希望ではなく、本能というものが、強く遺伝子によって、受け継がれてきた」
 ということになるのかということの、どちらかではないかと考えるのであった。
 河村という男は、いつ頃くらいまでだったか、
「まだまだ人生や、人類の未来に希望がある」
 と思っていた。
 そもそも、生まれてきた時から、
「気の毒な人生」
 ということだったので、本来であれば、
「人間や、人類の将来に希望が持てない」
 といってもいいのだろうが、途中で一度助けられ、その後、介護施設で育ったということで、
「幼児体験の最悪から比べれば、養護施設であれば、かなり優遇されている」
 ということから、
「自由、平等」
 ということに対しての、
「洗脳」
 というものは、結構手厚く行われていたといってもいいだろう。
 それを考えると、
「大人になるほど、普通の人になってきた」
 ということも分からなくもないというものだ。
 それは、
「いい意味か悪い意味かは定かではないが、大人になるにつれて、人間として、洗脳されてきた」
 ということになるのだろう。
 ただ、元々の本能というものは変わっていないようで、
「人間の生き死に」
 というものであったり、
「尊厳」
 というものは、生まれついての感覚があるということで、
「目の前で自殺しようとしている」
 という人がいても、きっと、
「自分から助けようとしないという判断をしたに違いない」
 といえる。
 もちろん、
「迷いはあったことだろう」
 しかし、結果とすれば、
「助けなかった」
 ということで、その結論は、
「考えるまでもなかった」
 ということになるであろう。
 結局、自殺しようとした人は、
「本懐を遂げた」
 ということで、本人とすれば、
「死にきれた」
 ということであろう。
 確かに助けなかったということは、本人にしか分からないことで、助けられなかったということで、
「罪に問われる」
 ということはない。
 他に人がいなかったことから、とりあえず、警察の取り調べに対して、
「はっきりとは言わなかったが、
「助けようという意思があった」
 というような言い方はしたと思う。
 だからこそなのか、
「助けない方がよくて、自分は、思った通りにできたのだ」
 ということを思っているにも関わらず、心のどこかで、
「納得できないところがあった」
 というのは、
「助けようという意思があった」
 という、本来はなかったものを言い訳として言ってしまったことに対しての、うしろめたさというか、わだかまりのようなものだったということになるのであろう。
 それが結局、ジレンマということになり、まるで、
「トラウマとして残ってしまった」
 という感覚から、うつ病のようになってしまったのであった。
 そもそも、
「子供の頃から、壮絶な人生だった」
 という意識がありながら、子供の頃から、自分の中に、
「何かの病気のようなものがある」
 と感じていた。
 それが、
「心の病」
 というものだということは分かっていた。
 しかし、それが、
「うつ病だ」
 ということを自覚したのは、高校生の頃だっただろうか?
 その頃に、ちょうど、
「それまでは、自分を天才ではないか?」
 と思っていた気持ちが、いつの間にか、
「普通の人なのではないか?」
 と感じるようになった時と、さほど変わりはないと思えたのだ。
 うつ病というのをハッキリと意識したわけではないが、それを感じるようになったのは、
「夕方」
 というものと、
「夜のとばり」
 というものを感じた時だった。
「夕方になると、何か、疲れが残っているわけではないのに、毎日のように疲れを感じる」
 というもので、さらに、
「毎日のように汗を掻く」
 ということで、それは、真冬でも同じだった。
 さらに、信号機の青色が、明らかな緑に、そして、赤色が、橙色に近いように見えてくるのであった。
 ただ、それから、今度は日が完全に暮れて、
「夜のとばり」
 というものが下りてくる時間になると、それまで、どんなに疲れがあったとしても、疲れは消えてしまっていて、汗も完全に消えているというのであった。
 しかも、
「信号の色」
 というものが、
「赤い色は、完全な深紅」
 であり、
「青い色は、完全に真っ青な色」
 ということで、どちらも、
「原色としての落ち着きを感じる」
 というものであった。
 だから、
「うつ病」
 というものに陥った時は、
「夜が一番好きだ」
 ということになる。
 もっとも、
「うつ病という状態で、時間帯により好き嫌いというものがある」
 と感じたのは、途中からであったが、うつ病というものを抜けてからであれば、
「本当は最初からだった」
 という意識があるということが分かっていたのである。
 うつ病というものは、
「ずっと続いている」
 というものではなく、
「定期的にやってくるものだ」
 ということが分かってきた。
 昔は、
「躁鬱病」
 と言われていたものであるが、今では、
「双極性障害」
 と言われている。
「双極性障害」
 というものにおける
「鬱状態」
 というものと、いわゆる、
「うつ病」
 と言われているものにおける、
「鬱状態」
 とでは、その種類は違っているという。
 実際に、その診断を間違えると、
「薬の処方であったり、その対応」
 ということで、難しい処置をしなければならないということになるのであった。
 河村は、最初の頃は、
「普通のうつ病」
 ということを医者から言われたが、最近では、
「定期的に。躁と鬱がやってくる」
 ということで、
「双極性障害」
 という診断に変わり、薬の量がかなり増えたということになったのだ。
 双極性障害で気を付けなければいけないことということで、言われているのが、
「自殺をしたくなる」
 というのは、
「鬱状態から躁状態に変わる時が危ない」
 と言われている、
「双極性障害というのは、それぞれの状態に変わる時、一気に変わるということはなく、その途中に、躁鬱が一緒になっているという、混同期というのが存在している」
 という。
 つまりは、
「躁状態になる時、鬱状態も存在している」
 ということで、
「躁状態というのは、気が大きくなって。なんでもできる」
 と感じる時だという。
 つまり、
「鬱状態においての、死にたい」
 と感じる時と、
「今の自分であれば、何でもできる」
 と思い込んでいる時が、混同しているということになると、
「今だったら、死ぬということも怖くない」
作品名:人死に 作家名:森本晃次