【別説】神も仏もない
ということで、しかも、さらに輪をかけて問題なのは、
「日本国民というのが、判官びいきだ」
ということからであろう。
「判官びいき」
というのは、源義経にまつわることであり、彼の官位が、
「判官」
であったということから、そう言われるのだが、
「源平合戦というものがあった時、義経は、兄の頼朝に、追われるという状況になった」
というのは、
「平家追討」
という責任の元、平家を追い詰める戦をしていたが、その時、朝廷から、
「役職をもらった」
ということであった。
そもそも頼朝とすれば、
「朝廷の後白河法皇というのが、海千山千で、口八丁手八丁で、簡単に、鎌倉武士を調略する」
ということで、
「朝廷からの役職は、自分の許可がなければもらってはいけない」
と通達していたのだ。
しかし、義経は、
「自分が官位をもらうということで、鎌倉武士の質が上がると思った」
ということで、頼朝の意思を無視したということで、頼朝の怒りを買ってしまったのであった。
そもそも、義経には。
「兄弟だから、大目に見てくれる」
という甘えがあったかも知れない。
しかし、頼朝の立場として
「武士の棟梁」
ということであれば、
「余計に許せない」
ということになり、ここで許してしまうと、まわりの御家人に示しがつかないということになるであろう。
だから、頼朝としては、
「仕方なく、義経追討を行った」
と言われているが、それが、
「弱い者を応援したくなる」
という日本人の心理として、言われるようになったことである。
もし、この言われている通りのことが史実ということであれば、確かに、
「判官びいき」
ということになるだろう。
しかし、別の意味での、
「判官びいき」
というのも考えられる、
というのは、
「言われていることが真っ赤な嘘だった」
という場合である。
というのは、
「頼朝が、坂東武者の誇りと統制から、義経を討った」
ということであれば、
「仕方がなかった」
ということでの、
「判官びいき」
ということであるが、もしこれが、
「頼朝が、弟である義経の活躍に嫉妬したものだ」
ということであれば、
「人間臭い感情から、犠牲になった義経」
ということでの、
「判官びいき」
ということになるだろう。
もっといえば、
「見る方向によって、見え方や解釈がまったく違ってしまった」
ということであっても、
「結果として同じ感情が相手に沸く」
ということで、
「どちらに転んでも結果が一緒だ」
ということになれば、
「何がウソなのか?」
ということになるであろう。
そんなバカな政治家がいる国日本で、尊厳死が認められないというのも、無理もないことであろう。
もっとも、基本的には、どこの国も、
「尊厳死」
というのを認めていない。
中には、
「ある条件、それもかなり厳しい」
と言われる条件を満たせば、認められるというところもあるだろう。
そもそも、
「キリスト教などの宗教というのは、自殺を許さない」
と言われているくらいなので、
「尊厳死を求めない」
というのも、それはそれで、無理もないといえるかも知れない。
それを考えると、
「日本という国で、尊厳死を認めない」
というのは、本当に人道的にありなのだろうか?
と感じられるといってもいいだろう。
これだって、きっと、
「いろいろな方向から考えかたがある」
といってもいい。
しかし、
「判官びいき」
のように。それぞれの、あらゆる方向から考えても、結局、
「尊厳死は許されない」
ということであれば、結果として、
「それが正解なんだ」
といえるだろう。
しかし、
「逆に、どの方向から考えても、尊厳死を認めないと、理不尽なことになる」
といえる。
それでも、尊厳死が認められないということは、
「尊厳死を認めることで損をする人がいる」
ということで、その人には、損をさせてはいけないというのが通説になっているのではないかといえるだろう。
それこそ、
「自分の私利私欲のために、海外に勝手に金をバラまく」
という、
「国家元首というのがいる国」
ということなので、それこそ、
「売国奴」
といってもいいだろう。
もっと悪いのは、
「そんなとんでもない国家元首を、選挙で当選させ、すぐに、化けの皮がはがれていたにも関わらず、まだ支持をしていた」
という国民も、
「同罪ではないか」
といってもいいだろう。
それが、そもそも、
「判官びいき」
であったり、
「腐った国家元首を生かしている」
という状況がいけないのだ。
ただ、今の国家元首に対しては、以前であれば、
「今のソーリが変われば、マシになる」
ということで、
「あの人でなければ、誰でもマシだ」
ということであったが、時代が少し進むと、
「誰がなっても、ひどい状態に変わりない」
ということで、
「悪くなることはあっても、よくなることはないだろう」
ということから、
「誰か他の人に任せる」
ということができない時代なのだ。
「他の人にさせるくらいであれば、最低であっても、まだ今のままがましだ」
という考えである。
要するに、
「最低な状態から、さらに、そこが抜けて、奈落の底に、無限に落ちていく」
という考えということであろう。
そんな国において、
「尊厳死が認められない」
というのは当たり前ということだ。
そもそも、
「本当に何が正しいのか?」
ということを、真剣に追及するという目がなければ、政治に参加するということをしてはいけないといえるのではないか。
よく、評論家などが、
「選挙権があるのだから、選挙にいかないのが悪い」
と言われるが、実際に、
「政治にそこまで真剣になっていない人を、適当な表集めということに使う」
ということを許している時点で、
「今の政治家で、誰を入れても一緒だ」
ということになっているが、
そもそも、
「誰に入れても同じだ」
と思った時点で、
「だったら、このままでもいいのではないか?」
という考えから、実際に、
「カネをばらまいたソーリは、それ以外にもひどい政府を作った」
ということで、罪深いところがあるにも関わらず、
「任期満了まで勤めさせた」
ということである。
つまり、
「任期満了までできたのは、その人がソーリにふさわしい」
というわけではなく、
「他のやつにやらせるよりも」
というだけのことであり、
「ここで首を切らないと、大変なことになる」
というほどまではない。
というだけのことで、
「結局、この国では、ソーリにさえなれれば、本当に最悪のことでもして、辞めなければいけなくなるまでは、できるのではないか?」
ということである。
となると、
「ソーリ決定の際は、たいていの人は、支持率が過半数を超えている」
ということであろうが、これからは、支持率が、最低であっても、ソーリになれるということになるのではないだろうか。
そもそも、日本の場合は、
「政府与党内での、総裁が、基本的にはソーリになる」
ということで、
「個人への投票」
作品名:【別説】神も仏もない 作家名:森本晃次



